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C3―5 成長痛 その5

「意味がわからん。なんでお前が俺を応援するんだよ。だってお前……」


「愛しい殿方のために汗を流すことに何のためらいがありましょう……」


「いや、おかしいだろ……お前さっき、自分も諦めないとか」


「ええ、諦めてはおりません。幸せになりたいという心持ちなら私も備えております。しかし、武永様のお気持ちに比べれば取るに足らないものですから……」


 伊坂は優しげな目をこちらに向けた後、ようやく箸に手を伸ばした。

 だるだるになったカップ麺を、おしとやかに啜っていく。上等な蕎麦でも食べるような仕草だ。


 ……伊坂の姿に見とれている場合ではない。コイツ、いったい何を企んでやがるんだ?

 本気で俺に協力するつもりなのか? まさか、手伝うふりをして土壇場で裏切るとか。

 そもそも俺に好意を持っていることすら嘘で、椿と大仰な芝居を打っていたとか?


 伊坂の真意が見えてこない。どこまでが本当で、どこからが嘘なのか。

 怪しいところならいくらでもあるし、疑い始めたらキリが無いわけだが。


 考えても答えは出ないな。いっそ真っ正面から尋ねてみるか。


「なあ、伊坂は本気で俺のことが好きなんだよな?」


「ええ、嘘偽りはございません」


「なら俺のことが好きだってこと証明できたりするか? 疑うようで悪いんだが、今までの伊坂や椿の言動を考えると簡単には信用できないんでな」


「ええ。仰ることはごもっともで……」


 伊坂はラーメンを啜る手を止めると、床しかないはずの斜め下あたりをじっと見つめ始めた。

 おそらく俺のオーダーした「証明」のための方法を考えているのだろう。


 考えてみれば俺の言ったことはたいがい無茶だな。証明って、そんな簡単に行動で示せるものじゃないし。

 それに、本当に伊坂が俺のことを好きならかなり失礼な依頼だよなあ……ちょっと後悔してきた。

 しかし他に伊坂の気持ちを確かめる方法は思いつかないし……


 俺がうんうん唸っているうちに、伊坂は着ているジャージのジッパーを下ろし始めた。

 伊坂の元々着ていた服はびしょ濡れだったので、俺の部屋着を貸していたのだ。


 シャツ越しでも豊かな胸の形がわかり、思わず目を逸らしてしまう。

 男物のぶかぶかなジャージが折り畳まれ、次に伊坂は着ているシャツをまくり始めた。


 あれ、もしかしてコイツ全部脱ごうとしてないか?


「待て待て伊坂! そういうのじゃなくて!」


「証明と仰るので……私とて、誰彼構わず肌を見せるわけではありませんよ」


「わかった! お前の気持ちはわかったからもういいって!」


「左様ですか……私としてはすべて脱いでも構わないのですが」


「お前が良くても俺が困るんだよ、まったく……」


 文字通り身体を張ってくれたところを見ると、やはり伊坂は俺に惚れているのだろうか。少しは信じてやるべきなのかもしれない。


 ただ、伊坂に限っては貞操観念とか壊れてそうだしなあ……

 結局真相はわからずじまいか。まあ、人の気持ちなんて確かめられるものではないし、そもそも試すこと自体が無礼な話だ。


 それに、もう一つ気になることがある。


「協力するって言っても、どうやって手伝うつもりなんだ? まさか村瀬の気持ちを操れるわけでもなかろうに」


「乙女には様々な手練手管がございますので……」


 再び伊坂はもうほとんど冷めているカップラーメンを食べ始めた。

 一度手をつけた物は最後まで食べるタイプなのだろうか。

 伊坂は性癖がねじくれてるだけで、お育ちは良さそうだもんな……


 最後までラーメンを食べきった伊坂は、手を合わせて机に一礼し、俺の方に向き直って再度頭を下げた。


「美味しゅうございました。このご恩は必ず」


「いや、俺は湯を沸かしただけなんだが……」


 いちいち大げさな奴だな……と呆れていると、伊坂はやおらに立ち上がり、座っている俺の後ろを横切った。


「どうした? どこ行くんだ?」


「お手洗いですが……武永様もご一緒にいかがですか?」


「一人で行け、阿呆が」


 思わず悪態をついてしまったが、今のは余計なことを訊いた俺のデリカシーが無かったな。

 とりあえずカップラーメンのゴミを捨てるか……

 一段落ついて妙に疲れが出てきたが、片付けくらいはやらないとな。


 トイレから戻ってきた伊坂は、座り込んだなりチラチラとこちらの顔色を窺ってくる。

 今度は何なんだ。俺はそんなに気の利く方じゃないし、意を汲み取れる自信は無いんだが……


「またお湯でも飲みたいのか?」


「いえ、申し上げにくいのですが……」


「なんだよ」


「私の身体をあたためていただけないでしょうか……」


 ……また何かの罠なのだろうか。今度こそは騙されんぞ。

 いくら伊坂が抱き心地の良さそうな身体をしているからといって、誘惑に屈する俺ではない。


 わざとらしく伊坂に背を向けて座り直し、キッチン廊下の方を睨んでいると、突如右手に氷のごとき冷たさを感じた。


「うわっ! 何なんだよちくしょう……」


 驚いて右手を見ると、俺の手の甲に伊坂の白く柔らかな手が乗せられていた。

 人体とは思えない冷たさだ。死体とかだとこれくらい冷たかったりするんだろうか。


「何とぞ……」


「ああもう、わかったよ。どうすりゃいい?」


「特に背中が冷えておりますゆえ、後ろから覆い被さっていただけると……」


 伊坂の言う「あたためてほしい」は変な意味じゃなく、文字通り体温を分けてほしいというお願いだったのか。

 雪山で遭難した二人組が抱き合って過ごすことで生き延びた例もある、ってどこかで聞いたことがあるような。


 おそるおそる伊坂の肩から手を回し、彼女の背中と俺の腹をくっつけてみる。


 実際、伊坂の背中はコンクリートの壁のように冷たかった。柔らかな肉と不釣り合いなその温度を肌で感じると、すぐに離れてはいけないように思えてきた。


「あたたかい……私、このまま死ぬれば本望にございます」


「俺の部屋を事故物件にしてくれるなよ。死ぬ前に病院に行け」


「ええ……もう少しぬくもりましたらお医者様へ行きますので、しばしこのままで……」


 いかに変態の伊坂が相手とはいえ、異性の身体に密着しているとだんだん心臓が速くなってきた。

 伊坂は太っているわけではないが肉付きが良く、女性らしい柔らかさがあって余計に意識してしまう。

 しかもコイツ、俺のことを好きなんだよな。


 ああ、いかんいかん。いくら伊坂の気持ちがこっちに向いているからといって、不埒なことをしていい理由にはならないだろう。

 弱っている女の子に手を出すなんて、そんな卑劣漢に落ちぶれた覚えはない。


「あの、武永様」


「な、なんだよ……」


「構いませんよ、私……」


 伊坂の艶かしい囁きに俺の理性が飛びかけた瞬間、突如ドアの開く音が聞こえた。

 驚いて音のした方を見ると、そこには。


「おっと、ボクはお邪魔だったかな……」


 気まずそうな顔で目を逸らす村瀬が立っていた。



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