50―2 メンターと未来図 その2
「あれ? 私のこと無視するんじゃないですか?」
「うるせえな。勿体ぶってないで『答え』を言え」
喜多村さんに投げかけられた「君は何がしたいのか」に対する「答え」。それを本当に椿が掴んでいるのかは怪しいが、今は藁にもすがりたい。
「タダで教えるわけにはいきませんねえ。交換条件として……」
「チッ、どうせハッタリだろ。もういい。俺は早くバイトに行きたいんだよ」
椿はニヤケ面を崩さないまま、俺の後ろを三歩下がってついてくる。まだ何か用があるのか。あるいは用なんてなくてただの嫌がらせか。
「いいんですか先輩、せっかく目の前に答えがぶら下がってるのに」
「お前が本当のことを言ってる証拠がない以上、信用する義理もないからな」
「そうですか……なら一言だけ」
椿は急に駆け出し、俺の目の前に躍り出た。ヤツの生気のない顔が接近してくる。
「私は先輩の色が好きなんです。先輩といる時だけ、私は乙女として咲き誇れる……」
詩人めいたことを告げて、椿はさらに駆けていった。ぼーっとしている間にその後ろ姿はどんどん小さくなる。
取り残された俺は、頭の中を埋めつくす疑問符を振り払うので精一杯だった。
「また来たんだねー。意外と物好き?」
「あなたに会いに来たわけじゃないです。自分の成績のためですから」
「素直じゃないなー」
翌週の面談でも喜多村さんは変わらず眠そうな顔をしていた。
パジャマのようなゆったりしたワンピースとブランケットを装備し、いつでもどこでも眠る準備は万端のようだ。
彼女のモコモコした長めの髪が、育ちすぎた羊を連想させる。
「それでー、結局武永君は何がしたいのー?」
「もうちょっと具体的に言ってくださいよ。この話、知り合いにしても変なこと言われただけですし」
「変なことってー?」
「それは……」
椿とのやり取りを喜多村さんに話してみたが、彼女は話を聞いているのか眠っているのかわからない態度で、時々頷くだけだった。
「なるほど、色かー。武永君はその子と仲良しなんだねー」
「はあ? やめてくださいよ気色悪い。アイツとは別にそんなんじゃ」
「照れててかわいいー」
「照れとかじゃなくて……」
「そんな君にはお姉さんからもう一つヒントをあげようー」
そこまで言って、喜多村さんは机に沈んだ。ゴトリ、木と額がぶつかる痛い音がする。
さすがに心配になって彼女の顔色を窺うが、モコモコの髪に邪魔されて表情が見えない。ただ、耳を澄ますと寝息が聞こえてきた。
「肝心なところで寝るなよな……」
そのまま時間だけが過ぎてゆき、もう終了間際になっていた。
喜多村さんはまったく体勢を変えず、すぅすぅと眠っている。
「起きないんだったら帰りますよ、喜多村さん」
「んー……あと5分」
「5分経ったらもう定刻過ぎますよ」
「じゃああと10分ー」
「なんで延びるんですか」
などと言っている間に、面談終了の時間が来た。
結局今日もロクな収穫は無かったな。別に期待しちゃいないが。
「お疲れ様です、疲れてないでしょうけど」
机に突っ伏した喜多村さんの頭を見下しながら、リュックを背負う。
ため息をつきつつ一歩踏み出そうとすると、おもむろに腕を掴まれた。
「なんなんですか、もう……」
「君の知り合いの椿って子、きっと真っ赤なんだろうねー」
「寝ぼけてるんですか? いいから腕を放してください」
「乙女椿は暑さにも寒さにも負けない……」
ムニャムニャとうわ言を述べた後、力尽きた喜多村さんの手が俺の腕を離れた。
また眠ってしまったのか。本当にだらしない人だな。意味深なこと言ってるけど、実はテキトーにふかしてるだけなんじゃないか?
まあどうでもいいか。今日もバイトだ、早く帰ろう。
バイトが終わり、講師控え室で浅井先生に少し話をしてみた。
変な先輩と話す機会ができたこと、訳のわからない問答を投げかけられていること、それなのにバイト中も彼女の言葉が頭から離れなかったこと。
「話を聞いてもさっぱり意味がわからないわね」
「だよな。浅井先生からしても何もわからんよな」
「いえ、でも一つだけ。本庄さんの言ってたことはわかるかも」
「えっ、どこが?」
「その……武永先生の色が好きってこと。私もそうだから」
浅井先生はあからさまに俺から顔をそむけ、ボソリと言った。なんとなく耳が赤い気がする。
「椿にもそんな風に言われたけど、結局俺の色って何色なんだろうな」
「白いんだけど、純白ではなくて……こう、もう少し取っつきやすい色というか……」
「オフホワイト、っていうやつか?」
「それよ!」
「で、それが俺の進路と何の関係があるんだ?」
「……さあ」
まあ、これ以上浅井先生を困らせてもしょうがない。
答えも何も見つからないまま、最後の面談に臨むしかないのだろう。
面談のブースに着くと、まだ喜多村さんの姿は見えなかった。おおかた寝坊だろうが、もしかしたらこのまま姿を現さないこともあるか……?
などと考えているうちに、寝起き顔の喜多村さんが髪をワシワシと整えながら現れた。
「おはよー武永君。答えは見つかったかな?」
「おはよう、って……もう夕方ですよ。答えはまあ……結局わかりませんでした」
「なら答え合わせしよっかー」
くぁ、とあくびをしながら喜多村さんは事も無げに言った。
答え合わせだって? 俺の将来やりたいことをこの人が知ってるっていうのか?
「ハハッ、あなたに俺の何がわかるんですか」
思わず鼻で笑ってしまったが、無礼なのはお互い様だ。他人の人生に対して知った風な口を利くなんて……
「じゃあ教えてください。俺のしたいことって何なんですか」
「君のしたいことって、本当は無いんでしょ。このルーズリーフみたいに、白紙のまんま。そりゃ答えも出るわけないよねー」
「そんなこと……」
そんなことない。喉まで出かかったその言葉がなぜか途中で詰まってしまった。
俺はそんな空っぽな人間じゃないって主張したいのに、なぜ弁明が出てこない。
俺は、だって、俺は……
「な、なんでそんなことわかるんですか……ちょっと知り合っただけなのに」
「実はねー、みぃは前から君のことを知ってるんだよー。武永宗介君」
「えっ……」
俺になんて興味ないかと思っていたが、ちゃんとフルネームまで知ってたのか……この人、いったい。
「君のことはずっと気にかかってたんだよー? 元・学内四大変人としてねー」