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A1―6 花は折りたし梢は高し その6

 土曜日。ついに訪れた決戦の日だ。いつもより早く目覚めた俺は、待ち合わせ時間より30分早く集合場所に到着していた。

 待ち合わせは阪急大宮駅。ここからバスで目的地の上賀茂神社へ向かう。神社を一通り巡ってから昼食を取り、その後は近代美術館へと足を運ぶ予定だ。

 我ながらベタなデートコースではあるが、椿の呪いに対抗するためにはどうしても美術館に寄りたいのである。


 さて、今日の椿はどんな手を使ってくるか。呪いがかけられているとはいえ、それだけでまったく放任してもらえるとは思えない。

 盗撮か、盗聴か、GPSか、ドローンでも飛ばしてくるか。前みたいに変装した刺客を送ってくるかもしれない。いずれにせよ何か仕込んでくることだろう。

 待ち合わせの駅は人通りが多く、どこかに罠が潜んでいても気づけなさそうだ。


 警戒して辺りを見回していると、こちらに手を振りながら近づいてくる人影が見えた。

 遠くからでもわかる。柔らかな明るさで周囲の人から浮いて見える彼女は。


「早いわね武永先生。私の方が先に着いたと思ってたのに」


「なんでかな。つい早く来ちまってな」


「ふふ、楽しみにしてたのは私だけじゃないみたいね。紅葉、ちゃんと色づいてるかしら」


「結構いい感じみたいだな。ほら、ホームページでも写真見れるんだけど」


「あっ、すごい! 今日がベストかもしれないわね!」


 隣ではしゃぐ浅井先生を見て、もうすでに心が満たされたような気分だった。

 しかし今日は呑気なことを言ってはいられない。俺の方から一歩踏み込まねば、この関係だってずっとは続かないだろう。


 隣を歩く浅井先生は、秋らしく軽いコートを羽織った、大人びたファッションだ。白っぽいニットとデニムが彼女の清廉な立ち姿に良く似合っている。

 高めに結われたポニーテールも、ウェーブがかかっていていつも以上に愛らしい。


 俺が贔屓目に見ていることを抜きにしても、やはり彼女は相当な美人なのだろう。

 平凡な俺には釣り合わないのかもしれない……なんて卑屈になりかけてしまう。


 しかし、「釣り合い」なんてものは世間の勝手な評価なのだ。

 俺を受け入れるか否か決めるのは浅井先生自身。彼女さえ頷いてくれればそれで十分だ。

 卑屈になるな。そんな安っぽい感傷に流されてどうする。


「あの……武永先生はどうして……」


「ん?」


「いえ、何でもないの。そう、なんでも……」


 浅井先生も少し落ち着かない気分のようだ。まあ、天然ボケ気味の彼女でも、これがデートであることくらいはわかっているはず。


 ここは俺が楽しい話題でも提供しないとダメだろう。モアちゃんにも色々アドバイスをもらったが、やはり序盤に沈黙が続くと良くないらしい。

 取り留めのない世間話でも間を持たせることは大事なはず。


「この間の話なんだけど、受け持ってる生徒がなぜか教室にバナナを持ってきててさ……」


「なんでバナナ!? もしかしてその生徒って岸辺くん?」


「そうそう。で、俺の解説聞きながらすげー真面目な顔してバナナ食ってんの。もう俺怒っていいのやら笑っていいのやら」


「ふふっ、なんだか可愛い光景ね……」


 バスに揺られながら他愛のない会話を続ける。世間のカップルもこんな風に過ごしてたりするんだろうか。

 まあ他の人がどうあれ、俺たちは俺たちだ。浅井先生が楽しく過ごしてくれれば満足ではある。

 付き合うことができればもっと嬉しいのも事実だが……下心はともかく今は純粋にデートを楽しもう。





 神社の入口付近に着くと、燃えるような紅葉の群れが俺たちを迎えた。

 染められた葉は爛々と赤く、小さな体に夕焼けを濃縮しているかのようだ。


「すごい……きれいね」


「そうだな……」


 巨きく荘厳な鳥居も相まって、まるで神様の住む世界にトリップしてきたような気分になる。

 浅井先生も何かを感じているのだろうか。二人そろってしばらくの間、木々をぼんやり見上げていた。


 ふと我にかえって周りを見ると、他の観光客もみな思い思いに紅葉を眺めている様子だった。

 鳥居をくぐり奥へ進むと、紅葉の赤い絨毯が広がっていた。それらを踏み越えていくとサクサクと小気味いい音がする。


「きれいだけど滑りそう……」


「こけないように気をつけてな」


 浅井先生を支えるべく彼女の手を軽く握ると、彼女もしっかりと手を握り返してきた。

 とりあえず、嫌がられてはいないようだ。しかしここで浮かれてはいけない。

 モアちゃんも言っていたが、手を繋げたからといって一足飛びに付き合えるとは限らない。

 あくまで落ち着いて、堂々と、彼女の歩くペースに合わせながら進むべし。


「ところで武永先生、右手腫れてるけど大丈夫?」


「ああ、これな。なんか変な虫に刺されたみたいで」


「ええ!? 病院行った? それとも祈祷する?」


「すごい二択だな……まあヤバそうならお願いするかもな」


 浅井先生は俺の右手首を支えつつ、心配そうに患部を眺めている。

 その気持ちは嬉しいのだが、正直に椿の呪いだなんて言わない方が良さそうだ。無駄に張り切られても困るし。

 うっとうしいだけの傷なんかより、浅井先生と一緒に過ごせている時間の方が俺にとっては重大事なのだから。




 神社をぶらりと一周したが、椿の影はなかった。何を企んでいるのかはわからないが、いるのかわからない人間をあまり意識しても仕方ないか。

 それより今は目の前にいる相手に集中したい。俺たちの心の距離はどのくらい近づいているのだろうか。

 モアちゃんのアドバイスの一つ、「相手の顔色を窺うな、でも空気は読め」という言葉が脳裏をよぎる。

 不器用な俺には難しい注文だが、できる限りはやってみようと思う。




 昼間は三条の近くでランチを取ることにした。もちろん虫は食わない。いたってまともな洋食プレートだ。


「このオムライス、美味しいわね。卵がふわふわで」


「浅井先生は何でも美味しいって食べるよな。好き嫌いとかないのか?」


「胃で消化できるものはだいたい好きよ。この間は親戚から佃煮ワッフルをもらったのだけど、すごく美味しかったの! また一緒に食べない?」


「ああ……気が向いたらな……」


 佃煮とワッフルを掛け合わすメリットがどこにあるのか、疑問が溢れて仕方ない。しかしツッコむだけ野暮なのだろう。本人はいたって真面目に話しているんだろうし。


 仮に付き合えたとしても浅井先生の独特のセンスについていけるかはわからないが、人と恋仲になる以上は「楽しい」ばかりでは済まないのだろう。

 摩擦や衝突があったとしても、互いが互いを受け入れていく。それは痛みを伴う作業かもしれないが、きっと浅井先生となら乗り越えられる。そんな気がしている。


 こうして浅井先生と仲睦まじくしていると気分が晴れる一方、腫れた右手がズキズキと痛んでくる。

 「私を無視しないで」という椿の怨念を感じる。どうあっても俺を邪魔したいらしい。

 厄介極まりないな、まったく……




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