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49―8 石頭と逃避行 その8

 目を覚ますと、見慣れた実家の天井が目に映った。ぼんやりと、昨夜の記憶が蘇ってくる。昨夜……そういえばもう朝なのか。あのまま俺は寝入ってしまったんだ……


「お兄、起きたの!」


 眠い頭で昨日の出来事を整理していると、慌てた千佳が部屋に飛び込んできた。

 元々細身の女の子であるが、一晩でさらにやつれた気がした。目も真っ赤に充血していて、ほとんど寝てないんじゃないだろうか。


「ごめんねお兄、ウチ、あれぐらいしか思いつかなくて。後から大変なことしちゃったって気づいたんだけど、ウチ、その……」


「気にすんな。なんかわからんけど千佳は俺のためにやってくれたんだろう。結果論だけど、俺もこうして元気に生きてるわけだし」


「ごめんね……」


 落ち着いてきた千佳から話を聞くと、昨日の不気味な声は彼女も耳にしていたらしい。

 千佳曰く、クスクスと笑う声はまるで俺の反応を楽しんでいるかのようで、どうにかして俺が苦しむ姿を止めなければと思ったようだ。


 しかし千佳ではあのおぞましい「神様」には手を出せない。そこで蛇を使い、俺を気絶させたと。


 実際、俺が意識を失った後には怪しい声はピタリと止み、千佳の判断が有効打であったことは証明されたらしい。

 あの時は説明がなかったので驚いたが、こうして穏やかな朝を迎えられたので、千佳には感謝こそすれ責めるつもりは起きなかった。


 ただ、千佳の性格を考えれば、俺の気持ちとは裏腹に自分を責めていそうだ。

 俺にとってはそちらの方がよほど重大事だった。


「なあ千佳、俺のことはもういいから寝ろよ。夜もつきっきりで見ててくれたんだろ? それでもう十分だよ」


「でも、お兄の身体が」


「心配すんな。どこも悪くないし、むしろ調子いいくらいだからさ」


「だって、ウチのせいで」


「千佳が寝ない方が落ち着かないんだよ」


「そう……ごめんね」


 千佳は申し訳なさそうな顔で俺のベッドに潜り込んできた。いやそこで寝るのかよ! と普段ならツッコむところだが、今日だけはそっとしておいてあげよう。


 枕に半分埋まった千佳の頭を撫で、彼女の寝息を確認した後、俺はベッドから離れることにした。


 昨晩とは違い外からの生活音も聞こえてきて、気持ちのいい朝だ。

 千佳に対して虚勢を張ったわけじゃなく、本当に心身の調子は良かった。久しぶりにぐっすり眠ったからだろうか。







「お疲れ様でございました」


 浅井先生のおばあさんは開口一番、ねぎらいの言葉をくれた。

 昨晩の俺の苦労を知ってか、あるいはもっと別の意味があるのか。


「あっ、どうも……」


「よう耐えられましたな。神さんとの繋がりは切れました。しばらくは彼らと遇うこともないでしょうな」


「しばらく、ですか……」


「ええ、しばらくです。次に彼らと遇うのは一年先になるか、百年先になるか。天変地異は神さんのご機嫌次第ですからなあ」


 もうこんな気苦労はしたくないが、覚悟はしておいた方が良さそうだ。

 今回と同じ対策が通じるかもわからないし、もう少し「彼ら」のことを知っておくべきなのかもしれない。


「結局、あれは何だったんですか。字義通りの『神様』ではないんですよね?」


「ええ。正鵠を得るような呼び名は無いですが、強いて言うなら『マレビト』に近いものでしょうか。とにかく、我々とは違う界層におられる存在ですな」


 違う界層。なんだかスケールの大きい話になってきた。

 そもそも、俺たちが住む世界とは別の世界があるというのか。そのこと自体が驚きだ。この身で色々と体験してきた以上、疑うことはできないのだが。


「目や声がたくさんあったんですが、あれ……いや、彼らは複数いる存在なんですよね」


「ええ。信じられん話かとは思いますが、彼らは別の世界の人間です。とはいえ、私たちにとっては神さんに近い存在ですが」


「人間だけど神様……? よくわかりません」


「人も獣も神さんも、我々が勝手に作った線引きの上で分けられとるに過ぎません。地続きのもんを峻別することはまことに難しい……」


 おばあさん自身も、どうにか適切な言葉を探しながら話している、という様子だった。

 俺だって、自分の身に起こったすべてを正確に表せる自信はない。


 「言葉で世界のすべてを表現することは不可能だ」と言い切った文学者がどこかの国にいたような、いなかったような。


「神様に似た存在、ということは俺たちの命運も『彼ら』に決められているんでしょうか。だとしたら、俺たちの人生って……」


「まさか。彼らは観客に過ぎません。今回は私らと彼らとの間にある『膜』が薄うなっただけのこと。直截に交わることは無いものです」


「だったら、少し安心しました」


「裏を返せば、私らが困窮しても彼らは助けてくれんということですがね」


「なるほど……」


「貴方の運命は貴方のものです。それはゆめゆめ忘れられぬよう……」


 運命、か……ふわふわ生きてる俺も、何かを選び、何かを捨てる日が来るのだろう。

 他の誰でもない、俺の責任で。






「ところで今回その『膜』とやらが薄くなった理由とかってあるんですかね?」


「色々ありましょうが……端的に言えば、お兄さんの周りが賑やかすぎるのが原因ですな」


「賑やか……」


「お兄さんらの非日常がごとき日常は、彼らの興味を引きすぎた。彼らの方から近づいてきたのが此度の騒動を起こしたわけですな。ふすま越しでも人の気配は感じるもんです」


「つまり……椿や良子さん、他の友人と接していたことが原因のひとつということですか?」


「ええ。ずいぶん刺激的な毎日を送られておられるようですから」


「主に椿のせいなんですけどね……」


「しかしまあ、誰が悪いというのではなく、不運な雨漏りとでも思ってくだされ。あのお嬢さんも悪意はないでしょうし」


 うーん……椿に助けられたかと思っていたら、アイツもこの事態を招いた原因のうちだったのか。帰ったら礼でもしてやろうかと思っていたが、なんとも複雑な気分だ。







「今回は本当にありがとうございました。また何かお礼します」


「それはそれは……寂しい年寄りですから、時々遊びに来てやってください。それから、くれぐれも良子と仲良く」


「はい。お世話になりました」


 おばあさんに別れを告げると、すぐに浅井先生と電話を代わったようだ。彼女の澄んだ声が聞こえてくる。


「武永先生、無事だったのね。良かった……もう私心配で」


「悪いな。今回はマジで助かったよ。月曜には神戸に戻るし、またバイトでな」


「うん……帰りも気をつけてね」


 終わってみると、疲れがドッと出てきた。俺ももう一眠りするか? でもベッドは千佳が使ってるしな……

 ぼんやり考えているとまた電話が鳴った。電話番号が表示されていないということは……


「先輩、どうやら全部終わったみたいですね」


「椿か。浅井先生から何か聞いたのか?」


「いえ。勘です」


 なんでわかるんだ……コイツもたいがい化物じみてるな。オカルト的な才能は浅井先生よりあるんじゃないか?


「さて先輩は私にどんなお礼をしてくれるんでしょうねえ。純銀の指輪か、あるいは誓いのサインか……」


「そのことなんだが……今回襲われたのはお前も原因みたいなんだ。だからチャラってことでひとつ……」


「は? 何を言ってるんですか。私は何が現れるかわからない、窓ガラスの割れた部屋で毎晩眠れぬ夜を過ごしていたんですよ。原因がなんであれ報酬は約束されて然るべきでしょう。途中から先輩に送った報告記録も無視されるようになりましたし」


「俺の部屋で変なことしてないだろうな」


「まさか、先輩の大事な持ち物には指一本触れていませんよ」


 実は椿と一緒に泊まっていた伊坂からすべて聞いていたので、この質問に意味はない。椿の誠実さを推し量りたかっただけだ。

 もちろん俺のわずかな期待は裏切られたわけだが……


 俺は知っている。椿が俺の部屋のあらゆる調度品を舐めまわし、すべての衣服を嗅ぎつくし、あまつさえ俺のベッドのうえでいかがわしい行為に及んでいたことを。

 

「……ところで昨日は何時間寝たんだ?」


「5時間……いえ、4時間だったかもしれません。3時間だったかな」


「設定グダグダじゃねえか」


「3秒の間違いでした。ああ眠い。眠すぎて、ふあ、あくびが」


 わざとらしいあくびが聞こえた時、思わず電話を切ってしまった。これ以上コイツと話していても仕方がない。


 とりあえず、椿以外の人間には順次お礼をしていこう。そう心に誓った。





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