A5―1 恋に上下の隔てなし その1
俺、良子、モアちゃんの三人が連れだって入ったのは駅の近くにある安い居酒屋。
学生ばかりが集まる店だが、活気があって嫌いじゃない。
「質より量」をモットーとするモアちゃんにとっても、ドリンク280円のこの店はうってつけなのだろう。
「ささ、武永さんも浅井さんもジャンジャン飲んじゃってください。ここはアタシが」
「おごってくれるのか?」
「クーポンを使ってあげます」
「そうか……ありがとな……」
生ビールを前にしていくらか気勢を取り戻したモアちゃんは、慣れた手つきでおつまみを取り分けてくれた。
酒癖が悪くなければ気の利くいい後輩なんだけどなあ、この子も。
「ありがとね、白菊さん」
「固いなーもう! モアちゃんでいいっすよ!」
「わかったわ、モアちゃんね」
「律儀っすねー、浅井さん。きっと身持ちも固いんすよね。武永さんはおあずけ食らってるんすか?」
「セクハラはしないんじゃなかったのかよ……」
「すいやせん、つい手癖で」
ヘラヘラ笑いつつ杯を空けていくモアちゃんを見ていると胸がすくような気分だ。
良子もいつもよりお酒が進んでおり、いい具合に出来上がっている。モアちゃんの大げさな身ぶり手ぶりを眺めながらクスクス笑っていた。
こんな楽しい時間がずっと続けばいいとは思うが、現実から目を背け続けるわけにもいかないもので。
「それで、つばっちのことなんすけど……」
突如神妙な表情になったモアちゃんが、少し声を潜めて語りだす。
騒がしい店内でのことゆえ、しっかり傾聴しないとモアちゃんの声は聞こえなさそうだ。
良子と二人で机に乗り出して耳を傾ける。
「最近会っても覇気が無いっていうか、脱け殻みたいになってんすよ。前は会ったら武永さんの話ばっかしてたんすけど、それもなくなって。アタシ結構楽しみにしてたんすよ、武永さんの意味不明な独り言シリーズとか」
「アイツ、俺の独り言を盗聴したうえに話のネタにしてやがったのか?」
「まあそれはいいじゃないっすか」
「よくないが……」
「で、つばっちの元気を出そうと色々連れ回してはみたんすけど、全然ダメで。麻季っち、さらっちも励まそうとしてたみたいなんすけど、ことごとくダメ。もうアタシどうすりゃいいのか」
赤ら顔のモアちゃんはビールを片手に悔しそうに歯噛みした。
モアちゃんの声がかすれているのは、きっと酒を飲みすぎたせいだけではないのだろう。
気まずい沈黙が生まれそうになったが、店の騒がしさがその空気をいい意味で壊してくれている。
こういう居酒屋の喧騒はワイワイやりたい時に向いているが、案外湿っぽい話をする時にも使えるものだ。
「私たちのせいよね……」
「いえいえ! お二人が悪いんじゃないすよ! 男と女が複数いればそりゃドロドロのグチャグチャになるなんて当たり前っすから」
「どんな修羅場を見てきたんだ君は」
「アタシの母親がスナックやってて、まあ色々見てきたんすよ」
「へえ……でも俺たちにそれを伝えてどうするつもりなんだ? 俺が出張ったところで余計こじれるだけのような……」
モアちゃんは話しながらも枝豆とビールを交互に流し込んでいたのだが、ふいにその手が止まる。そして彼女は腕を組み、ゆっくりと首をかしげた。
「うーん、アタシにもわかんないんすよね。でもお二人に話した方が良いと思ったんす。ちょっとした霊感っすね」
「へえ、モアちゃんそういう非科学的なの信じるタイプなんだな」
「そりゃもちろん。死ぬほど飲んだ時とかたまに幽霊見えるんすよ。こう、ボワーって」
「たぶんそれ、君自身が幽霊になりかけてるだけだからな?」
「お酒は程々にしないとダメよ」
「イヤっす!!」
モアちゃんは俺が飲んでいたジョッキを奪い、グイッとハイボールを飲み干した。
俺も良子も本気で心配しているのだが、俺らごときに止められる呑んべえではないか。
モアちゃんに飲まれた分の代わりになる品をパネルで頼んでいると、突然良子が立ち上がった。
その衝撃に驚いて、思わず注文パネルを落としてしまう。
「ど、どうした……?」
「きっと、何かが私たちに訴えかけてるのよ!」
「良子? オカルトはもうやめたんじゃ……」
「オカルトじゃないわ。宗介くん、本庄さん、そして私を三人を結ぶ縁が変にこじれちゃってる気がするの。きっと、何か儀式が必要なんだわ」
「うーん……良子のそういう勘が当たったことないからな」
「勘じゃないの。まさにモアちゃんの言ってた霊感。信じられないのもわかるんだけど」
良子は座り直しカシスのカクテルをグッと飲み干した後、「ほぅ」と小さくと吐息をついた。
うーん、これはただ酔っぱらってるだけじゃないのか?
「ほら武永さん、2対1っすよ。霊感を信じる者は救われるっす」
「何これ霊感商法?」
「霊感を信じない宗介くんにはバチが当たるわよ。間もなくあなたに不幸なことが……」
「うわっ、やめろモアちゃん! レモン汁を飛ばすな!」
「アハハハ! バチっすよバチ! 天罰っす!」
「うん……楽しそうで何よりだ……」
二人の言うことを信じるわけじゃないが、一応良子のおばあさんに相談してみるか……
おばあさんは別にカウンセラーじゃないし、傷心の人間を慰める手段を知っているかはわからないが。
椿はどうしようもないストーカーで、迷惑な存在ではあるのだが、それでも俺の人生に深く関わった人間ではある。
このまま放っておくのも寝覚めが悪いというか。
同情とか抜きにしても、アイツが俺の知らないところで元気にやっていてくれれば俺だって気楽ではある。
そう。これは椿のためではなく、俺自身のために必要なケジメなのである。
「やはり『事戸渡し』を行う必要がありますか……」
「コトドワタシ?」
椿の不調をおばあさんに相談したが、返ってきた言葉は耳馴染みのない単語だった。
「『事戸渡す』とは神代の昔における離縁、今で言う離婚ですな。冥府よりイザナギノミコトを追ってきたイザナミノミコトが、夫より突きつけられた別れの儀です」
「えぇ……」
マジで霊感的なやつだった。
珍しく良子の勘が当たっていたんだな。そうなるとモアちゃんも正しかったことになる。
なんだろう……酔っぱらいに負けたような気がして少し悔しい。
「酒は神さんとの距離を近づけますでな。『新嘗祭』しかり、神さんのお下がりをいただくことは御利益があるもんです」
「はあ……それで、コトドワタシってのをやれば椿との縁を切れるんですか?」
「ええ、切れます。切れてしまいます。もっとも、儀式を成就させるには代償を払うこととなりますが」
「代償、ですか……」




