B3―1 ダイラタンシー現象 その1
「や、やっぱりお二人の関係、怪しいですよね」
麻雀の牌を混ぜながら、ぽつりと麻季ちゃんが呟いた。
彼女から見て左右に座る俺とリーちゃんも、牌の撹拌を手伝いつつ彼女のぼやきに応える。
「前も説明したけど、恋人(仮)だからな一応」
「そうです。仮にも恋人(仮)の関係ですから、仮初や虚仮でなく距離が縮まっていたとしてもおかしくはないでしょう」
「『仮』多くない?」
「うーん、それにしても……」
麻季ちゃんは麻雀の山を組み立てる手を止め、俺とリーちゃんの顔を交互に見比べている。
「お二人、もしかしてヤりました?」
「ハァ!?」
夜中なのに思わず大声が出てしまった。おとなしそうな顔をして、何を言い出すんだこの子は。
思わず手元から麻雀の牌がすっ飛んでしまった。「南」の牌が音を立てて転がっていく。
「ナガさんとは二回ほど寝ましたからね」
「隣で寝てただけな。誤解を生む言い方はやめてくれ」
「でも密着はしてましたよね?」
「それはそうだが……」
「えっ、隣で寝てたのに何もしてないですんか……そ、それはそれでキモい……」
「そう、キモいんですナガさんは」
何もしてないのに年下の女の子二人からすげえ罵倒されてる……むしろ紳士的と誉めてほしいくらいなのだが。
いや、俺の感覚が間違ってて、何も手を出さないのはむしろリーちゃんに対して失礼なのか? でも、付き合ってもないのに……
「だいたい何なんですか『恋人(仮)』って……その時点でキモいですよ。関係ぐらいハッキリさせればいいのに……」
「いや、色々あるんだって俺たちにも」
「椿ちゃんから逃げる口実ですよね……はあ、武永先輩も観念したらいいのに……」
「観念ってそんな……」
麻雀の山を組み終えた俺たちはそれぞれ手牌の確認に移る。
今回の俺の手牌はずいぶんバラバラで、ハズレもいいところだった。三人麻雀だからまだ工夫のやりようはあるが、なかなか苦しいところだ。
「親」であるリーちゃんから順に、手牌を捨てていく。
リーちゃんの表情はわからないが、麻季ちゃんは薄ら笑いを浮かべており、要警戒の雰囲気だ。
「私は椿ちゃんの味方ですからね……少なくとも、武永先輩がハッキリしないうちは」
「ああそう。味方つっても俺が椿を拒み続けてる限りどうにもならんだろ」
「あ、それロンです……」
「えっ!? 嘘だろ、こんな早くに!?」
「武永先輩、流れ読むの下手ですね……」
「君にバカにされると本当に腹立つな」
渋々麻季ちゃんに点棒を渡す俺の様子をリーちゃんがじっと見つめている。何か言いたげなような、そうでないような。
何故だかはわからないが、麻雀を終えた後も、そのシーンが妙に頭に残っていた。
「おはようございます先輩。今日は莉依ちゃんと一緒じゃないんですね」
「まあな。というかお前、リーちゃんと俺が付き合うことは無いと思ってるんじゃないのか? だったら気にすることなんて……」
「乙女心がわかってませんね先輩。どんな立ち位置であれ彼氏に近づく女がいたら不愉快になるものなんですよ、女の子は」
「そうか……まあ俺はお前の彼氏ではないんだが……」
ベンチに腰かける俺の隣に椿が座ってきたので、思わず距離を取るが、すぐ横に詰めてきた。
幽霊みたいな見た目のくせに無駄に機敏でいっそう気味が悪い。椿の冷たい体温のせいで、こちらの体温まで奪われたように感じる。
「本当、最近の莉依ちゃんは目に余りますよ。私の先輩の相棒みたいなツラして……」
「お前の相棒になった覚えもないが」
「そろそろわからせてやらないといけません。そう思いません?」
「なんでそれをわざわざ俺に言うんだ……」
「なんででしょうねえ? じっくり考えてみてはいかがでしょう」
そう言いながら椿は俺のアゴを人差し指でなぞった。ナメクジに這われているようで気色悪い。
しかしその不気味さのお陰で椿の言わんとする意図が読み取れてしまった。
そう、椿はリーちゃんを牽制しているのではない。
俺に対して「リーちゃんから離れろ」と脅しをかけてきているのだ。
直接リーちゃんを脅すのも一つの手だが、障害というものは得てして恋を燃え上がらせるものだ。そもそも、たとえ脅されたところで彼女がすんなり諦めるとも思えない。
当然俺もリーちゃんを庇うので、そうなれば完全に「リーちゃんと俺 VS 椿」の対立構造が出来上がり、椿としてはますます面白くないだろう。
しかし、俺がリーちゃんに対し距離を置く形なら話は別だ。
対立構造が「わけもわからず距離を置かれたリーちゃん VS なんか冷たい俺」になるため、恋の熱だって冷めるかもしれない。
椿はあくまで裏から糸を引くだけ。敵として現れなければ倒しようもない、という寸法だ。
本当にやり口が陰湿で嫌になるな……
「ゲスめ。お前の言う通りには動いてやらんぞ」
「ええ、もちろん。先輩には選択の自由があります。その結果莉依ちゃんがどんな目に遭っても先輩に責任はありません。生きてれば色々ありますよね。事件、事故、不運、後遺症……」
「……脅しのつもりか?」
「まさか! 私は一般論を語っているだけですよ。ですから先輩、何も気にせず、何も考えず、今まで通り莉依ちゃんと仲良くもらって構いませんよ。結果何が起こるかはわかりませんが」
額がぶつかるほどの距離まで顔を近づけてきた椿は、この世の邪悪を煮詰めたような笑みを見せた。
思わずのけ反って顔を離すが、椿の醜悪な笑い顔が網膜に焼きついて離れない。
それを振り切るためにギュっと目をつぶってはみるが、気休めにもならなかった。
「優しい先輩は莉依ちゃんを見捨てたりしませんよね?」
「うるせえ人でなし」
標的を直接攻撃せずに遠回しな手段を取るとは……卑劣な奴め。
実際、リーちゃんに対し精神的なダメージを与えるなら俺がリーちゃんをフッた形にするのが一番効果的だろう。
よくもまあ、毎回狡猾な手口を思いつくものだ。
さて、これからリーちゃんとどう接するのが正解だろう。
不本意ではあるが、リーちゃんの安全のためにも、やはり距離を取るしかないのか……




