C3―4 成長痛 その4
椿の発言を聞いても、すぐには理解できなかった。
伊坂が、俺のことを好き? それは「ご主人様」としてって意味じゃないよな。それだったら椿がここまで怒る必要は無いだろうし……
とはいえ、伊坂に惚れられる理由が思いつかなかった。
自分で言っていて少し悲しくなるが、俺は平凡な人間で、強いて人と違うところがあるとすれば、個性的な女の子に好かれやすいことくらいで……
あっ、でも伊坂も「個性的な女の子」ではあるのか。
「そんな理由でキミは友人を拷問にかけたのか!?」
村瀬はまだ怒っているらしい。義憤というやつだろうか。未だに困惑してばかりの俺よりよっぽど男気がある。
「友人だからこそ、ですよ。誰より私の気持ちをわかっているのに、それを裏切るだなんてあり得ないでしょう。私は傷ついてるんですよ、貴女が思うよりずっと」
「それは……」
話しながら椿は俺たちに背を向けた。きっと自分の表情を見られたくなかったのだろう。
普段は妖怪みたいなやつだが、いくらか人間らしいところはあって、とにかく感情を抑えるのが下手なのである。
椿が傷ついたのは事実なのだろう。恋敵である浅井先生やリーちゃん、千佳にだってあそこまで苛烈な攻撃性を見せることは無かったのだ。
本心から伊坂のことを信じていて、頼りにしていた。
だからこそ椿は伊坂の心変わりを許せなかったのだろう。
椿のやったことは許されないが、気持ちは理解できなくもない。
自分の身に置き換えれば、諸星に突然裏切られたようなものだ。ショックで気が動転してもおかしくはない。
「で、でも。伊坂くんだって、キミを傷つけたかったわけじゃ……」
「わかってますよ! そんなこと!」
俺たちに背を向けたまま、椿は急に大声を張り上げた。その声量にまた伊坂の肩がピクリと震える。
「さらちゃんは、先輩への想いを打ち明けた後、何度も何度も謝ってきたんです。申し訳ない、許してほしい、先輩には何もしないからって」
「椿……」
「だから私は余計に腹が立ったんです。まるで先輩を譲ってやるみたいな、その態度に。人を馬鹿にするのも大概にしろ、って」
「だから伊坂くんはそんなつもりじゃ……」
「じゃあどんなつもりなんですか! 謝ったって許すわけないでしょう。まさか友だちに裏切られるなんて、思ってもみなかったんですから」
椿はほとんど涙声で語った。その細い背中に背負いきれないほどの悲しみが漂ってくる。
触れれば割れる泡のようで、かける言葉が思いつかなかった。
しばしの沈黙の後、動き出したのはまたしても椿だった。
俺たちが身構えている間に一歩、二歩、と足が遠ざかっていく。ヤツが向いている方には玄関ドアがあるのだ、そのまま外に出るつもりだろう。
「待てよ椿……!」
一歩踏み出そうとするが、なぜか抵抗がかかって足を進められない。
伊坂が、追いかけようとした俺のズボンを掴んでいるのだ。
追いかけるな、という意志だけは伝わるが、なぜ追ってはならないのかわからない。
そりゃ椿を捕まえたところでどんな言葉が慰めになるかわからないけど。
でも、ここでアイツを一人にするべきじゃない気がするのだ。
「村瀬、頼んだ」
「ああ……!」
もうドアから身体が半分出ている椿を、遅ればせながら村瀬が追いかけていく。
椿の足が速いとはいえ、この距離ならまだ追いつけるだろう。
村瀬がケガしないかだけは心配だが、しかし弱っている伊坂を放っておくわけにもいかないしな……
未だ空気の重い部屋に残されたのは、俺と伊坂の二人だけ。
しかもカミングアウトの後だ、なおさら気まずい雰囲気ではある。
とりあえず、村瀬に言われたとおりカップラーメンを作るか……
村瀬の口ぶりからすると、低体温症の人間には温かい食べ物でエネルギー補給をさせるのが適切なのだろう。
キッチンの棚からカップラーメンを取り出し、沸かしたお湯を注いでやる。
見ていると俺まで腹が減ってきそうだが、ここは空気を読んで我慢するべきだろう。
カップに手を添えて真っ白な肌を温める伊坂を眺めていると、彼女が遠慮がちに口を開いた。
「あの……ご迷惑でしたでしょうか」
「椿が滅茶苦茶するのは慣れてるからな、別に気にしてないが」
「いえ、そうではなく……」
ためらいがちにうつむく伊坂の表情を見て、ようやく彼女の意味するところがわかった。
なるほど「そっち」か。俺もつくづく鈍い男だ。
自分に好かれてどう思ったか、伊坂は訊いてみたかったのだろう。
そりゃあ気になるよな。恋をする人間としては自然な感情だ。
正直な気持ちを言えば、全然迷惑だなんて思わない。伊坂も多少、いやかなり変人ではあるが、だからってその好意を煩わしく思うつもりなんてない。
椿みたいに嫌がらせを仕掛けてくるタイプではないし、直接的な迷惑をかけられることはなさそうだしな……
それに、伊坂は塾でもそこそこ評判の和風美人ではあるのだ。特殊な癖を除けば魅力的な女性ではある。それこそ、俺も一度は篭絡されかけたぐらいだし。
そんな女性に好かれて嫌なはずもない。ただ、しかし……
「迷惑なんて思ってねえよ、でも俺は……」
「私の気持ちにはお応えいただけない……そうでしょう?」
とっくに3分過ぎたカップラーメンを抱えながら、伊坂は寂しそうに笑った。
こんなに物憂げな笑顔は見たことがない。失恋する人間を間近で見ることなんてそうそうないのだから、当たり前なのだが。
「……悪い」
「いえ……恋心には罪も咎もありませんから」
「そうだな、謝るのも違うか」
「それに、武永様の気持ちが村瀬さんに届くのかわからない以上、まだ私も諦める必要はありませんゆえ」
「それもそうか……って待て。俺が村瀬を好きだなんて言ったか?」
「ほほ……見ればわかりますよ。椿さんも、うっすら気づいてはおりますが、認めたくはないようで」
まさか伊坂に気づかれていたとは……ただの快楽主義者でもないんだな、コイツ。
思い返せば、初めて会った時から策を弄してきたような奴だ。
愚直な俺の思考を読むことくらいはたやすいのだろう。
しかし伊坂からすれば村瀬は恋敵になるわけか。厄介な相手が増えることになるな。
「椿だけじゃなく伊坂も敵に回ることになるのか……大変だな」
「敵などと仰らないでください……私は貴方様の奴隷。忠実な僕として、貴方様の恋路を応援させていただけないでしょうか」
「は?」




