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51―5 想い人とごちそう その5

「あーあ、先輩が壊れたせいで浅井さんが泣いちゃいましたねえ。可哀想に。ねえ、浅井さん。あんな人間はやめときましょうよ。貴女ならもっと似合いの相手がいますよ」


 ここぞとばかりに椿が浅井先生にまとわりつく。にやついた顔は人を慰める表情とは思えないが、奴の言うことも間違いではない。

 こんなつまらない俺と浅井先生が不似合いなのは確かだ。

 なぜか浅井先生は俺を気に入ってくれていたようだが、そんなものはただのラッキーだったのだろう。


「ほら先輩も謝らないと、周りの人たちにも変な目で見られてるし。女の子に恥かかせちゃダメですよねえ」


「……うるせえ、お前には関係ないだろうが」


「ええ、これはただのお節介ですよ。お二人が気まずいと私も悲しいですから。ちゃんと仲直りしないと、ねえ?」


 椿の思惑はわかっている。この気まずい空気のまま俺と浅井先生に話をさせて、さらに泥沼化を狙っているのだろう。

 とはいえ、黙っていても仕方ない。言葉を選んで慎重にいくしか……


「なあ、浅井先生。俺は……」


「ううん、いいの……何も言わないで……」


 浅井先生に制され、それ以上言葉を続けられなかった。

 ハンカチで目の周りを拭う彼女を、黙って見つめることしかできない。何とも情けない状況だ。

 重苦しい沈黙が場を支配する。






 しばらく黙って様子を見ていた椿が、さすがに焦れてきて口を開いた。


「さあ、浅井さん。言っちゃってください。先輩にトドメを刺す言葉を。何かとニブいですからねえ。はっきり伝えないとわからないんですよ、この人は」


「そうね、ちゃんと言葉にしないと……」


 やめろ。やめてくれ。聞きたくないんだよ別れの言葉なんて。付き合ってすらいないのにフラれるとか、笑い話にもならんだろう。


「武永先生……」


 テーブルから半身を乗り出し、浅井先生がじっと俺を見つめる。その目は潤んでいて、未だ感情を抑えきれない様子が伝わってきた。

 「美人かどうかは泣き顔の美しさで決まる」なんてどうでもいい言葉を思い出していた。その判断基準で言えばやはり彼女は美人なのだろう。

 涙で濡れたまつ毛さえも、なんだか輝いているようで……


「武永先生……本当に、ありがとう」


「は?」


 椿が間抜けな顔で固まった。きっと俺も負けず劣らず呆けた顔をしているだろう。

 何故、ここで、お礼?




 


「実はね、わかってたの。武永先生が本当はこのお店に来たくなかったって」


 じゃあ連れてくるなよ、と言える空気ではなかった。

 浅井先生は申し訳なさそうな顔で訥々と語り続ける。


「でもこれからも武永先生とやっていくなら、こういった価値観の違いは絶対に生じてくる。私、よく変わり者だって言われるから……」


「浅井先生……」


「価値観の違いが起こった時、どうなっちゃうんだろう、うまくやっていけるかなって、確認してみたかったの。試すようなことしてごめんなさい」


 浅井先生はグスグスと涙声のまま言葉を紡いだ。

 ちょくちょく揚げタランチュラを食べながら話すのでパリパリと音が聞こえてくる。なかなかシュールな光景だ。


「いやいやいやいや。じゃあなんで泣いてたんですか? 虫を貪り食う先輩の気持ち悪さに吐き気を催したとかじゃないんですか? だってあれ、凄まじくグロテスクじゃなかったですか。『我が子を食らうサトゥルヌス』の絵画かと思いましたよ」


「言い過ぎだろ椿……」


「えっ、これでもマイルドに表現したつもりだったのですが……」


「ああそう……しかし、泣いてた理由は確かに気になるな」


「それは、その……私なんかのために頑張ってくれてる武永先生を見てると、感情がわーってなっちゃって……」


 思い返せば浅井先生はこれまでも泣くことは時々あった。元々涙腺がゆるい方なのだろう。

 今回のは俺を無理に付き合わせた罪悪感だったり、不器用でも必死に合わせようとする俺の姿に感銘を受けたりとか、色んな感情が一気に噴出したというわけか。


「でも、今回のことでわかったわ。私がどれだけ変わり者であっても、きっと武永先生は受け入れてくれる。本庄さんの言う通りね。私と武永先生じゃ釣り合わないかも」


 椿の言ってたことはそういう意味じゃないと思うし、俺への評価が高すぎる気はする。評価してもらえるのは悪い気分じゃないが……


「ふん。やっと自覚しましたか。先輩の隣にふさわしいのは私だけ。脇役らしく引っ込んでてください」


 ふんぞり返る椿を見て、浅井先生は優しく微笑んだ。

 これだけ敵愾心を剥き出しにする椿に対しても笑いかけるとは……天然ボケなのかそれとも大物なのか。


「そうね、あなたたちはお似合いだと思うわ。本庄さんといる時の武永先生ってすごくいきいきしてて、見てて羨ましくなるもの。でも」


 浅井先生は椅子から立ち上がり、俺と椿の間に割り込んだ。

 もうその目に涙は見えない。代わりに決意の炎が宿っているように思えた。


「私も武永先生に見合うような人間になるから、本庄さんに負けないくらいに」


 なんなんだこの展開は。半ばヤケクソで虫を食い散らかしただけなのに、浅井先生の中で俺の評価がやけに上がってないか? うまくいきすぎてて逆に怖いんだが。どっかでバチ当たったりしないよな……


「とりあえず、デートの続きをしましょう。ここは私が払っておくから、次は武永先生の好きな物を食べに行きましょう?」


「お、おう……」


「はあ? そんなもの行かせるわけ……」


 椿が俺たちを引き留めようとしたその時、ふいにヤツの身体がよろめいた。


 後ろで椿の服を引っ張るのは俯き顔のモアちゃん。表情を見るまでもなく、彼女の全身から怒りが沸き立っていた。

 俺に酒を飲まれ、黙っていられないのだろう。厄介なことになりそうだ。


「許せないっす……人の酒を」


「そ、そうよねモアちゃん! 二人がかりで先輩をやっちゃいましょう!」


 椿はモアちゃんをけしかけようとするが、彼女は椿の服を掴んだまま放そうとしない。


「あれ? モアちゃん、どうして……」


「つばっちのせいっすよ……」


 ようやく顔を上げたモアちゃんの暗い瞳は、椿の姿を捉えていた。俺の方には一瞥もくれないで、まっすぐ椿を睨んでいる。


「いや、でもあれを飲んだのは先輩で、捕まえるなら先輩を……」


「武永さんを煽ったのはつばっちっすよね? 人に飲ませていいのは己が潰れる覚悟を持っている人間だけっすよ」


「え……」


「今日は死ぬほど飲むっすよ! というか死ぬっす! アル(ちゅう)心中(しんぢゅう)するんす!」


「放してくださいモアちゃん! 私はまだやることが! 力強っ……いやほんと放して首が絞まる……」


 鬼と化したモアちゃんに引きずられ椿は店外へ姿を消した。

 しかしアイツら会計どうしたんだろう……






 邪魔が消えた後は浅井先生となんばをブラブラ観光した。

 露店でたこ焼きやソフトクリームを食べたり、百貨店をぶらついたり、平凡だが楽しいデートだったと思う。


 もちろん、今日だけで急激に仲が発展するとかそんな都合のいい話はない。

 それでも帰り道に浅井先生から手を繋いでくれた。その事実だけで今日一日の苦労が報われた思いだった。




 後日椿の逆ギレから逃げ回るモアちゃんに巻き込まれたのはいい迷惑だったが、それはまあ、語るほどでもないか……





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