53―3 ヤンデレとかくれんぼ その3
「村瀬がこの場所を推理したとでも?」
「いいえ、電話さえかけてくれればそれで十分なんです。どうせ私がかけても出てくれませんしねえ、先輩」
「なんで電話だけでここがわかるんだよ」
「駅のアナウンスですよ。どこの駅にいたのかは正確にはわかりませんでしたが、どうせ終着駅まで逃げるんだろうとは思ってました。阪急のアナウンスが聞こえたので、候補はしぼれますし。神戸方面なら新開地駅、大阪方面なら梅田駅。わざわざ神戸方面に向かう理由はないでしょうから、まず梅田かなと」
「だからってお前、こんな混雑してる場所で俺を見つけるなんて……地上を通るか地下街を通るかもわからんだろう」
「それも難しい話ではないですよ。先輩の家にあるコーヒー、普通のスーパーでは売ってないですよね? 輸入雑貨店かネットで買ったか……いずれにせよ、実店舗にも顔を出す可能性は高い。あとは待ち伏せしておけば十分です」
「いや、でも俺がこの店をいつ通るかなんてわからんだろ……」
「うふふ……ここのお店はコーヒーの試飲を配っていることで有名ですから。先輩が通るとすれば食後、まあ早くても19時以降でしょう。腹も膨れたし折角ならコーヒーでも飲みたいな、でも喫茶店に入るほどでもない、それなら試飲でももらっておこうか……ケチな先輩の考えそうなことです」
完全に思考を読まれている。探偵とかメンタリストとかそんなチャチな物じゃない。もっとおぞましく、もっと不気味な、まるで俺の脳裏を一部支配しているような……
「怖いですか先輩? わかりますよ。己をよく知る人間が敵だなんて、想像しただけで背筋が寒くなりますよね」
すっかり硬直してしまった俺に絡みつくように、椿は身体を沿わせてくる。
「そんな恐ろしい人間から害されないためにはどうすればいいでしょう。知りたい? 知りたいでしょう?」
俺の返事も聞かず、椿はねっとりと話を続ける。
「簡単なことです。私を味方にしてしまえばいいのです。それも生涯にわたる伴侶なら、私は決して裏切りませんよ?」
椿は俺の左手を支えつつ、ゆっくりと薬指をなぞってきた。
その行為が何を示しているかなんて、考えたくもない。ただただおぞましく、不快である。
「そ、それにしても村瀬がよく協力してくれたな」
あまりに気色悪いので思わず話題を逸らす。もちろん椿の手は離れてはくれない。
「そりゃあもう。先輩が大学をサボっている理由について、あること無いこと並べ立てて話したら快く手を貸してくれまして。素晴らしい友人をお持ちですねえ」
人の親切心につけ込んでおいて悪びれないあたり、椿らしいというか何というか。
今回の件については椿に騙されたようなものだし、村瀬を責めるのは筋近いか。
そう、元凶はあくまで一人だけ。底気味の悪いこの怨霊だけだ。
「それにしても先輩、あちこちお出掛けしてどうしたんですか? 何か思うところでもありましたか?」
「た、たまたまじゃないかな、ハハッ」
「まるで『誰か』から逃げ回っているようにも見えましたが、先輩を怖がらせる不届き者はいったいどこの誰でしょうねえ。許せませんね、まったく」
「いや、その……逃げるとかじゃなくてだな……」
「でも安心してくださいね、先輩。どこにいても、何をしてても、きっと私が守って差し上げますから。ドント・ハフトゥ・ウォーリーというやつです」
椿はうっとりとした目で俺の顎を撫ぜた。奴に肝を握られているこの状況で、お前の存在自体が「ウォーリー(憂慮)」であるという指摘は到底できなかった。
椿に見つかった以上、最早大阪にいる意味も無い。結局その日は苦い敗北感を抱えたまま神戸まで帰ることとなった。
当然椿も俺に着いてきて、当たり前のように家の前まで隣を歩いていたのだが、家のドアを無理くり閉めることで難を逃れた。
結局力業に頼るあたり、俺もたいがい芸が無い。
しかし頭脳戦でアイツを出し抜くことなんてできるのだろうか……
翌朝、講義が始まる前の教室で一人座っていると、隣に人が腰かける気配を感じた。
甘い香水の匂いが鼻をくすぐり、ふわふわしたフリルが目に入る。
「おっ、サボりの武永くんじゃないか。今日は珍しく刻限通りに来ているね」
「2日いなかっただけだろうが……」
「2日だけ。それは立派なことだね」
村瀬はムスッとした顔で頬杖をついている。まったく、何がそんなに気に食わないのか。
欠席こそ大学生の本分じゃないか、なんて軽口を言ったらまた怒るんだろうな。
しかしこちらにも言い分がある。
「あれは全部椿が悪い。俺だってサボりたくて休んだわけじゃない」
「キミの事情はわかっているんだよ。何でも一人で抱え込みたがるところが気に入らないだけだ」
「悪かったよ。次からはお前にも相談する」
「いや……こちらこそ熱くなってすまないね」
珍しく素直に村瀬は謝罪を口にした。何か思うところがあったのだろうか。頬杖をついたまま考えこんでいる。
「……要は椿くんを諦めさせればいいんだね」
「まあ、そうだな」
「ならボクが付き合ってやろう」
村瀬は手に持ったボールペンで俺の鼻を突き、得意気にニヤリと笑った。
なんとなく嫌な予感がする。
「付き合うって、何をだよ」
「だから、このボクが付き合ったフリをしてやろうと言っているのだよ」
「はあ?」
何を言っているんだコイツは。だいたい、浅井先生ならまだしも俺と村瀬が付き合うなんて唐突すぎるだろう。
それに、そこまでリスキーなことをして村瀬に何の得がある。
まさか、考えたこともなかったが、実は村瀬は……
「もしかして村瀬、俺のこと……」
「いや、それはない。絶対にない。永久にない」
即刻否定された。我ながらかなり恥ずかしい勘違いだ。
しかしそこまでして村瀬が俺のことを助ける理由がわからない。根が親切なのは知っているが……
「ボクはね、友だち思いなんだよ」
「自分で言うなよ。しかし俺に大した恩返しはできんぞ」
「何もキミだけのためじゃないさ。かわいいかわいい良子ちゃんのためにも、ボクは一肌脱いでやりたいのさ」
なるほど。俺だけじゃなく浅井先生のためでもあるのか。
確かに椿の脅威がなければ俺と浅井先生の関係も近づくだろうが……
「しかし付き合ったフリねえ。悪手だと思うがな。間違いなく椿は激昂するだろ」
「一時的にはそうだろうね。しかし彼女がキミに幻滅する可能性もある」
「幻滅……するかなあ」
「椿くんはボクのことを『ダサい』だの『痛い』だの『勘違い女』だの散々に批判してくるからね。考えてみたまえ。自分の好きな人がダサくて痛くて勘違いしてる人間と付き合ったら、興ざめしないか?」
「それは、確かに……」
「だろう?」
とはいえ、そんなにうまくいくだろうか。まあ単に逃げてるだけでは失敗続きだし、ここらで一つ変化球を入れるのも悪くないのか?
「どう思う? 悪い案ではないだろう?」
「ナシではないかな……」
「それじゃあよろしく頼むよ、ダーリン」
村瀬は俺の頭をクシャリと撫でて、講義のレジュメを広げ出した。
恋人のフリ、か……なんとなくむず痒いが、そんなに悪い気もしない。
あとは椿にどうやって伝えるかだな……
 




