A4―2 焼き餅焼くとて手を焼くな その2
「椿が俺に依存するのは、俺自身のせいってことですか?」
「悪気はないのでしょうが、事実です。追える速さで逃げる獲物ほど、追いたくなるもんですから」
「でも俺、椿にはちゃんと冷たい態度を取ってきたつもりなんですが」
「本当にそう言えますかな。お嬢さんの気持ちを足蹴にする覚悟はお持ちですか? 己が悪党になるだけの覚悟が」
今までの椿とのやり取りを振り返ってみる。俺は椿の好意を拒否していたはずだ。言葉では明確に「お前が嫌いだ」と言い続けてきた。
とはいえ、椿の作った料理を食べたりとか、警察に通報しなかったりだとか、俺にも甘さはあったかもしれない。
そりゃアイツは気色悪いストーカーで、迷惑な背後霊で、悩みの種ではある。
あんな奴がいなければ俺はもっと早くから良子と付き合えていたし、今とは違った大学生活を送っていたのだろう。
わかっている。そんなことは全部わかっているのだ。
それでも、椿には椿なりの覚悟があると俺は知ってしまった。
傷だらけになっても、どれだけ屈辱を味わっても、決して勝てない戦いに挑み続ける奴の覚悟を。
その志を目の当たりにしてきたせいで、俺はアイツのすべてを拒否できていないのかもしれない。
「私自身はですなあ、お兄さんの甘さを厭うつもりはありません。良子には篤実な連れ合いを見つけてほしいと思っておりましたでな」
「はあ……」
「しかしです。半端に情をかけることこそが残酷な場合もあります。ようよう考えることですな」
「そうですね、すみません……」
電話越しに、しばしの沈黙が流れる。おばあさんを頼るつもりが、お説教を食らうとは予想していなかった。
まあ、本来は自分で解決せねばならない問題なのだ。
気にかけて説教までしてもらえることだけでも有り難いと思わねば。
「それで、俺はこれからどうすれば……」
「少し様子を見るのが良いでしょう。あまり期待はできませんが、時間が立てば呪いが弱まる可能もありますでな。雲行きが怪しければまた良子を通じて連絡をくだされ」
「わかりました。ありがとうございます」
おばあさんと話してからしばらく経ったが、呪いはいっこうに弱まる気配がない。
それどころか呪いが強まっているのでは、と疑いたくなるほどだ。
良子といい雰囲気になると必ず邪魔が入る日々が続く。
良子が泊まる日に限ってじんま疹が出たり、雰囲気づくりのために入った居酒屋でほぼ原液のハイボールが提供されてダウンしたり、とにかく地味な不運に襲われるのだ。
どの出来事においても、良子自身が危ない目に遭うことはない。俺がちょっと不幸な目に遭って、結局良子と褥を重ねることが叶わず終わる。ただそれだけ。
それだけなんだが……やはりどうにも歯がゆい。
そりゃあ身体的にイチャつくだけがカップルの絆というわけではないが、良子との仲が深まらない感じがしてもどかしいのだ。
そう考えているのはどうも俺だけではないらしい。
「やっぱり、本庄さんのせいなのかしら……」
「ああ、間違いなくな。本当ロクでもないな、あの疫病神」
「ごめんね。私におばあちゃんみたいな厄除けの力があれば……」
「いや、良子の謝ることじゃない。おばあさんにも言われたが、俺の甘さが招いたことだ。きっちり椿と決着をつけてくるよ」
「大丈夫? 私も一緒にいた方が……」
「それはやめとこう。俺の隣に良子がいるだけで椿は激昂しかねないからな。俺一人でやらなくちゃいけないんだ」
良子は静かに目をつぶり、じっと堪えている様子だった。今にも泣き出してしまいそうだ。
そんな申し訳なさそうな顔をしないでくれ……
悪いのは椿と俺……というか9割以上椿が悪いのだ。
良子には何の責任も無い。椿の逆恨みに巻き込まれただけの被害者なのに。
クソッ、アイツのせいで良子まで悲しませることになってしまった。
やはり椿との縁をきっちり断たないことには誰も幸せになれない。
見てろよ、俺だってずっとやられっぱなしじゃねえんだぞ。
4限が終わり、大学構内から徐々に人気が消えていくこの時間。肌寒い風に身を震わせる人たちの姿が、一つ一つ遠くなっていく。
手足は冷え、身体の芯まで冷たくなってきているが、そのお陰で頭は冷静だ。
夕陽が射し込む、少し薄暗い教室。低い机に腰かけて待っていると、しばらくして椿が姿を現した。
「こんなところに呼び出して、私をどうするつもりですか?」
無駄に長い前髪の隙間から、椿の細い目が覗く。
鈍い光を帯びたその黒目は、まるでツヤのある虫のようだった。
「お前なあ……いい加減にしろよ。どれだけ俺と良子の邪魔をしたって、お前が俺と結ばれるわけじゃねえんだから。むしろ俺に嫌われるだけだぞ」
「ふふ、それも悪くないですね。先輩の世界一好きな人が浅井さんで、世界一嫌いな人間が私。さあどっちに対する感情が強いでしょうか?」
「良子に対してだよ。俺はもうお前に何の感情も持たない。玄関脇にはりつくクモの巣と同じ、ただ邪魔で迷惑なだけの存在だ」
「なんて酷いことを言う先輩でしょう。傷つきました。10分間のハグを要求します」
俺の罵詈雑言を物ともせず、椿は瞬時に俺の目の前まで移動し、俺の胴体に腕を回してきた。
「放せ、気色悪いんだよ」
「クモの巣に飛び込んできたのは貴方ですよ? ああ先輩の匂いがする……久々に本物の匂いだあ……」
「本物」だと? コイツ、俺の服とかを盗んで匂ってやがったのか?
前にも俺のパンツを盗んでたことがあったような……
どこまでも気色悪い奴だ。早急に俺の身体から離れてもらいたい。
「離れろよこの毒グモめ……!」
「久しぶりなんですから、もう少しだけ。先輩のぬくもりを感じていたいんです」
妙にかわい子ぶった台詞とは裏腹に、椿はものすごい力で俺の胴体を締め上げる。
これじゃほとんどプロレス技の「ベアハッグ」だ。その名の通り、熊に抱き殺される形の技。
あばらが万力で押し潰されるような痛みの中、俺はなんとかポケットまで手を伸ばすことができた。
そしてポケットの中身を椿の顔にぶちまける。
突然の反撃に驚いたのか、流石の椿も後ろに飛び退いた。
「うえっ、なんですかこれ……口に入ったじゃないですか」
「桂の蔓だよ。良子のおばあさんに持っておくよう言われてたんだ」
椿は口に入った植物を吐き出しながら、嘲笑った。
夕陽を受けたヤツのシルエットが怪しく揺らめく。
「ふふ……こんなものが何になるというんですか。どうせなら硫酸でも引っかければ良かったのに」
蔓を吐き出しきった椿が、再び俺に近づこうとする。
しかしその脚は、もつれてうまく前に進まなかった。
椿の膝はガクガクと震え、立っているのも精一杯といった様子。
「まさか……植物毒? リコリンとか、コルヒチンとか……」
「そんな卑劣なことするかよ」
「さっきの蔓はダミーで、教室自体の空気が有毒だったとか……」
「それもはずれだ。どうした? 不調か?」
「じゃあ何だって言うんですか!?」




