B4―4 ララミー造山運動 その4
リーちゃんの部屋のドアは鍵が開いていた。いや、開けてくれていたと言うべきか。
お邪魔します、と声だけかけて上がらせてもらう。
キッチンとリビングを分け隔てるドアがあるため、まだリーちゃんの姿は見えない。
不安が無いわけじゃないし、未だにどんな顔をして会えばいいのかわからないが、それでも逃げるわけにはいかないのだ。今度こそは。
そして二つ目のドアを開くと、ベッドの上に彼女の姿を見つけた。
じゃがいものようなキャラクターのぬいぐるみを抱いて、三角座りで小さくなっている。俺が部屋に入っても目を合わそうとはしてくれなかった。
「すまんなリーちゃん、何から話せばいいやら……まず俺の置かれてる状況から説明をさせてもらいたいが」
「いえ、だいたいのことはわかるので結構です。椿の姐さんに脅されていたんでしょう。わたしに危害を加えるとか何とか」
「あ、ああ……それはそうなんだが……」
そこまで理解しているなら、リーちゃんが怒っているのは何故だろう。
リーちゃんより椿を選んだと思われたのだろうか。そんなつもりはまったくないが……
「聞いてくれリーちゃん、俺は君を守ろうと思って……」
「そこが違うんです」
ようやくリーちゃんが俺の方へ目を向けた。思わず正座になってしまう。
彼女はいつもの無表情ではあるが、目に熱いものが宿っているように見えた。たたえている感情は怒りなのか、あるいは……
「違う、っていうのは?」
「わたしはナガさんのお姫様になりたいんじゃなくて、相方になりたいのです」
「相方……」
「ナガさん、わたしはそんなに頼りないですか」
無表情なはずのリーちゃんの目から涙が溢れてきているように見えた。
ベッドは濡れておらず、実際に泣いているわけではなさそうだが、そのくらいの気迫を感じたのだ。
目をつむり、今までのリーちゃんとの日々を思い返してみる。
考えてみれば、俺が彼女を守ってやれたことなんてないのかもしれないな。
むしろリーちゃんに励まされることの方が多かったような。迷い家の時も、べとべとさんの時も。
それからリーちゃんは、時々椿に挑もうとする姿勢を見せていたな。
俺が勝手に彼女を弱い人間だと決めつけて、むやみに庇おうとしていただけなのか?
よくよく考えてみれば、意志も意思もある彼女に対して失礼な話なのでは……
俺が謝ろうとすると、リーちゃんは手を前に突きだしてそれを制した。
そうか。彼女がいま欲しいのは謝罪の言葉なんかじゃないんだ。
ようやくわかった。俺がどう振る舞うべきか。
「リーちゃん、これからは一緒に戦ってくれるか」
「喜んで。前にも言ったでしょう、地獄行きでも付き合いますよ」
「ありがとうな……俺はリーちゃんのそういうところも好きだったんだな、もっと早く気づけばよかった」
「わかってくれればいいんです」
リーちゃんはじゃがいもに手足が生えたようなぬいぐるみを置き、俺のそばまで降りてきた。
長年連れ添った飼い猫のように、自然な流れで身をすり寄せてくる。
無意識に手が伸び彼女の頭を撫でると、ふわりとした髪の感触が伝わってきた。
それにしても、今日のリーちゃんはいつもよら密着度が高い。その身体から伝わる柔らかさに少しドキリとした。
諸星が変なことを言うから余計に意識してしまうのだろう。
この心臓の鼓動が彼女にバレていなければいいが。
リーちゃんと目が合うと、彼女は恥ずかしそうに少し目を逸らした。
たぶん、俺の感情が伝わっているのだろう。今までに無いタイプの妙な雰囲気が醸成されている。
初めてカップルらしい空気になってきた気がする。
「ナガさん、今日は泊まっていきません?」
「そうしたいけど、椿が乗り込んでこねえかな……」
「その時はその時ですよ。二人で怒られましょう、一緒に」
「そうだな……ありがとう」
リーちゃんと目を合わせ、互いにクスクスと笑う。くすぐったいような、愛おしいような生ぬるい空気。
彼女の肩を抱くと、愛着がさらに膨らんできた。
今は、今だけは、何もかも忘れて二人だけな時間を過ごしたい。きっと彼女も同じ気持ちだろう。
結局、夜をまたいでも椿からの連絡は無かった。リーちゃんの家にいることはバレておらず、俺がネットカフェかどこかに泊まったのだと思っているのかもしれない。
まあ、椿がそう思い込むのも無理はない。諸星の助言が無ければ俺だって勇気が出なかっただろうし。
リーちゃんはまだ隣で眠っている。まだ朝の6時だし、このまま起こさずに出てしまった方が良いか。
朝もゆっくり過ごした方がカップルらしい気はするし、何より俺自身まだリーちゃんと過ごしていたいのだが、そうも言っていられない。
俺にはまだやるべきことがあるのだ。
ベッドから起き上がり服を着直していると、リーちゃんが薄く目を見開くのが見えた。
「むにゃ……行ってらっしゃい、です」
「ああ、行ってくる。待っててくれ」
「はい。信じてます」
それだけ言って、リーちゃんはまた頭を枕に落とした。
今の俺たちにはそれだけの会話で十分なのだ。
「あら先輩、朝帰りですか。昨夜はお楽しみだったようで」
「お陰さまでな」
家に帰ると、椿が人の机で勝手にモーニングコーヒーを嗜んでいた。
ヤツの顔色を見るに、昨晩はあまり眠れていないらしい。
さすがに俺の様子が気になっていたか。怪物に思えるコイツもやっぱり人間なんだな。
「で、どちらでお過ごしだったんですか? 妻たる私には知る権利があると思うのですが」
「リーちゃんの家だよ」
「へえ?」
にわかに空気が寒くなったのを感じる。椿からのじっとりとした視線が身体にへばりつくようだ。まあ、今の俺はこの程度で取り乱すこともないのだが。
「では莉依ちゃんとどんな夜を過ごされたか教えてください。嘘はナシですよ」
「ああ、教えてやるよ。存分にな」
コートだけ脱いで椿に近づくと、ヤツも立ち上がって身を固くした。さすがの椿でもこれから何が起きるか想像できていないらしい。珍しく困惑した表情だ。
立ち上がった椿の左手首を掴み、強引に引き寄せる。
「先輩、何を……」
「うるせえ。少し黙ってろ」
キスで椿の口を塞いだ俺は、そのままヤツをベッドに押し倒した。




