B5―1 ジャーミネイション その1
リーちゃんの言う黒幕が何者なのか、俺にはさっぱりわからない。色々考えてみたが、今回はやはり椿一人の暴走に思えてくる。
遠回しにリーちゃんの精神をいたぶるなんて、確かに椿らしくない手法ではあったが、そこまで邪悪なことを企てる人間が他にいるだろうか?
「なあリーちゃん、いったい何に気づいたんだ?」
「気づいた、というより『今日まで気づかなかった』と言った方が正確ですね。油断しすぎていたんですよ、わたしもナガさんも」
「油断……」
「ええ、まさに。人を侮るものではありませんね。勉強になりました」
リーちゃんは一人で感心しているが、さっきから誰の何の話をしているやらわからない。
俺がにぶすぎるのか、あるいはリーちゃんが鋭いのか。
二人で歩き続けていると、遠くで車のクラクションの鳴る音が聞こえた。やけに長い警告音だ。
夜はよく音が響くもので、耳障りな音が鼓膜に張りついてなかなか消えてくれない。
「で、これはどこに向かってるんだ?」
「元凶の人が住んでる家ですよ。何度か通ったことありますよね、この道」
そう言われて、リーちゃんがある方向へと進んでいることにようやく気づいた。
でもこの方向って、アイツの家がある場所なんじゃ……
でも、まさか、アイツが俺たちを陥れるだなんて。にわかには信じられない。
「もしかしてこっちの方向って……」
「お気づきですか。そうです、『あの人』の家です」
「すまん、まだ信じられないんだが……」
「しかし事実なのですから仕方ないでしょう。気持ちはわかりますが」
商店街を抜け、どんどん西へ向かっていく。途中で一度小道に入り、そこを抜けて次の区画へ。
それから小人の置き物のある住宅を横切り、二つ目の曲がり角を右へ。
そしてたどり着いたその場所は。
麻季ちゃんの住むマンションの前だった。
「嘘だろ……」
「嘘であってほしかったですね。わたしもマキマキさんがここまで面倒な人だとは思っていませんでしたから」
「だって、いつもリーちゃんに負けてメソメソ泣いてる麻季ちゃんだぜ? アイツが、俺たちを別れる寸前まで追い込んだなんて……」
「だからこそ、ですよ。警戒していない人間ほど討ち取りやすい生き物はいませんから」
うだうだ言いあっているうちに、もう玄関のオートロックの前に着いてしまった。
ほとんど新築同然の小綺麗なマンションだ。幾度か部屋に上がらせてもらったこともあるが、別段怪しいところの無い快適そうな住空間だった。
ヒビ一つ入っていない白いコンクリート壁を見るにつけ、とても椿に近いレベルの陰険さを持つ人間が住んでいる場所とは思えない。
まあ、よく考えてみれば、優れた環境に住む人間が心まで美しいとは限らないのだが……
リーちゃんは少しもためらわずインターホンを押す。
仮に麻季ちゃんが黒幕だとすればわざわざ応じてくれないような気もするが……
そんな俺の杞憂をよそに、オートロックの開く音が聞こえた。
インターホンのカメラ越しに、麻季ちゃんが俺たちの姿を認めたのだろう。
ずいぶんあっさり開けてくれるものだな。手応えが無さすぎて逆に不気味ですらある。
新築の匂いがするエレベーターで7階まで上がり、玄関ドアのベルを鳴らすと、笑顔の麻季ちゃんがドアを開いて現れた。
「こ、今回は結構白熱しましたね……もうちょっとだったんだけどなあ……あっ、とりあえず上がっていきます?」
俺たちに陰湿な嫌がらせを仕掛けた人間とは思えないほどの馴れ馴れしさで、麻季ちゃんは俺たちを迎え入れた。
そのままリビングに通されたので、リーちゃんとともに正座しながら待つ。少しすると茶菓子を用意した麻季ちゃんが俺たちの対面に座った。
「麻季ちゃん、もてなしてくれてるところ悪いけど、今回の件はちゃんと釈明してもらおうか」
「釈明? いつも通り遊んでただけですけど……」
「遊びって……お前なあ、どれだけリーちゃんが傷ついたかわかってんのか?」
「私も莉依ちゃんに負けるたび傷ついてたので、それと何が違いますかね……」
「全然違うだろ! なあリーちゃん」
話を振ってみたもののリーちゃんはさっきからずっと黙っている。
いつも通り無表情なせいで彼女が何を考えているのかわかりづらい。
能天気なことをぬかす麻季ちゃんに怒りを覚えているのか、あるいは呆れ返っているのか。
いずれにせよ、しばらくは俺が麻季ちゃんを詰問する必要がありそうだ。
「あのなあ、お前のお陰でこっちは人間関係まで壊れそうだったんだぞ。やっていいことと悪いことの区別ってあるだろ」
「私みたいな雑魚に崩される程度の関係なら、放っておいてもいずれ崩れるでしょうし……」
「だからって正当化される行為じゃないだろ。椿にアドバイスして俺たちを別れさせようとするなんて、陰湿にも程がある」
「か、買いかぶりですよ……確かに私は、椿ちゃんに武永先輩と契約を交わすよう提案はしましたけど、実行したのは椿ちゃんですからね……気にくわないなら裁判でもやってみますか? そういう勝負も面白いかもですね」
「あのなあ……俺たちに対して罪悪感とか無いのか?」
「私は椿ちゃんを手助けしたかっただけなんですが……そんなに変ですか? 親友の恋路を応援するのは」
「人の仲を引き裂いてまでやることじゃないだろ……」
「結果だけ見ればお二人は今も仲良しなんでしょう? なら問題ないのでは……」
ダメだ。根本から価値観が間違いすぎて会話にならない。価値観というか倫理観か?
元々性格の良い子だとは思っていなかったが、ここまでとは……椿とはまた違う種類の人格破綻者かもしれない。
モアちゃんや伊坂のようなわかりやすいクズムーブをしてこないので油断していたが、この子も相当歪んでやがる。
今回は椿を退けることができたが、こんな厄介な人間が椿のそばにいては、またタチの悪い妨害工作をされるかもしれない。
何とか麻季ちゃんを改心させたいものだが、どうしたものか……
俺が渋い表情を浮かべていると、麻季ちゃんは不思議そうな目で俺の顔を覗きこんだ。
そんな純粋な目で見られても絶望感しかないんだが……
まともに会話を続けても話が通じる気がしない。あまりの手応えの無さに、だんだん背筋がうすら寒くなってきた。
俺が言葉を失っていると、ついにリーちゃんが重い口を開いた。




