B4―3 ララミー造山運動 その3
「何すんだテメェ……」
体勢を立て直し、殴りかかってきた諸星に掴みかかろうとすると、今度はローキックが飛んできた。
バシン! と横ふくらはぎに打撃音が響く。今度はさすがに耐えられず、左半身をしたたか地面に打ちつけてしまう。
全身、特に殴られた頬と蹴られたふくらはぎがジンジンと痛む。あまりに容赦のない威力だ。
諸星が殴りかかってきた理由はわかっているが、ここまでやることはないだろう。
「いってぇ……クソッ、加減しろよ」
フラフラと立ち上がりながら諸星を睨むが、奴はヘラヘラと笑っている。
人を殴りつけて笑みを浮かべるなんて、俺の親友はサイコパスだったのか?
「目ぇ覚めたかあ、武永」
「ずいぶんな挨拶だなクソ野郎」
一発ぐらい諸星にお返ししてやろうかと思ったが、またカウンターを食らいたくはないのでなんとかこらえる。
何人かの野次馬が遠巻きに俺たちの動向を窺っているが、構っている暇はない。
まず目の前の相手とぶつからねば。
「女を泣かせる奴こそクソ野郎だろうがよお」
「お前にだけは言われたくねえよ」
「俺ぁな、お互い遊びだってわかってる子とじゃれてるだけだ。本気しか知らねえ子を泣かすようなお前よりマシだろうよ」
「じゃあどうしろってんだよ!? あの子が椿に苦しめられるのを黙って見てろってのか!?」
諸星の煽りで頭に血が登り、思わず奴の胸ぐらに掴みかかる。
俺がこうして怒鳴るのは殴られたからじゃない。俺なりに悩んで出した結論を軽々に否定されたからだ。
こんなナンパ野郎に俺やリーちゃんの気持ちがわかるってのか。ふざけるな。
真剣だからこそ、こうして悩んだり傷ついたりするのだ。
クソッ。身体が痛むせいだろうか、涙まで出てきやがった。
「俺はな……リーちゃんに幸せになってほしくて……」
「何言ってんだ? 今のお前じゃ誰も幸せにできねえよ。ヒャヒャヒャ!」
ゴッ! と鈍い音がして諸星の丸眼鏡が吹き飛ぶ。奴のヘラヘラした顔を見て、思わず手が出てしまった。
赤く腫れた右のこぶしが痛む。人を殴るのなんて何年ぶりだろうか。あんまり愉快なものじゃないな。
諸星は落っこちた眼鏡を拾ってから、ゆっくりこちらへ近づいてくる。
どうにも気色悪い野郎だ。殴られたのにニヤニヤしてやがる。
「お前はバカだなあ。どうしようもねえバカだ」
「あぁ!? 俺の何が間違ってるって言うんだよ!」
「間違ってねえよ。お前のやってることは正しい」
「だったら!」
「正しさなんかで女の子を幸せにできるとでも?」
何を言ってるんだ、コイツは?
頭に血がのぼった今、トンチなんて振られても答えは思いつきそうにない。
すがるように諸星の肩を掴み、強く、強く力を込めた。
さすがに痛みを感じたか、諸星は軽く顔をしかめる。
「俺に……どうしろってんだよ……」
「最初に言っただろお? リーちゃんも椿ちゃんも愛してやれって」
「もっとわかりやすく言ってくれ……俺は頭が固いんだよ……」
「いいか、武永あ」
諸星は俺は肩に腕を回し、触れんばかりに顔を近づけて耳元で囁いた。
「リーちゃんを抱いてやれ。その後で椿ちゃんも抱いてやれ」
「はあ!?」
自分の声で耳が痛くなるほどの声量が出た。周りにいた見物人たちもビクリと跳びはねる。
うるさそうに諸星が耳を塞いだが、自業自得だ。無茶苦茶なこと言いやがって……
俺のリアクションだって仕方ないだろう。
諸星の助言?はまるで理解できない。
事態が泥沼化するとしか思えないのだ。
「いや、だってお前……」
「あーあー、言いてえことはわかる。でもな、今回は黙って俺を信じろ。悪いようにはならねえよ」
「それは、リーちゃんだけじゃなく椿にも失礼なんじゃ」
「礼節なんざクソの役にも立たねえよ。今までのお前のやり方じゃダメだってわかってんだろ?」
「まあ、確かに……」
「たまには欲望に素直になれよ。お前に足りねえのはそーゆーとこだ」
不可解なアドバイスだけを残し、諸星は去っていった。
お陰で講義は遅刻だが、間に合ったところで どうせ集中できなかったろう。
「抱く」ってなんだ? ただ抱き締めるってわけじゃないよな、あの諸星だし。
付き合っていたリーちゃん相手ならまだしも、椿まで?
まるで意味がわからない。二股で誰かが幸せになった例なんてあるのか?
他の人にも相談するべきだろうか。でも俺の知人って結構女の子も多いしな……さすがにこんな話はしづらい。
そうなるとやっぱり、俺一人で考えるしかないのか。
諸星が俺に足りない部分を持っているのは確かで、そういう人間にしかできない発想ってあるものだ。
そりゃ俺はお堅い真面目くんだが、そこが長所だとは思っていない。
現に凝り固まった発想でリーちゃんを傷つけてしまったのだから。
そうだ、少なくともリーちゃんには謝らないと。
殴られて一時は頭が沸騰したが、それを経てだんだん冷静になってきた。おそらく俺のやり方は間違っていたのだろう。
諸星の発案に乗るかはともかく、リーちゃんに会いに行こう。話はそれからだ。
「はい」
「武永だけど、リーちゃんに謝りたくて」
「……お帰りください」
インターホン越しに、リーちゃんの冷たい拒絶が聞こえる。
にぶい俺にだって流石にわかる。彼女は失意の底にいて、しかもその元凶が現れたのだ。
笑顔で迎え入れてくれるわけがない。わかっていたことだ。
だからこそ俺は、ここで退くわけにいかない。
「頼む。俺が全部悪かったんだ。許してくれなくていいから謝らせてくれ」
「別に怒ってるわけではないんです。ただ、わたし、今ひどい顔をしてますから。見られたくないんです」
「それを言うなら俺の方がひどい顔してるぞ。諸星にぶん殴られて腫れてるし」
「どのくらいひどいですか?」
「ほぼゾンビだな。見てみたくないか?」
「……見たいです」
ウィーンと機械的な音がして、マンションのオートロックが開いた。
思えばリーちゃんとも短くない付き合いなのだ。俺だって彼女のことを知らないではない。根の素直な彼女なら、きっと開けてくれると信じていた。
とはいえ、これでゴールじゃない。ここからスタートなのだ。
彼女の気が済むまで頭を下げ続けないと。どんな罵倒も受け入れる覚悟を持て。
そして、リーちゃんの待つ部屋のドアに手をかける。




