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A1―7 花は折りたし梢は高し その7

 昼食を取ったカフェから少し歩くと、近代美術館にたどり着いた。

 今は明治時代の日本画が展示されているらしい。まあ、正直に言えば展示内容はどうでもいいのだが……

 椿の呪いへの対抗策として、できる限り静かな場所を選びたかっただけなのだ。声を出さなくても不自然でない、そんな場所を。


「武永先生は日本画とか好きなの?」


「えっ? まあ、嫌いじゃないかな」


「西洋画なら少しは知っているけど、日本画には全然詳しくなくて……さすが武永先生ね、そっちにも造詣が深いなんて」


「はは、そうかな……」


 罪悪感がすごい。しかし「日本画とかよくわからんけどとりあえず来てみたぜ!」と正直に告げるのもアホっぽい気がしてなんとなく嫌だ。

 いつも思うが、無意味に格好つけたがるのは俺の悪い癖だな……




 美術館の中は人影もまばらで、時折誰かの歩く足音だけが聞こえてくる。

 落ち着いた静寂が心に染み渡る。日本画のことはやっぱりわからないが、眺めているとなんだか安らかな気持ちになる。

 絵の良し悪しは俺にはわからないが、それでも飾られているものはやはり立派に見える。

 特に、和紙に描かれているという点がいい。独特の素材感というか、触れてもいないのにザラついた素朴な感触が伝わってくるようだ。


 隣を歩く浅井先生も興味深そうに展示を眺めていた。

 あまり派手な展示ではないし退屈かもしれない、という心配は俺の杞憂だったようだ。

 教養という点では俺より彼女の方がよっぽど勝っているんじゃないだろうか。

 一回生の頃、諸星のいる交響楽団の演奏会で爆睡していたような男だからな、俺は……




 美術館は決して広くはなかったが、展示数のお陰か一周するだけで満足感があった。

 もう展示も終盤、残すところ何枚かの絵画が展観されているだけである。


 浅井先生は出口付近にある鳥獣戯画を眺めている。ふと思いついて、すぐ隣まで近寄ってみた。

 袖が触れあうような距離まで近づいても、浅井先生は俺から離れようとはしなかった。それどころか、心なしか彼女の耳が赤いような気がする。

 ここだ。これ以上のチャンスは無い。


 俺は一歩前に進み、絵を遮る形で浅井先生の正面に立った。

 そしてまず自分を指差し、次に浅井先生を指差し、最後に自分の顎の手前をつまむような仕草を見せた。


「えっ……?」


 突然謎の動作を見せられた浅井先生は思わず声を漏らす。首をかしげつつ俺の次の言葉を待っている様子。

 

 そう。この反応を待っていた。もし動作の意味をすぐ理解されれば計画は破綻していたところだ。

 もちろん、さっきの動作を解説してくれと言われると困るので、あとは解散時間までどうやって凌ぎ続けるかだが……


 困り顔の浅井先生に声をかけるべく口を開いた瞬間、美術館の奥から黒い影が猛烈な勢いで迫ってきているのを見た。


 出やがったな。どこに隠れていたのか知らんが、椿の奴はずっと俺たちを尾行していたのだろう。

 しかもあのスピードだ。俺が決定的な動作を行ったこともバレているらしい。


「浅井先生、すまん。明後日またバイトで会おう」


「えっ? 武永先生、さっきの動作の意味は……」


「家に帰ったら調べてみてくれ。全部終わったらもう一度伝えるから。とりあえず今はアイツから逃げないと」


「終わったらって、何が……あら、本庄さん。美術館は走っちゃダメよ」


「ハァ、ハァ……それどころじゃないんですよ!聞いてください浅井さん。先輩はですね、あろうことか、先輩は……」


「どうしたの? 武永先生なら逃げ去ってしまったけれど」


「やられた。ああもうダメかもですね。いや、でも呪いの効果次第では……それにまだ終わりじゃないし……」


「待って本庄さん、どうしたのフラフラして。大丈夫? とりあえず休んでかない? あの、無視しないで……」


 遠くから浅井先生と椿の距離が離れたのを確認し、俺も帰路へと足を向けた。

 本当なら今すぐ浅井先生のところへ戻りたいが、いま行けば必ず椿に捕まるだろう。それでは計画が台無しだ。

 浅井先生には悪いが、ひとまず家に帰らせてもらおう。帰ってから連絡して謝らないとな……





 さて、無事家に戻ってこれたは良いが、どのタイミングで浅井先生に再度連絡を取ろうか。

 椿のせいであるとはいえ、置いてきてしまったわけだしな。

 逃げる以外の選択肢がなかったものの、彼女からすれば俺の取った一連の行動すべてが意味不明だろう。気を悪くしてなければいいが……


 そもそも浅井先生と椿は離れた後どうなったのだろうか。また接触している可能性もあり得なくはない。

 直接危害を加えられることはないだろうが、何か余計なことを吹き込まれていないか心配ではある。


 それより、まず俺は自分の身を案ずるべきか。腫れた右手はドクドクと脈うっている。まるで沸騰した鍋の蓋。いつ噴き出してもおかしくない様子だ。

 呪いなんてもの半信半疑ではあったが、この異様な血流を見るに椿のでまかせでも無さそうだ。


 とはいえ、怯えていても仕方がない。ひとまずコーヒーを沸かし、心を落ち着けよう……


 食器棚のマグカップを手に取った瞬間、右手が震えだした。

 手が自分のものではなくなったかのように制御が利かない。

 支えを失ったマグカップは床に自由落下し、音を立てて割れ散る。


「え? なんだ? 手が……」


 キッチンの流しを前に右手を全身で押さえつけていると、やがて震えが止まった。

 なんなんだちくしょう、ビビらせやがって……


 冷静さを取り戻し、リビングのベッドに座った途端、右手から血が吹き出てきた。

 それはもう、噴水のように飛び散る赤。液体の生温かさがこれが現実であると告げる。


「うわ、うわあっ、うおああああああああ」


 右手に走る鋭い痛みとともに、敷き布団が鮮血に染まる。

 出血が、出血が止まらない! 手の甲だけじゃない、右腕全体が真っ赤になって、これ、ヤバくないか。


 嘘だろ、まさか俺、このまま、死……?




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