C2―3 HOLIDAY その3
「い、いや違うんだ村瀬、これには深い訳が……」
村瀬はうろたえる俺を一瞥した後、伊坂と紙袋に目をやり、さらにいかがわしいビルと俺たちを見比べてから、小刻みに頷いた。
「わかった。全部わかってしまったよ、武永くん。なるほど、パズルのピースが嵌まったような爽快感だな」
「わかってくれたか、村瀬……」
「ああ。最近のキミが良子ちゃんの話を振ってもつれないのはこういう理由か。なるほどなるほど……」
腕組みをしながら目をつむり、小さく頷く村瀬。本当にわかってるのかコイツ?
なんだか嫌な予感がする……
「武永くん、お幸せにな」
「待て待てなんか勘違いしてねえか?」
「いや、いや。隠そうとしなくてもいいんだ。確かにサド・マゾの性癖は一般的に理解を得にくいものだろう。そういった形の恋人関係はアブノーマルなものとして見られるしね。しかしボクはキミたちの味方だよ」
「だから違うって! 伊坂とはそういう仲じゃねえんだよ!」
「私とは遊びの関係だったということでしょうか……?」
「お前は口を挟むな!」
まずい。村瀬は俺たちをSMプレイに興じるカップルだと思い込んでいるらしい。
この誤解を解く方法……そうだ! この関係のいびつさを村瀬に見せつけてやろう。一種のショック療法だ。
カップルではなく主従関係であると理解してもらえれば、多少事態は好転するかも……
「オイ伊坂、紙袋の中身を見せてやれ」
「しかし……」
「いいから、出せって」
伊坂が遠慮がちに首輪を取り出すと、村瀬はひきつった笑顔を浮かべた。
寛容なふりをしても生々しい現物を見せられてはたまらないだろう。気持ちはわかる、俺だってさっきまで店の中にいて、似たような気持ちを味わっていたから。
この首輪が象徴するように、俺は伊坂の異常性癖に付き合っていただけで、それ以上の関係ではないのだ。
対等なカップルがわざわざ首輪なんて用意するわけないしな……
「す、素敵なアクセサリーだね……」
「流石お目が高い……こちらは武永様が私に下賜くださったもので」
「そうなんだよ、この変態にねだられて仕方なくな。俺にはこんな趣味ねえのに」
「武永くん、キミは……」
村瀬は目に涙を浮かべ、俺を見つめている。ロリィタ服のフリルが小刻みに震えているのを見るに、村瀬はどうも俺に同情してくれているのだろう。
ああ、ようやく俺の苦労をわかってもらえただろうか。椿に対抗するためとはいえ、伊坂の性癖に付き合うのも楽ではないのだ。
「わかったか村瀬。俺は嫌々付き合ってるだけで……」
「ああ、武永くん……キミは、なんて素晴らしい人なんだ!」
「はあ?」
感極まった村瀬が俺の両手を掴む。ちょっと照れてしまうのだが、そんな下心を持っている場合じゃない。
「素晴らしい」? 何がどう「素晴らしい」って言うんだ?
「ど、どうしたんだよ村瀬……」
「ボクはキミたちの、いや、キミの愛の深さに感動しているんだよ! 武永くん、キミはサドっ気が無いにも関わらず愛しい伊坂くんの癖に向き合っているんだろう? 素晴らしく美しい真心じゃないか!」
「いや、だから違うって……」
「武永様……そんなにまで私のことを……」
「お前まで勘違いしてんじゃねえよ! 伊坂のことは気色悪い変態としか思ってねえって!」
「なるほど、これもプレイの一環かな? 奥深い世界だね」
村瀬はそう感心しつつ、薔薇の刺繍のついたハンカチで涙を拭っている。困惑のあまり伊坂の方を振り返ると、ヤツまで感涙しはじめている。
もうグダグダだ。この勘違いを解く方法が思い浮かばない。
いや、諦めるな。まだ何か方法があるはずだ。何か、どうにか……
「おっともうこんな時間か、お茶会に遅れてしまう。それではボクはこの辺りで失礼するよ」
「失礼するな! 違うんだって! 俺は、伊坂とは……」
「ふふ、ノロケ話ならまたじっくり聞かせてもらおうかな。せっかくのデートを邪魔して悪かったね」
「ご機嫌よう村瀬さん……道中お気をつけて」
「ああ、それでは」
「ちょっ、待っ……」
背を向ける村瀬を追いかけようと駆け出した瞬間、何かにつまづいてスッ転んでしまった。
肘をしたたか地面に打ちつけ、痛みのあまりすぐには動けない。
痛みが収まってから足元を確認すると、伊坂の首輪に付属する長いチェーンが足に絡まっていることに気がついた。
クッ……この首輪のせいで今日は散々だ。こんなもの買わなきゃ良かった。
「お怪我、なされていませんか……?」
「お前のせいであっちこっち重傷だよ……どう落とし前つけるんだ」
「申し訳ございません……小指でしょうか腹でしょうか、お好みの方を切り裂きますが……」
「できればお前との縁を切りたいんだが……」
「無念です。ではせめて最期に、首輪で私を市中引き回しの刑に……」
「しねえよ!」
まったく……隙あらば虐められたがるから油断ならない。
俺は伊坂を痛めつける度にいちいち罪悪感を覚えているのだが、お構い無しだもんなコイツ。
「村瀬さんに勘違いされてしまいましたね……」
「ほんと最悪だよ。アイツ思い込み激しいしなあ」
「私のような醜女が相手と思われては武永様にご迷惑ですものね……申し訳ございません」
「いやそういう問題じゃなくて……だいたいお前は美人だろ」
「またまたお戯れを……」
「変態マゾ豚じゃなければ伊坂は魅力的な女性だと思うぞ、俺は。外見だけじゃなくて、品も教養もあるし」
「そうでしょうか……」
誉められたことに不満でもあるのだろうか、伊坂は眉間に皺を寄せてうつむいている。
なんだコイツ、罵倒されたら喜ぶくせに誉められるのは嫌なのか?
ちょうどいいや。伊坂のせいで今日は酷い目に遭ったのだ、ちょっとくらい仕返しでもしてやるか。
「伊坂、お前はできた人間だよ。塾でのバイトもよく頑張ってるし、実は生徒に慕われてるって知ってたか?」
「やめてください、そんな……」
「プレイの一環でお前の働きぶりを貶してるけど、本当はお前のことちょっと尊敬してるんだぜ。この前だって国語嫌いな生徒のために読みやすい小説探してたろ? 普通あんな熱心になれねえよ」
「お賃金に見合った働きをすべきと思ったまでで……」
「あとお前、頼まれてもないのに教科書棚の裏まで掃除してただろ。仕事熱心すぎてこっちまで身が引き締まるわ」
「そんなところまでご存じだなんて……」
どんどん伊坂の声が小さくなっていく。いつものやかましい喘ぎ声はどこに行ったのやら、どんどん萎んでいきやがる。
落ち着かないのか何なのか、両手を胸の前でこすり合わせてばかりいる。
いい気味だ、ちょっとくらい反省しろ。
にやけ顔をこらえつつ、うろたえる伊坂を眺めていると、ふいに彼女の足元に水滴が落ち始めた。
「伊坂お前、泣いてんのか……?」
「あっ……いえ、これは、その……」
ちょっと意地悪しすぎたかな。今日はこの辺にしといてやるか。
まだまだ誉めるところはあるんだが、それはまた今度にしておこう。
あんまり苛めても可哀想だしな。
「あー……別に本気でお前に怒ってるわけじゃねえから気にすんな。さて、村瀬の誤解はどうしたもんかなあ」
「あの、武永様……」
「なんだよ」
「あり……ござ……ます」
「モゴモゴ言っててよく聞こえねんだが……まあいいや、疲れたしもう帰ろうぜ」
「いえ、何でもございません……そう、何でも……」
この時の俺は、まだ気づいていなかった。伊坂の頬がほんのり赤くなっていることに。




