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49―7 石頭と逃避行 その7

「いやいや困るんだって! 今日は実家にいてもらわないと!」


「そうは言われてもねえ……今は雲仙(うんぜん)温泉にいるし、帰るにしても明日以降じゃないと」


「どこだよそれ……」


「長崎だけど。あっ、アンタも来る? 自腹で」


「結構だ」


 母の能天気に呆れて、つい電話を切ってしまった。肝心な時に近くにいないなんて、うちの両親らしいが……


 そばにあった石段に腰を下ろし、頭を抱えていると、突然左足にひんやりとした感触を受けた。

 驚いて下を見れば、白い蛇がチロチロと舌を出し、俺の表情を伺っている。

 言葉の通じない相手だが、彼(彼女?)の言わんとするところは不思議とよくわかった。










 紀伊田辺の駅に着くと、制服姿の千佳がベンチに座っていた。

 アナウンスも途絶えた静かな空間で、彼女は端然と俺の来訪を待っていたのだろう。


 それにしても静かな夜だ。元々利用者の多い駅ではないが、今日はことさら人が少ない。


「久しぶり、お兄。会いたかった」


 俺の姿を見つけた千佳はゆっくり立ち上がり、静かにすり寄ってくる。

 音もなく近づいてくるその姿は、爬虫類のように美しかった。

 

「悪いな千佳。待っただろ」


「ううん、こっちこそごめん。本当はもっと早く力になりたかったんだけど、相手が相手だから」


 どうやら千佳は事情をある程度把握しているらしい。あまり派手な動きはなかったが、白蛇を通してこちらの様子を伺っていたのだろう。


「仕方ねえよ。凄腕の人でもすぐには解決できない事案みたいだし」


「人や動物が相手なら、ウチの可愛い子を使ってどうにかできたんだろうけど」


「それはそれで怖いからなるべく避けたいけど……とにかく敵は神様だからなあ。俺もどうすりゃいいか」


「神様……神様、なのかな。だといいけど」


 千佳がぽつりと呟いた。思い返せば浅井先生のおばあさんも「神さんみたいなもの」としか言っていなかった。

 あえて考えないようにしていたが、結局あれらはどういう存在なんだろう。

 深く考えない方がいいような気もするが、一度意識するとなかなか頭から切り離せないものだ。







 すっかり暗くなった道を歩き続けると、ようやく実家に着いた。

 両親が不在のため、犬の次郎も近所の人に預けているのだろう。

 家の中も庭も静かで、久しぶりの我が家ながらよそよそしい感じがした。


 玄関を開けて電気を点けても、なぜか明るい雰囲気にならない。気にしすぎだろうか。


「お兄の家に泊まるの、何年ぶりかな」


 千佳はわざと明るい声を出し、靴を脱ぎ捨てて玄関へとジャンプした。

 静かな空間に千佳の着地音だけがコトンと響き渡る。


「あー、昔あったな。千佳が帰りたくないって泣いて」


「しょうがない。あの頃からウチはここの家の子になりたかったから」


「普通の家なのにな」


「普通の家だからだよ」


 あの時千佳が帰りたがらなかった理由は他にもあった気もするが……まあ今はどうでもいいか。







 居間に腰を下ろすと、ようやく人心地ついた。

 両親や次郎がいなくて静かでも、やはり我が家は我が家だ。どこに食料があるかもわかっているし、勝手に風呂だって沸かせる。

 張り詰めていた気持ちが少し和らいだように思えた。


「お兄はご飯食べた?」


「電車の中でな。千佳は?」


「ウチはまだ。何かもらってもいい?」


「おう、好きなだけ食べろ。カップ麺ぐらいしか無さそうだけど……」


 千佳は慣れた手つきでカップ麺を取り出し、お湯を沸かしだした。妙にうちに馴染んでるな……


 それにしても静かな夜だ。カエルの声や犬の遠吠えすらも聞こえてこない。

 



 千佳はカップ麺を食べ終わると、机の上に両ひじを置き、じっと俺の顔を見つめた。

 彼女は時々こうして俺を見つめることがあるのだが、そんなにじっと見て面白いのだろうか。少し不思議ではある。


「二人っきりだね、お兄」


「おう。ちょっと寂しいか?」


「そうじゃなくてさ」


 千佳が椅子から立ち上がり、ゆっくりこちらに近づいてくる。

 彼女は俺の座る椅子の後ろに立つと、両手を俺の胸元まで下ろしてきた。どことなく官能的な雰囲気だ。


 しかし俺は、さっきから別のことが気にかかってそれどころではなかった。


「待ってくれ、千佳」


「ん。嫌?」


「そういうことじゃなくて。なんか違和感ないか?」


 しなだれかかっていた千佳が直立の姿勢に戻り、周囲を警戒し始める。


 静かなはずの室内で、声のようなものが聞こえてくる。まるで、どこかでヒソヒソ話をしているような。あるいは、クスクスと笑う声がするような。


「聞こえるか千佳? 何か声みたいなのが……」


「ぴっ」


「ぴ?」


「なんでもない。そう、なんでも……」


 千佳は挙動不審としか言いようのない動きでキョロキョロと周りを見回している。

 その動きに呼応するように、庭の方からわらわらと蛇が集まってきた。

 大小様々な種類の蛇が、いつの間にか開いていたベランダの窓から入り込む。不審な声よりもよっぽど不気味な光景だった。


 しかしヒソヒソ話す声やクスクスと笑う声はやまない。


「あっ、また声が」


「ぴぇっ」


「千佳めちゃくちゃ怖がってない?」


「ちょっとね。ちょっとだけ」


 ちょっとだけ、という割には全身が蛇に巻き付かれていて、ほぼ生身が見えない状態なのだが……

 そんな重装備だとかえって動きにくくないか、とか余計なことは言わない方がいいのだろうけど。


 そう言えば、昔千佳が帰りたがらなかった時も、怖い漫画を読んだせいだったような。

 怖がりなのは直っていなかったのか。


「安心してね。お兄はウチが守るから」


「自分を守るので精一杯のように見えるが……」


「お兄も巻き付かれてみる? 心が穏やかになるよ」


「いや、俺はいいです……」


 そうしているうちにも、謎の声はだんだん大きくなってきていた。

 多くの人間がボソボソとひしめきあって話す声が聞こえてくる。まるで自分が雑踏の真っ只中にいるかのようだった。


 次第に大きくなる声と、隣には蛇まみれの少女。ホラー映画にでも迷いこんだ気分だ。


 千佳から離れた数匹の蛇は、チョロチョロと周りを這っているものの、奇妙な声の源を発見できずにいる様子である。

 蛇のピット器官でも感知できないということは、やはり声の主は生物ではないのだろう。


 ヒソヒソ、ゴニョゴニョ、クスクス、ボソボソと話す声が響いてくる。

 まるで壊れたイヤホンでも使っているかのように、ボリュームがどんどん増してくる。

 耳というより、身体の内側で鳴っているようだ。頭の中が雑音で真っ黒に満たされる。

 気分が悪い。脳みそをかき混ぜられているような心地がする。クソッ、吐き気までしてきやがった……


 千佳は? 千佳は大丈夫なのか?

 崩れそうな身体を何とか保ち、千佳の方を振り返る。


 すると、いつの間にか千佳の周りにいた蛇は姿を消し、立ち姿の千佳自身だけが残っていた。

 彼女は、なぜかこちらを指さしている。 


 そのポーズに何の意味があるのかはわからないが、少なくとも千佳は無事らしい。それが確認できただけでも十分だ。





 そこで、ふと自分の首の違和感に気がついた。





 首に蛇が巻きついている。マフラー代わり、ということではないだろう。

 徐々に首が絞まっていく。思っていたより苦痛はなかったが、息ができない。


 ただ、苦しみより何より混乱が大きい。千佳がなぜこんな凶行に及んだのか理解できない。

 何か彼女の気に触ることをしたのだろうか。それにしたって、こんな……


「ち、千佳……なんで……」


「ごめんね、お兄」


 意識が途絶える寸前、千佳の哀しそうな声が耳に残った……



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