A3―3 好いた水仙好かれた柳 その3
バイトを終えた俺と良子は、カフェで晩ごはんを取ることにした。
またぞろ椿が邪魔してくるかと警戒していたが、今日もアイツは姿を見せない。あんな奴の顔は見たくもないが、いないとなるとそれはそれで拍子抜けというか、少し心配にもなってくる。
「最近はずいぶん寒くなってきたわね。スープがあったかくて沁みるわ」
「そうだな。もう冬も近いし、諸星も就活やら何やらで忙しいみたいだ」
「みんな忙しそうね。私も来年の試験に向けて頑張らなきゃ」
「試験、か。どんなの受けるんだっけ? 司法試験じゃなくて……」
「司法書士。法学部じゃないと馴染みない資格よね」
「それそれ」
あらかた食事を終えた俺たちは、それぞれ食後のコーヒーにエスプレッソとカプチーノを頼んでいた。
良子が一番好きな飲み物はほうじ茶なのだそうだが、和風カフェではないためこの店のメニューにはない。
また京都に行った時はそういう茶屋にでも足を運んでみるか。
「しかしなんであえて司法書士なんだ? 司法試験とかはやっぱり難しいのか?」
「それもあるんだけど……宗介くんや本庄さんと出会って、色々思うところがあってね」
「と言うと?」
「ほら、私って暴走しちゃうところがあるじゃない? 弁護士とか、検事とか、いわゆる『正義』を求められる仕事に就くと、変な方向に走っちゃうかなって」
「自覚あったのか……」
「自覚が芽生えた、と言った方が正確かしら。過去の言動を思いだすとちょっと恥ずかしかったりもするのだけど」
良子は照れ隠しのように、自らのポニーテールを軽くいじってみせた。
後になってから自分の的はずれな言動を思い返して悶絶することくらいは俺もよくあるし、そんなに恥ずかしがることでもないとは思うが。
まあ、他人から見てささいな悩み事でも、本人にとっては重大事であったりするしな。
「司法書士なら法的な事務手続きの代行が多いから、もうちょっと冷静に取り組めるかなって」
「ふーん……オカルトというか、霊能的なやつはもういいのか?」
「うん。ずっとおばあちゃんにも才能ないって言われてたから。むしろ宗介くんの方が私より不思議な目に遭ってない?」
「不本意ながらな」
「きっと私には縁がないのよ。おばあちゃんには憧れてたし、未練がないと言えば嘘になるけれど」
良子はコーヒーカップに視線を落としつつも、どこか遠い目をしていた。
その物憂げな瞳は、きっと遠くにいるおばあさんに向けられているのだろう。
憧れている人に決して届かないと自覚した時、人は大人になるのかもしれない。それはきっと、濃いエスプレッソよりもずっと苦くて……
「宗介くんは、やっぱり教師になるの?」
「教員免許は取るつもりなんだが……」
実を言えば、将来については俺も悩んでいるところだった。
以前喜多村さんから指摘されて、俺には教師になる以外の選択肢が見えていないだけなのでは、と思い始めたのだ。
悩んでいるだけで一向に結論は出ないのだが、いつも脳の一部にその意識はあった。
「迷ってるのね」
「ああ。やっぱり教師って相当忙しいみたいだしな。俺にそこまでの覚悟があるのか……子どもに勉強を教えること自体は好きなんだけど」
「うんうん。塾で教えてる時の宗介くんは生き生きしてるから。そういうところ、素敵だと思うわ」
「お、おう……」
良子はいつもストレートな褒め方をしてくれるのだが、その実直さにまだ慣れていない。
俺は彼女が思っているほど大層な人間ではないのだが。
「いっそ塾講師になってみたらどう?」
「そうか……言われてみれば、教師にならなくても子どもと接することはできるんだよな。バイト先でもそのまま塾の講師になった先輩もいるし」
「学校の先生と違って部活動とかは受け持たなくていいし、無理なく働けそうよね」
「でもウチの塾長も言ってたけど、給料はそこまで高くはないんだよな。教師と比べると安定もしてないし」
「そこは夫婦で共働きをすればカバーできるんじゃないかしら?」
「そうだな、良子が司法書士として働いてくれるなら……」
そこまで言いかけて、良子がひどく赤面していることに気がついた。
なんだか必死にカプチーノをスプーンでかき混ぜている。
ん? そういえば俺、サラッととんでもないことを口走ったよな。
良子と夫婦になるのが前提で話すとか、遠回しなプロポーズじゃねえか。そりゃあ彼女も照れるし焦るだろう。
椿の影響だろうか、付き合う≒結婚という等式が俺の頭の中に根付いてしまっていたのかもしれない。
まだ付き合って少ししか経ってないのに、いくらなんでも気が早いよな。
でも良子は嫌がってないみたいだし、視野に入れておいても悪くはないのか? わからん……こういうのは恋愛以上に難しい問題なのかもしれん。
「ま、まあ……焦って考えるよりはひとまず塾長に相談してみようかな!」
「そっ……そうね! せっかく身近に先達がいるんだし、色々話を聞いてみるのが良いわよね!」
そのまま話はうやむやになったが、俺の頭のの中では良子との将来がぼんやり浮かび上がってきていた。
俺の実家の和歌山に戻るか、あるいは良子の実家がある宝塚へ移住するか。いずれであっても一軒家が良さそうだ。
子どもができたぐらいのタイミングで家を買いたい。庭があって、犬もいて、休日にはそこで小さなピクニックでもできたらいな。
ふと我に返ると、目の前に座る良子は左上あたりの空間をぼんやり眺めており、どことなく満足そうな表情をしていた。
もしかして、良子も俺との未来を想像しているのだろうか。そうだったら嬉しいが。
二人して遠い未来を夢想するなんて、俗に言うバカップルみたいだな。
それも案外悪くはないのだが。
しかし終電の時間が近づいてきている。いつまでも幸せな気分に浸っているわけにもいかない。
机に置かれたレシートを手に、軽く下半身を起こす。
「そろそろ出るか?」
「そうね……少し長居しすぎたわね」
「つい話し込んじまったな。良子、終電は大丈夫か?」
「……」
「良子?」
「その……今日は……帰らないでおこうかな、って」
「えっ?」




