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C3―1 成長痛 その1

 未だに村瀬の誤解がとける気配はない。どころか、彼女の中では日に日に確信が深まっている様子である。

 まあ、ありのままを話せない俺の側にもいくらか問題はあるのだが……


「だからさ、伊坂とはそういう関係じゃねえって」


「じゃあキミはどの子が好きなんだい? 良子ちゃんじゃないんだろ?」


「そ、それはだな……」


「いや、キミの事情もわかるよ。キミと伊坂くんと良子ちゃんは同じところでバイトしてるんだろう? そんな場所で三角関係になったら困るだろうしね。大っぴらにできないのは当然だ」


「だから違うんだって! 伊坂はただの変態で、俺は付き合わされるだけで……」


「でも時々二人で会ってるんだろう? それも椿くんから隠れるように密会してるようだが」


「それも事情があってだな……」


 という会話を何度繰り返しただろうか。俺が村瀬を好きなんだって一言告げれば済む話なんだが、この流れだと信じてもらえそうにもない。

 俺も口が上手い方じゃないからうまく説得できないし、何よりあんなところで「現行犯」として見つかったのも良くなかった。

 今さら後悔してもどうにもならないんだが……





 プライベートがどうあれ、大学の講義には粛々と出席せねばならないのが大学生のつらいところだ。


 今日は教育学にまつわるディベートを行う講義。村瀬も出席していて、今日は同じ班で討議を行う。


 議題は「多様化する現代社会の中、初等教育においては『陶冶』と『訓育』どちらに重きを置くべきか」という答えの出しにくい内容だ。


 「陶冶」とはざっくり言えば教育によって能力を伸ばすことを言い、一方「訓育」は教育によって人格を育成することを指す。

 「そんなもんどっちも大事じゃねーか」と言えばそれまでなのだが、学校教育の中で使える時間は有限であるため、「どちらにより重点を置くか」は永遠の課題なのである。


 たとえば小学校の授業科目で「総合学習」において「陶冶」にあたるIT技術を学び、一方「訓育」としてインターネットハラスメントについて考える授業を行うとする。

 授業が奇数回数しかなければ必然どちらかを多くしなければならないが、さあどっちを選ぶべきか。


 今から俺たちはそんな内容のディベートを行わねばならない。


 そう言えば村瀬と初めて出会った時もディベートが実施されて、そこでアイツと口論になったっけか……

 いま思えば懐かしいな。まさかその論敵とこんなに仲良くなるとは思わなかったが。


 村瀬は弁舌の立つ方なので、意見が同じだと助かるのだが、今日は果たしてどうだろうか。


「やはり『訓育』に時間を割くべきだね。多様化する社会において、人権について学ぶ機会は多ければ多いほど良い。頭の柔らかい小学生のうちから人権尊重の基礎をしっかり身につけておけべきだとボクは思うね」


 うむ。実に村瀬らしい答えだ。それに意見自体も真っ当な内容になっている。

 以前のように大演説を披露するのではなく、反論を受け入れるような話し方になっている点も評価できる。

 ロリィタ服さえ着ていなければ、ほとんどまともな人間だ。


 まあ、俺は別の意見を持っているのでしっかり反論はさせてもらうわけだが。


「村瀬の意見はわかるよ。でもさ、多様化する社会で生徒が少しでも生きていく力を養うためには『陶冶』も多ければ多いほどいいんじゃないか? そりゃ人権だって大事だろうが、人間働かなきゃ生きていけねえんだから。生活能力に直結する学習だって大事だろう」


「もちろん教科書的な勉強も大事さ。でもそれは塾や参考書でも学べることだろう? 『訓育』を学校以外で学ぶことの困難さを鑑みると、やはり『陶冶』より優先すべきだと思うね」


「いや、むしろ『訓育』は家庭とかで学ぶべきことだろ。人格形成が大事なのはわかるけど、親なり親戚なり近所の大人から学べることも多いんだから、専門資格を持った教師は『陶冶』に力を入れるべきなんじゃないか?」


「みんなが幸せな家庭環境で育つなら確かにそれでいいんだろうね。でも現実はそうじゃない。少数ではあるが、家では最低限の倫理観すら学べない子だっているんだ。そういった子どもを取りこぼさないのが公教育の役目じゃないかな」


 うーん……俺自身も間違ったことは言ってないつもりだが、これ以上村瀬の主張に反論できる余地は思いつかない。


 どちらの主張が正しいとかではなく、単純にここが俺の限界なんだろう。

 結局、俺より村瀬の方が教育に対する熱意が強いんだろうな。

 俺は村瀬のそういう真摯なところが好きだ。見習いたいとも思っている。ただ……








「いやあ、今日も白熱したね。やはり武永くんとの議論は良い。他のみんなも真剣に取り組んでくれたし、やはりボクはこの学部が好きだな」


「はは、そりゃ良かった。それにしてもお前、ちょっと丸くなったよな」


「誰かさんのお陰でね。教師たるもの、同僚とも仲良くやれなきゃいかんと思えるようになったんだよ」


「ふーん……」


 目をキラキラさせながら村瀬は先ほどのディベートの振り返りを続けている。

 俺は紙パックのコーヒーを啜りながらそんな村瀬をぼんやりと眺めていた。

 広い空き教室には俺たち以外の人もいたが、俺たちに注目が集まっているわけでもなさそうだ。

 みんな思い思いに青春を膨らませているのだろう。大学のこの空気感はなんとも心地がいい。


「それで武永くんは中学か高校、どっちの教員を目指すんだい? ボクはやっぱり中学生かな。子どもは生意気なほど可愛いからね」


「あー、いや……ちょっと迷っててな」


「まさか小学校教員かい? 難関だとは聞くが、キミには結構向いてるかもな。今だって塾で小学生を教えてるんだろう?」


「そうじゃなくて、その……」


「んん?」


 怪訝そうな表情で村瀬は大げさに首をかしげた。彼女の頭に乗っかったヘッドドレスが落ちかねない勢いだ。

 まだ余計なこと言わない方がいいかな。でも村瀬には本音を話しておきたいしな。


 うん、やっぱり言っとくか。


「俺、やっぱり教師目指すのやめようかな、って」


 

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