53―2 ヤンデレとかくれんぼ その2
諸星のアドバイスを実行してから二日目、今のところ椿には出会っていない。快適と言えば快適なのだが、「逃げ方」の性質上、代償として大事な物を失っている気がする。
まあ、当初の目標である「椿から三日間逃げ続ける」という願いは達成できそうなので、まるっきり無駄だとは思いたくないが……
俺はいま、夙川沿いの並木道に設置されたベンチにぼんやり腰かけている。この近くには高級住宅街が立ち並んでおり、俺には縁もゆかりも無い地域なのだが、だからこそ来る意味があるのだ。さすがの椿でもこの場所は特定できまい。
まして今は平日の昼日中、普段なら大学で講義を受けている時間だ。
「大学をサボって放浪する」という諸星の案は、効果的なものではあるらしい。
椿だけじゃなく、誰一人として顔見知りには会いそうもない。
頭の固い俺には思いつかなかった発想だが、試してみるとなかなか悪くないものだ。(親泣かせではあるが)
昨日も大学どころか六甲にすら近寄らず、尼崎のカプセルホテルに泊まっていた。施設はカビだかタバコだかわからない鼻につく臭いがしたが、手軽に非日常を味わえるのは満更でもなかった。
この三日間はたまたまバイトも入っていないし、大学近辺に立ち寄る必要もない。
のびのびとした気分で、俺は木漏れ日の差す並木道を眺めていた。ここを通るのはハトとランナーと犬の散歩ぐらいなもので、平和を絵に描いたようなゆったりとした時間が流れている。
ずっとぼんやりしていたせいか喉が渇いてきた。近くのコンビニで飲み物でも買おうか。
コンビニへ向かう道すがら考える。
今は財布とスマホだけ持って過ごしているので、椿にGPSを仕掛けられるおそれもないはずだ。
スマホの位置情報も作動しないようにしてあるし、椿がここまでたどり着くのはまず不可能。
素晴らしき自由。とめどなく溢れる解放感。
突然現れる怨霊に悩まされることがない、そんな当たり前の時間が俺にとってはこの上なく心地よいものだった。
意気揚々と駅前のコンビニに入ろうとすると、ふいにスマホが鳴り始めた。
まさか、椿か?
おそるおそる画面を確認すると、着信の主は……村瀬? 何か用でもあるのか?
「おう村瀬、どうし……」
「キミはバカか!? 諸星くんから聞いたぞ!」
電話越しに村瀬の怒声が飛び込んできた。銃声のような響きに鼓膜がビリビリと震える。
「アイツから聞いたなら知ってるだろ、俺は椿の目を逃れたくてだな」
「だからってやり方はあるだろうが! それは講義をサボってまでやることなのか!?」
村瀬の大声が通話口で響き続ける。耳が痛いな……色んな意味で。
しかし俺が単位を落とそうと村瀬には関係ないだろう。
だいたい、こうなったのも椿のせいなのだ。こっちは被害者なのだし、俺を責めるくらいならアイツをどうにかしてほしい。
「講義が終わればそっちに行って説教してやる! キミはどこにいるんだ!?」
「説教なら今度聞くから、しばらくは勘弁してくれ。逃げ回ってることは椿に知られたくないんだよ」
「知らん! ボクはすぐにでも説教したやりたいんだ! まったく、教師を志す者が講義をサボるだなんて!」
村瀬の大音声が耳に刺さる。アイツ、よく通る声してるから余計にうるさいんだよなあ……
教師向きの声だとは思うが、俺自身はアイツに師事した覚えはない。よって、説教を受ける謂われも無いのだ。
「じゃあな、もう切るぞ」
「待て! まだ話は終わって……」
終話を告げる音がプー、プー、と間抜けな音を立てる。
ふう。村瀬には悪いがしばらく着信拒否にさせてもらおう。
後でゴチャゴチャ言われるだろうが、ここまで来て椿に見つかるよりはよっぽどマシだ。
しかし何となく嫌な予感がする。まさかとは思うが、発信場所が特定されて、俺の居所がバレるなんてことはないよな。
奇しくもここは駅から最も近いコンビニ。wi-fiやら何やらが悪さして特定されることとかってあるのかな。椿なら特殊技術を持っていてもおかしくない。
交通費はかかるが、できるだけ遠くに離れておくべきかな……
次に逃げ込んだ街は大阪梅田。大阪府内でも一、二を争う繁華街だ。
高級ホテルにカプセルホテル、果てはネットカフェまで寝床は選び放題で、夜を越すには最適だろう。
通行人も多いし、まず椿に見つかるおそれもなさそうだ。
神戸からあまり離れたくはなかったが、今回ばかりは止むを得ない。
そう、これは俺にとっての安全地帯を探す旅なのだ。多少無茶をしてでも十分見返りは得られるはず。
夕食には駅前ビル地下のトンテキを選択。味、ボリューム、値段、すべてにおいて丁度いい。一人で入りやすい店構えである点もありがたいところだ。
カウンター席でサラリーマンと肩を並べて肉の歯ごたえを楽しむ。
暇な大学生としての身分を満喫できるのも今だけかと思うと、やはり自由というのは尊いものだ。椿から何とか逃げきり、「俺だってやれるんだ」という実感が欲しい。
夕食は美味しくいただいたが、このままホテルに直行するのもなんとなく勿体ない気がする。
折角梅田まで来たので、ブラブラとショッピングでもしようか。
服を見るか、百貨店を冷やかすか。いや、やはりここは……
目当ての輸入雑貨店に着き、店内に入ろうとすると後ろから声をかけられた。
「夕飯、美味しかったですか?」
「ああ、なかなか……って椿!? な、なんでお前……」
困惑しつつ振り返ると、白いワンピースを着た髪の長い幽霊がニタニタと俺の反応を楽しんでいた。
驚きのあまりさっき食べたものが全部胃から出そうになる。
なんでだ? なんでコイツが、ここに……
「まさかGPSか!? 俺のスマホに何か仕掛けをして……」
「ハズレです」
「実はずっと後をつけてた、とか。夙川にいた時から」
「それもハズレ。そんなところにいたんですね」
「ならどうやって……」
「ふふっ……今回は私一人ではどうにもなりませんでした。そこで村瀬さんですよ」




