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54―1 奇人と白蛇 その1

 千佳から「また神戸に行きたい」と言われたのは今週の初めごろ。

 少し前に村瀬や椿とゴタゴタがあった件についてはなぜか触れられず、かえって不気味である。


 まさか村瀬を暗殺しに来るのか? いや、それならわざわざ俺に連絡しないか。

 むしろ俺が責められる側か? 怒られるだけで済めばいいのだが。

 あるいはもっと別の意図があるとか。色々と思いを巡らせはするが、千佳の魂胆は掴めそうにない。

 ただ俺に会いに来たいだけなのかもしれないし、これ以上悩んでも仕方ないか。


 そこそこにもてなして、穏便に帰ってもらおう。






 金曜日、約束通り千佳は神戸にやってきた。

 わざわざ平日に来るのは、普段の大学の様子を見てみたいからだそうだ。


 俺は講義があるからと断ったのだが、「それなら講義を一緒に受けてみたい」と返された。

 通っている高校は創立記念日で休みらしく、彼女にとってはちょうどいいタイミングだったようだ。

 真面目な動機を挙げられると俺も無下には断れない。




 今日の千佳は制服を着ていた。容姿端麗な高校生を連れ回すだなんて、また変な噂が立ちそうで怖い。しかし服を着替えろとも言えないしなあ。

 六甲駅で少し立ち話をした後、二人並んで大学へ続く長い長い坂を登る。


「すごい坂だね。バスとかは無いの?」


「あるけど混むんだよなあ。それより千佳、朝から来て大変だったんじゃないか? 大学なら白蛇を通して見てるだろうし、無理しなくても」


「お兄が通ってる大学をちゃんと自分の目で見ておきたくて。それに、あの子ごしに見ると景色がのっぺりして見えるから。たまに見間違いをすることもあるし」


「見間違い、ねえ……」


 もしかしすると千佳は、村瀬が俺に対して本当にキスしたのか確認に来たのだろうか。

 だとしたら今日は村瀬とは会いたくないな。色々と話がこじれそうで不安だ。

 今のところ椿は現れていないが、アイツに会っても相当面倒なことになりそうだ。

 とにかく今日は誰にも会わないことを祈ろう。






 あらゆる心配は杞憂に終わり、知り合い誰とも会わずに教育学部棟までたどり着くことができた。

 周りからの好奇の視線は痛いが、それでも顔見知りに会うよりはマシだ。


 今日の二限はいわゆる「認知発達論」というやつで、まさに教育学部らしい講義であった。

 千佳は教育学部ではなく農学部を目指しているので、畑違いの学問ではある。

 しかも専門的な内容に踏み込んでいるので、高校生の千佳には退屈ではないかと心配だ。


 しかし講義が始まってみると、彼女は熱心に教授のご高説を聞いていた。わからない部分があっても自分の中で消化しようと努力している様子が見てとれる。


 まあ、昔から利発な子ではあったのだ。単位を取りたいがために出席している俺とは役者が違うのだろう。

 その姿勢は見習わないといけないな……




 そして二限の講義を終え、昼休みの時間となった。最も知り合いに会いやすい危険な時間帯だ。

 昼食は知り合いが少なそうな場所で取るべきかと思い、あえて工学部付近にある食堂を選んでみた。

 椿やリーちゃんのいる文・理・農学部や、浅井先生や麻季ちゃんのいる経済・経営・法学部、諸星や村瀬のいる教育・外国語学部いずれとも少し離れており、顔見知りに会う確率は限りなく低いはずだ。




 しかし、こういった目論見は大抵外れるもので。




「あれ、ナガさんがJKを連れている。未成年者略取ですか?」


「うおっ!? なんだリーちゃんか……人聞きの悪いことを言うな。見学だよ、見学」


 食事が終わる寸前、結局知り合いに見つかってしまった……まあ、リーちゃんに遭遇しただけなら運の良い方だろう。もっと厄介なやつはいくらでもいるわけだし。

 特に諸星とか伊坂には会わせたくないな。千佳の情操教育に悪そうな気がする。


「するとこの子が『ちーちゃん』さんですか。なかなかの別嬪ですね。わたしが男なら持って帰ってホルマリン漬けにしているところです」


「性別変わるだけで異常性上がりすぎじゃない?」


「お兄、何この人」


 千佳は怪訝そうな目でリーちゃんをじっと見た。まるで外敵に遭遇した爬虫類のように、息を殺して様子を窺っている。

 白蛇を通してリーちゃんの姿は見ているだろうが、やっぱり直接話すと面食らうよな……俺も毎回面食らってるし。


「どうも申し遅れました。わたしは竜田川莉依。ナガさんの妹兼嫁候補です」


「は? お兄に妹なんかいないでしょ。それに嫁って何?」


「おっと冗談が通じない。イージーに行きましょう。スルメとか食べます?」


「待ってリーちゃん、もうちょっと手加減して」


 リーちゃんはいつの間にかスルメの入った袋を千佳の前に差し出していた。

 スルメに罪はないのだが、どう考えても初対面の相手に渡す食品ではないだろう。


 しかし意外にも千佳はスルメを受け取り、干からびたそいつをガシガシと齧り始めた。

 好物だったのだろうか? それにしても普通持ち歩くかな……スルメ。


 一同、黙して千佳がスルメを食べ終わるのを待つ。

 完食まで時間がかかったせいか、千佳の精神も落ち着いてきたようだった。

 ここでスルメを差し出したのは意外に合理的だったのかもしれない。


「それで、ちーちゃんさんはなぜ大学に? 見たところずいぶん若く見えますが」


「一つしか年齢変わらないよな? キャンパスの見学だよ。今年うちの大学を受験するみたいだから」


「うん、お兄の大学見てみたくて」


「なるほど。それで学部はどちらを目指されてます? 理学部ですか? 惑星学科ですか?」


「めちゃめちゃ仲間欲してるじゃん……」


「農学部だけど。動物学の研究とかしてみたくて」


「なるほど理系女子。わたしと同類ですね」


「あなたの同類はちょっと嫌かな」


「ほほう、なかなか言いますねえ。しかし一理ある」


 辛辣なことを言われても腹を立てないリーちゃんの鷹揚な態度に、千佳も少し警戒心を解いたようだ。先ほどよりは目つきが柔らかくなった気もする。

 心なしか、雰囲気がだんだんなごやかになってきた。


「ナガさんから色々話は聞けましたか?」


「うん。講義の受け方とか教えてもらった。でも理系のことはわからないって」


「そこはわたしにお任せを。理学部のことなら何でもお答えしましょう」


「いや、だから農学部志望なんだけど」


「今からでも進路変更は間に合いますよ」


「どうしようお兄、この人会話が成立しない」


 千佳はリーちゃんの奔放さに呆れつつもどこか楽しそうだ。

 本当に千佳がうちの大学に来るなら、年の近い先輩もいた方がいいだろう。

 偶然だがリーちゃんに会えたことはむしろラッキーだったのかもしれない。


「今さらですが、ちーちゃんさんはナガさんとどういうご関係で?」


「ただならぬ関係。今は年齢的に断られてるけど、きっと来年にはもっと深い関係になってるはず」


「ほう。しかし『あの件』については何も聞いてないようですね」


「あの件?」


「はい。ナガさんが姐さんや姫とちゅーをした例のアレです」


 瞬間、場の空気が凍った。




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