53―4 ヤンデレとかくれんぼ その4
村瀬と付き合うフリをすることになったものの、具体的に何をすればいいやらわからない。
まさか大学構内でイチャつくわけにもいかないが、恋人らしさを椿に見せつけないと説得力がない気もする。
「さて、椿が来るまでに作戦を立てるか」
「悠長に構えている暇はなさそうだ。ぶっつけ本番でいこう」
村瀬が後方を顎で指すと、物陰に黒い物体が見えた。
闇から生まれたかのように暗い影が動き出し、こちらに接近してくる。早速出やがったな……
「おはようございます先輩、今日はお一人なんですね」
「ナチュラルにボクのことを無視してくるな……」
椿の先制攻撃に苛立ったのだろう、村瀬の左手が日傘をグッと握る。
しかしここでムキになってはいけない。村瀬は俺の彼女(仮)なのだ。椿に対しては余裕を持って接するくらいで丁度いいはず。
「ああ村瀬さん、いたんですか。派手派手しいカーテンかと思いました」
「ずいぶん言ってくれるね……!」
「まあ待て村瀬。なあ椿、お前に話しておかないといけないことがあるんだ」
「あら何でしょう。やっと私の想いに応えてくれるのでしょうか。でもそこのカーテンが邪魔では? 背景に徹してくれればいいんですがねえ」
椿はどうも村瀬のことを嫌っているようだが、今日は一段と煽り方が激しい。
拙速な気もするが、急いで本題に入らないとそろそろ村瀬が爆発しそうだ。
ゆっくり息を吸い込み、椿の目を見据えて口を開く。
「実はな、今日から村瀬と付き合うことになったんだ」
さあどう出るか。
椿の出方をじっと窺っていると、奴は口元を押さえて小刻みに震えだした。
怒りで叫び出しそう、というところか。あるいは悲しくて声も出せない? いずれにせよ平常心ではなかろう。
何が起きても対処できるよう構えていると、椿の口から音が漏れ始めた。
「ぷっ、あは、あははははははははははははははははははははははははははははははは」
まるで壊れたレコーダーのように椿は笑い続ける。
何がそんなに可笑しいのか、激しく左右に身をよじる姿は軟体生物のようで甚だしく不気味である。
「冗談にしても無理があるでしょう。先輩が? 村瀬さんと? いやいやそんな……」
椿は笑いすぎで疲れたのか、次第にゼーゼーと苦しそうな息を吐き始めた。
「本当なんだって。実は前から村瀬のことが気になってて、だからお前のアプローチを拒否し続けてたんだけど」
「そうそう。武永くんは凄いぞ。人前で土下座してまで迫ってくるものだから、ボクも根負けしてしまって」
勝手に設定を盛るな。仮にお前と付き合うにしても土下座は絶対しねえ……と言いたいところだが、ここは口裏を合わせておかないと。
「村瀬も村瀬で俺にベタ惚れみたいでさ、もうアレなんだよ。相思相愛、落花流水の情っていうのかな」
「そうそう。我々は互いに半身と思いあっている仲でね。まさか凡人の武永くんと懇ろになるなんて、ボクが一番驚いているところさ」
「はあそうですか。そんなに仲良しなんですねえ」
椿はケラケラと笑いつつ、俺たちを品定めするように二人の間を歩き回っている。
こっちの主張なんざ微塵も信じちゃいないようだ。余裕綽々の態度からもその心中が見て取れる。
「じゃあ証明してみせてくださいよ。どんな形でもいいですよ、今そこでキスでもしてみます?」
足を止めた椿は俺たちの前で立ち止まり、今日一番のいやらしい笑みを見せた。
なんか前にもあったな、こんな場面。あの時は村瀬が機転を利かせて椿を追い払ってくれたっけ。
今回はどうするつもりだろう。
村瀬の出方を窺おうと隣を向いた瞬間、唇に柔らかい感触が当たった。
一瞬何が起こったのか理解できなかった。演技、だよな? いや、でも、確かに当たって。俺の唇にも口紅だかリップクリームだかが残っているような、ぬるっとした感覚があって。
「これで満足かい? ミセス・マレフィセント」
「そんな……嘘……」
貧血のようにふらつく椿。膝が震え、足がもつれ、そのまま平衡感覚を失って倒れ込んでしまった。
地面に身体を横たえたまま、潤んだ目でこちらを見つめている。
「嘘です、嘘……まだ私は納得してません……今すぐ先輩の×××を××て×××してください……そうしないと信じません……」
「落ち着け椿、伏せ字が多すぎて言ってることがよくわからん」
「××××」
「悪化した!?」
謎の伏せ字を最後に、椿は言葉を発しなくなった。ナメクジのごとく地面にへばりついて、動き出す気力もないらしい。
想像以上のダメージのようだ。見ていて痛々しいが、ここで情けをかけてはならない。
「残念だが、武永くんのことは諦めてもらう他ない。すまないね」
「……椿、達者でな」
地面に横たわる自縛霊を横目に俺たちはその場を後にした。
大学を後にした俺たちは、駅の中にあるパン屋に入りコーヒーを注文した。
一応目的は果たせたが、こっそり椿がついてきている可能性も考えると、まだ村瀬と離れるわけにはいかない。
単体で闇討ちでもされたらたまったものじゃないからな……
「しかしお前、本当にキスまでする必要はなかったんじゃないか」
「いやあ、あんまり椿くんがボクをモブ扱いするものだから。つい、ね」
「つい、で人の唇を奪うな」
「あと異性とのキスがどんなものか前から気になっててね。同性としかやったことがなくて」
「全部お前の都合じゃねえか!」
「まあ細かいことはいいだろう。良子ちゃんには黙っておいてやるから心配するな」
村瀬は謝罪するどころかウィンクで済ませようという腹積もりらしい。コイツも顔だけは美人なので俺も別に不快ではないんだが……
村瀬の唇がコーヒーカップに触れるのを見る度、胸がざわめいてなんとなく悔しい。
「それにしても椿くんの落ち込みようは凄まじかったね。何だか申し訳なくなってしまったよ」
「いつもやられっぱなしだし、たまには良いだろ。それよりアイツの追撃を警戒しないとな。一度取り逃した獲物は必ず追いかけてくる奴だ」
「熊みたいな習性だね」
「熊ならまだマシなんだよ、最悪食われて死ぬだけだし」
「それ以上に恐ろしい目に遭うのか……」
村瀬と二人震えていると、ふいに俺のスマホにメッセージが届いた。匿名のアカウントだが、どう考えても椿だろう。
さて、内容は……
「夢を見てる気分です。涙腺はさきほどようやく落ち着きました。さっさと先輩のことは忘れるべきですね。涙を乗り越えて、強く生きようと思います。いつかまたお会いしましょう」
スマホを覗き見した村瀬は安堵感からかクスクスと笑った。
「なんだ、武永くんの杞憂じゃないか。まったく人騒がせな。しかし椿くんもいじらしいものだね、早速失恋の痛みを乗り越えようと頑張っているようだ」
一方俺は、メッセージを見た瞬間絶望のあまりコーヒーをひっくり返しそうになった。
ダメだ。アイツは相当に怒っている。それでいて、諧謔を交える余裕も備えている。冷静な犯罪人ほど怖いものは無い。最悪だ。
「どうした武永くん? ガタガタ震えて。冷房の効きすぎか?」
「頭文字だよ」
「頭文字?」
「ああ、もう一度メッセージを読んでみろ。文章をひらがなにしてな」
「えーっと、ゆ・る・さ・な・い……?」
だんだん村瀬の顔が青ざめていく様子を眺め、かえって俺は冷静になれた。
今すべきことは一つ。
「逃げよう、速やかに。とにかくここを離れないと二人とも死ぬ」




