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A1―8 花は折りたし梢は高し その8

 「死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ……」


 ダラダラ流れ続ける血を見つめていると、嫌な汗が噴き出してきた。

 しかしいつまでも惑っているわけにもいかない。手近にあったタオルで傷口を押さえる。

 こういう時は太い血管を縛ればいいんだっけ? 太い血管ってどこだ? 二の腕?

 ああ、考えがまとまらない。意識のあるうちに救急車を呼ぶべきか? スマホ……スマホどこに置いたっけ……涙目になりながら部屋中を捜索する。


 俺に何の罪があってこんな目に遭わねばならないのか。そりゃ善行なんて大してやってきた覚えはないが、かといって悪行に手を染めたわけでもなく。

 自分なりに真面目に、誠実に生きてきたつもりなのに。

 クソッ、訳のわからん妖怪に魅入られたばっかりに、こんな……


 まだ生きてやりたいことだっていくらでもあるのだ。

 呪いが発動したということは俺の想いが浅井先生に伝わったということ。

 きっとスマホには浅井先生からのメッセージが来ているはずで。

 うぬぼれでなければ答えはきっとイエスだろう。俺の青春は、人生は、これから始まるのだ。

 それなのに、こんなところで死ぬなんて。嫌だ、嫌だ、俺だって幸せになっていいだろうが……





 ……あれ、俺やけに考え事してる時間長くないか?

 致死量の流血ならいい加減意識を失ってもおかしくないような。


 うろ覚えだけど、確か自分の血液のうち30%を失ったら命の危険があるんだったか。

 えーと、俺の血液量が5Lだとして、それの30%だからすなわち1500mlを失血したらヤバいわけで……


 いや、どう考えてもそんな失血してないな。


 よく見たら流血もいつの間にか止まってるし、これ多く見ても400mlぐらいの失血か? 献血レベルじゃねえか。




 冷静になってみると死ぬだの何だの騒いでたのが恥ずかしくなってきた。

 パニックになったせいかまだ呼吸は落ち着かないが、頭はずいぶん冴えてきた。


 そもそも人に告白しただけで死ぬなんて強烈な呪いがあってたまるか。その程度で人が死ぬならもう人類は滅びてるだろ。


 椿め……どこまでも人騒がせなことをしてくれる。




 ふぅ、と息を吐くと鞄の中からスマホの着信音が聞こえてきた。

 椿か? まさか俺を嘲笑うために?

 まだ肺も心臓も落ち着いていないというのに。まあ、せめて誰がかけてきたのかは確認しておくか……


 着信の主は……浅井先生だ。

 今度は別の理由で心拍数が上がる。緊張のあまりまた息が上がってきた。

 だがあまり待たせるわけにもいかない。意を決して通話ボタンを押す。


「ハァハァ……も、もしもし?」


「あっ、武永先生……大丈夫? そっちに本庄さんはいない?」


「おう……今は、大丈夫、だ……」


「あの……私、武永先生のジェスチャーの意味がやっとわかったの」


「そうか……」


 俺が美術館で見せたジェスチャー、自分を指差し、相手を指差し、顎の下をつまむ動作。


 あれはつまり「あなたが好きです」という意味の手話だったのだ。


 椿の呪いはあくまで「告白されたと認識した時」に発動するもの。

 こうやって時間差で発動するように誘導すれば浅井先生の前で流血沙汰を起こす心配もないだろう、という俺の目論みはピタリとハマった。


 最初から電話や手紙で想いを伝えることもできたのだが、やはり面と向かって伝えたかったのだ。ちっぽけな、俺なりの意地である。

 ただ、浅井先生の反応を見るに、その判断は悪くなかったのかもしれない。

 電話越しでも彼女の緊張と期待感が伝わってくる。


「ねえ、武永先生……私も」


「待った。その先は俺に言わせてくれ」


「ええ……」


「君のことが好きだ。俺と付き合ってくれ」


「はい……喜んで」


 少しの沈黙。なんだか気恥ずかしくなって、どちらともなくクスクスと笑い始めてしまった。

 心臓を甘くくすぐられる、こそばゆいけど満更でもないような感覚。


 報われた。


 これまで椿の妨害、干渉、嫌がらせに遭い続け、歯を食いしばって耐えてきた日々が、ようやく報われた。

 俺のやってきたこと、積み上げてきたことがすべて肯定されたような気分だ。


「ところで武永先生、さっきから息が荒くない?」


「えっと、これは……その……」


「もしかして武永先生……」


 なんだ? 気づかれたのか? まさか椿が呪いのことを話したとか……


「私と通話しながらいやらしいことしてる?」


 ……なんでそうなるんだ?


「だって、さっきからやけに息が荒いし……喜んでいながらもどこか息が詰まってるような、複雑な声色になってて」


 出血した時の焦燥と、告白を受け入れてもらえた安堵が混ざって自分でも変な感じになってるのはわかる。

 わかるんだがそんな風に捉えられるとは。


「ち、違っ……その、なんていうか」


「血が? 血が出るほどにやってるの!?」


「違う! いや、血は出てるんだけどちょっと違う!」


「そう……武永先生は声フェチなのね……そっか、私も勉強しないと……」


「いや声で興奮してるとかじゃなくて! それに俺はどちらかと言えば足首フェチで……」


「足首!?」


 必死に弁解するあまり墓穴を掘ってしまった。






 この後誤解を解くのにずいぶん時間がかかったが、とにかく俺は浅井先生と付き合えることになったのだった。

 歓びに胸が震える。ついに、ついに満願成就と相成ったわけだ。

 今日1日で今までの苦労がすべて報われたような気がした。


 以前に椿が言っていたとおり、俺と浅井先生の関係だって永遠ではないかもしれない。

 それでもいま、この瞬間、俺の全身を駆け巡るあたたかい感覚は本物なのだ。

 今すぐ浅井先生に会って、彼女の長身を抱き締めたい。血まみれじゃなければすぐにでも家を飛び出しているところだ。


 俺はきっとこの日を忘れないだろう。たとえ、この先何があったとしても。




 まあ、まだ色々と課題は残っているので手放しに喜んでばかりはいられないのだが。

 ひとまず血まみれになったベッドを掃除しないとな……




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