B5―2 ジャーミネイション その2
「わたしは別に怒っていませんが、せめてナガさんには謝ってもらえませんか。わたしはともかく、ナガさんはずっとあなたのためを思って遊びに付き合ってきたんですよ」
「謝る……? な、なんで?」
「理由がわからないなら考えてください。脳が沸騰するまで。中身の無い謝罪ほど無意義なものはありませんから」
「やっぱり莉依ちゃん怒ってるよね……?」
「怒ってません。ただ」
リーちゃん、「ただ」と言ったあと喉に何かが詰まったかのように言葉を溜めた。
この先の台詞は、きっと彼女からしても言いたくないことなんだろう。
「あなたのことを、初めて軽蔑しました」
場に重い沈黙が流れる。能天気だった麻季ちゃんも、ここまで言われればさすがに黙らざるを得ない。
リーちゃんの側に立ってこのまま麻季ちゃんを責め続けることもできるのだが、なんとなくそれはしたくなかった。
これ以上責めたところで得るものも無さそうだし……
脇腹を嫌な汗が伝う。俺はいつしか麻季ちゃんのことを友達みたいなものだと思い込んでいたが、彼女にとってはそうではなかったのだろうか。
悲しいような、虚しいような。胸に空いた穴に冷たいすきま風が吹き込んでいるような気分だ。
「もういいですかね、ナガさん。長居しても無益に思えてきました」
「いや、まあ……そうなんだが」
「そうだね……二人とも早く帰れば? わ、私は悪くないし、謝る気もないから」
「うーん……」
さっきから麻季ちゃんの物言いが妙に引っ掛かる。わざとらしさ、というか。どこかとぼけているように感じるような。
「ナガさんがどうあれ、わたしはお暇します。くれぐれもお身体に気をつけて」
「ちょっ、待ってくれリーちゃん! 俺も帰るから」
立ち上がったリーちゃんは振り向きもせずスタスタと玄関口へ向かう。
俺も遅れまいと後を追ったため、後ろにいる麻季ちゃんの表情を確認することは叶わなかった。
暗い夜道を二人黙って歩き通し、ふたたびリーちゃんの家まで戻ってきた。
部屋の中は少しあたたかったが、冬の夜だけあって身体の芯はまだ冷えていた。
「麻季ちゃんはなんで俺たちを裏切ったんだろうな」
「さあ。まあ、あの人は元々姐さん側の人間ですから、別に裏切られたとも思いませんが」
「でもリーちゃん、さっきキツいこと言ってなかった?」
「それは別の理由です」
「そうか……」
リーちゃんの部屋の座布団に腰を落とすと、もう立ち上がることすら億劫に思えてきた。
昨日から色んな出来事が起こりすぎて、そろそろ頭がパンクしそうだ。
目先の問題が一応解決して、安堵した気持ちもあるのだろう。だんだん力が抜けて、このまま床に沈んでしまいそう……
「俺は今でも信じられねんだよな……まさかあのポンコツ麻季ちゃんが俺たちをうまくハメたなんて」
「あの人は愚かですが、馬鹿ではないですよ」
「そうか?」
「ええ。よく考えてみてください、あの人がどれだけギャンブルのルールに精通しているか」
「えっと……競馬に競艇、競輪に麻雀、ポーカーにバカラ、バックギャモンとかもできるって言ってたか。言われてみればかなり器用だな」
「器用貧乏とも言えますが、相応の頭があるのは事実でしょう」
「でも優れた頭脳の割には弱くないか?」
「ギャンブルにおいては知能以上に重要なのものがありますからね」
「え? そんなもんあるか?」
「はい。『メンタルコントロール』です」
リーちゃんは胸のあたりをポンポンと叩いて示した。
確かに、心拍が異様に早まった状態では優秀な脳もエラーを起こすか。
リーちゃん自身がメンタルの安定した強者なので、説得力もある。
「その点で言えば麻季ちゃんは底辺レベルだよな。勝ったら浮かれるし、負けたら無理な逆転を狙おうとムキになるし」
「負けそうな時にちゃんと撤退することがギャンブルの真髄ですしね。勝ち方よりも負け方が大事、なんて言葉も聞いたこともあります」
なるほど。メンタルのぶれやすい麻季ちゃんはギャンブルに向いていないのはよくわかる。しかし逆に言えば、ギャンブル以外のことであれば彼女も真価を発揮できるということだろう。
「俺たちを追い詰めたのが麻季ちゃんの真の実力ってことか」
「ええ。今回は自分の勝負ではなく姐さんの勝負だったので、マキマキさんも冷静に戦えたんでしょうね」
「なるほどなあ……」
麻季ちゃんの隠れた厄介さはよくわかったが、それにしてもあの子の無責任な態度には面食らった。
確かに性格のいい子ではないが、あそこまで意地悪な性格だったかな……むしろ愛すべきポンコツだったような……
どうにも腑に落ちず首をひねっていると、立ち上がったリーちゃんに頭を撫でられた。
手の柔らかなぬくもりが頭を通して伝わってくる。
「今日はもうお疲れでしょう。お風呂でもどうですか」
「そう、だな。とりあえずリーちゃん先に入ったら?」
「いえ、わたしはナガさんに風呂に入ってほしいのです。さあ。さあ」
「圧が……! 圧が強い……! 俺は後でいいんだけどなあ」
「いっそ一緒に入りますか」
「それはまずいだろ!」
「なぜ?」
「……よく考えたらまずくはないな。付き合ってるもんな。つい勢いでツッコんじゃったけど」
「ありますよね。そういう時」
リーちゃんの身体が小さいからか、狭い湯船でも二人で浸かれるものだ。
もちろんすべての疲れが取れるわけじゃないが、風呂とリーちゃんの癒し効果で少し心が休まった。
椿のこと、麻季ちゃんのこと、気がかりは色々あるが、こうしてリーちゃんのすぐそばにいられる幸せがあれば十分生きていけそうだな……
それからしばらくは椿とも麻季ちゃんとも会わない日々が続いた。
休日はリーちゃんと出掛けたり、平日なら諸星もまじえて空き時間に話したりと、今までの動乱が嘘みたいに平和な毎日だった。
でも、そんな平穏は長くは続かないもので。
「武永さん、ちっちゃい彼女ちゃん、助けてほしいっす」
「我々では力及ばず……情けない限りでございます」
金曜日。四限を終えたリーちゃんと二人で帰路を歩いていたところ、物陰から飛び出してきた変な連中にいきなり道を塞がれたのだった。
現れたのは椿の友人である「酒クズ」のモアちゃんと「マゾヒスト」の伊坂。
うーん……また厄介なことになりそうだ。




