B2―1 リクエファクション その1
「なんか、お二人の雰囲気変わってませんか……?」
ふいに、麻季ちゃんがポツリと呟いた。
今はリーちゃんの家で彼女とリーちゃん、俺の三人でボードゲームを遊んでいるところで、妙な気配を漂わせた覚えはない。
いつも通り、麻季ちゃんのギャンブル欲を発散させるために付き合っていただけなのに。
「き、気のせいじゃないかな……はは」
「ご名答。マキマキさんのご指摘のとおり、我々は恋人(仮)なのです」
「リーちゃん!?」
わざわざ馬鹿正直に教えてやらなくても。たぶん麻季ちゃんは椿の味方をするだろうし、自分から敵を増やすような真似をするのはいかがなものか。
「はあ、そうですか……とりあえず私の前でベタベタするのはやめてくださいね」
「ベタベタとは? こんな感じですか?」
「ちょっ、リーちゃん、なぜ尻を……尻ばっか触るのはやめて……」
リーちゃんの痴漢じみた手つきから逃れつつ、麻季ちゃんの顔色を窺うが、特に変わったところは無さそうだ。
椿の味方をした麻季ちゃんが俺たちの前に立ち塞がる、という懸念は考えすぎだったか?
「はい残念。マキマキさんから1,000万没収です」
「なんでぇ……」
またしてもリーちゃんが容赦なく麻季ちゃんをボコしている。
毎回これだけやられても立ち向かっていく麻季ちゃんは、タフと言うべきか愚昧と言うべきか。
傍観者の立ち位置にいる俺でも気の毒に思えてくるぐらいで。
「さて、ずいぶん夜も更けてきましたね。お開きの時間です」
「もう一戦、もう一戦だけ……」
「マキマキさんが『もう一度頼む』と言ってからこれで5回目ですが」
「そうだぞ麻季ちゃん。別のゲームにした方がまだ勝負になるだろうし、また今度な」
「うぅ……」
「それにナガさんには勝てたじゃないですか、二回ぐらい」
「そ、そうだね……武永先輩は弱いから……」
「あぁ!?」
「でも莉依ちゃんに勝てないのは悔しいなあ……」
「弱いって言ったか? やるかテメェおい」
「あっ、武永先輩はもう帰ってもらって大丈夫ですよ」
「お前も帰るんだよ!」
色々と聞き捨てならないが、とりあえず解散する流れになった。俺も彼女らも、また明日大学に行かねばならないのだ。
夜はすっかり更けて、ぽつんと浮かぶ三日月が寂しい。
毎回のことではあるが、麻季ちゃんと遊ぶのは幼児の遊戯相手みたいな気分で妙に疲れるな。
リーちゃんも辛抱強く付き合ってくれて、俺としては助かるんだが……
麻季ちゃんを彼女の住むマンションに送り届け、とんぼ帰りでリーちゃんのマンションに向かう。
二人の家が近いのは幸いだ。送ってやるのも大した労にならない。
「そういや、リーちゃんは別についてこなくて良かったんじゃないか? そのまま自分の家にいれば無駄に往復せずに済んだのに」
「ナガさんと少しでも長く一緒にいたかったので。ダメでしたか?」
「あっ……いや、ダメではないけど……」
急にストレートな好意をぶつけられるとさすがに照れる。
しかしリーちゃんが無表情なのに、俺だけドギマギしていると情けない気がするので、軽い咳払いをしてごまかしてみた。
心臓の音がやけにうるさい。やっぱり俺はリーちゃんのことを異性として意識し始めているのだろうか。
冗談みたいなシチュエーションだったが、リーちゃんにキスされたこともあるしな、俺……
まさか今日も、前みたいに突然、とか……
「ナガさん、ストップ」
「えっ、なに? こんな路上で?」
「静かにしてください」
挙動の落ち着かない俺と違い、リーちゃんの雰囲気は真剣そのものだった。
街灯の明かりが頼りなく俺たちを照らすが、周囲は薄暗い。静かな住宅街で二人きりだと、やけに不安になってくる。
「音がやみましたね」
「音? 周りは静かだけど……」
「うーん。もう一度、歩き出してみますか」
やけにシリアスなリーちゃんの様子に気圧され、黙って歩き続ける。
音? 何か変な音がしてたか? 別のことに気を取られすぎて全然意識していなかったが。
ゆっくりと歩きつつ、耳を澄ませる。すると。
べと、べと……
何か粘着質な音が後ろから聞こえてくることに気がついた。
べと、べと……
俺たちの歩みに合わせて、「何か」がついてきているような音。
しかし、足音と呼ぶにはいささか音の湿度が高すぎるような。
靴を履いてる人の足音なら、コツコツ、カツカツ、そんな風な乾いた音がするはずなのだが。
さすがにもう黙ってはいられない。歩きながらではあるが、リーちゃんにこっそり耳打ちしてみる。
「なあ、後ろに何かいないか?」
「いますね」
気になった俺が後ろを振り返ろうとすると、リーちゃんに顎を掴まれた。これでは首は回せない。
「たぶん振り向かない方がいいです」
「いや、でも……誰かのイタズラかもしれんだろうし。ボードゲームで負けた腹いせに、麻季ちゃんが仕掛けてきたとか」
「そうであればいいのですが」
リーちゃんには止められたが、やはり俺としては振り向かない方が怖い。
振り返ってみたら動物でした、とかそういうありふれたオチだった期待できるのだ。
あるいは椿とか? アイツが裸足で追跡してきてたらそれはそれでホラーではあるが。
リーちゃんの拘束を逃れ、おそるおそる後ろを振り返ると。
「何もいない……」
そこにはただ暗い道が伸びているだけだった。民家の明かりはポツリポツリ見えているし、遠くで踏み切りの音も聞こえるので、以前の「迷い家」の時みたいに異空間に迷いこんだわけではなさそうだ。
遅れてリーちゃんも振り返るが、彼女も事の異常性に困惑しているのだろう。振り返った姿勢のまましばらく硬直していた。
しかも不思議なことに、俺たちが立ち止まっている間は、あの「べと、べと……」という音が聞こえてこないようだ。
まるで俺たちが再び歩き出すのを待っているかのように……




