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49―6 石頭と逃避行 その6

 俺が必死で呼びかけている間も、浅井先生は呼吸を荒らげ、肩を震わせている。

 何かを堪えているようで、息苦しそうに見えた。とにかく不穏な様子だ。

 クソッ、神だか何だか知らんが、人の彼女(予定)を苦しめるとは許せない。


「平気か浅井先生! ゆっくり呼吸しろ……!」


「む、無理……いや本当、むりぃ」


 浅井先生は顔を覆ったまま身体を丸めている。まるで何かから身を守るように。

 まさか、俺には見えない何らかの力が働いている?

 

 どうすれば良いかわからないまま浅井先生の背中をさすっていると、今度は俺の頭にバシンと衝撃があった。


 驚いて後ろを振り返ると、そこには仁王立ちの村瀬。

 まさか、村瀬まで正気を失ってしまったのか?

 とんでもない事態だ。まともなのは俺だけか。


「どうした村瀬! お前まで!」


「キミは、バカなのか……」


 村瀬は呆れた顔で自分の髪を弄んでいたが、よく見ると気がふれている様子ではなかった。

 しかしバカとは失礼な。いきなり頭をぶつのもひどい。


「お前……何で殴るんだよ」


「よく見たまえ」


 村瀬の指さした方を向くと、小さく丸まった浅井先生の背中が見えた。

 なぜか後ろ向きのままではあるが、呼吸は落ち着いてるようだ。どうやら発作は収まったらしい。


「何があったんだ? 浅井先生」


「いや、その……クスッ、言いにくいんだけど、ふふ」


「キミも鈍い男だな。いい加減察しろ」


「察しろって……」


 かたくなに俺の方を見ず、笑いを噛み殺す浅井先生を見てようやく気がついた。

 浅井先生は、俺の滑稽な姿を見て笑っていたのだ。


 考えてみれば当たり前だ。部屋の中には女装しながら迫真の表情を見せる男がいて、しかもソイツは無駄に勇ましい台詞を吐いてくる。

 客観的に見ればコントか何かにしか見えないだろう。


「ご、ごめんね武永先生……あんまり真剣だったから、つい……」


 まだ半笑いの浅井先生が俺の座る方へおそるおそる振り返る。

 別に自分の女装に自信があるわけではないが、そこまで笑われては流石に気恥ずかしくなってきた。


「俺の格好、そんなに変かな……」


「違うの! 割と似合ってるから余計に可笑しくって……本当、武永先生には申し訳ないんだけど」


「そうだぞ! ロリィタケナガくんは可愛いんだから自信を持て!」


「お前に言われても嬉かねえんだよ」


 浅井先生は謝りながらもまだ左手で口を押さえており、今にも漏れ出そうな哄笑を必死で飲み込んでいるようだった。


 それはともかく、気になることがある。


「結局『神様』はどこに行ったんだ?」


「言われてみれば影も形も無いね。我々のコメディを見て呆れ去ったんじゃないか?」


「やけに人間くさい神様だな……」


「神話でもたいてい彼らは人間味があるからね。案外そういう生き物なんじゃないかな」


「はは……だといいけど」


 どうにも情けない方法ではあったが、一応浅井先生に害は無かったので良しとするか……

 いや、良いか? 女装を見られて爆笑され、ちょっと惨めな気持ちになったし、トータルで言えばマイナスでは。


 それから気になっていることがもうひとつ。


「村瀬、どさくさに紛れて写真を撮るな」


「すまんね。急にカメラの調子を確かめたくなってだな」


「金取るぞコラ」


「一枚いくらだ? 言い値で払おう」


「一枚千円。税別でな」


「今のところ八万円+税か……許容範囲だな」


「マジで払う気なの!? 怖いんだが!」


 俺たちのやり取りを見て浅井先生はまた腹をよじって笑っていたが、何だかもう恥ずかしさも薄れてきていた。







 結局俺は村瀬からジャージ借り、女装ではなくなっていたのだが、眠りにつこうにも浅井先生の思い出し笑いがひどく、それは一晩中続いた。よほど彼女のツボに入ったのだろう。

 村瀬は村瀬で、躍起になって俺の女装写真を「よく見たまえ! どこからどう見ても可愛いだろう!」と浅井先生に押し付けるので、余計に収拾がつかなくなってしまった。


 朝を迎えても同じことの繰り返しで、謝りながら笑う浅井先生を叱るに叱れず、複雑な気持ちを抱えて村瀬の家をあとにしたのだった。





 さて、今日の晩はどうしようか。昨日は結果的に『神様』を追い払えたわけだし、また村瀬の家に厄介になるのが一番なんだろうけど、俺にも男としてのプライドがある。

 というか、また浅井先生に笑われたらさすがに心が折れそうだ。何なら『神様』と闘った方がマシかもしれん。


 初めて『神様』に遭遇したのが月曜日、火曜は諸星の家、水曜はリーちゃんの家、そして昨日が木曜日。

 今日はもう金曜日だ。翌日は休みだし、大学近辺に居座る必要もない。

 夕方にまた浅井先生に電話をかけて、おばあさんと話せないか聞いてみるか。








 昨晩の出来事を浅井先生のおばあさんに話すと、彼女はカラカラと笑った。

 浅井先生だけでなくその祖母にまで笑われるとは……つくづく恥ずかしくなってくる。


「前回の塩撒きといい、面白いことを考えなさる」


「そういえば塩ってやっぱり魔除けに効果あったりするんですか? 俺も持ち歩いた方がいいとか……」


「いいえ、あの場合は魔除けとかそんな大層なもんではないです」


「どういう意味ですか?」


「塩が目に入ったら痛いですやろ。神さんも一緒です」


「……」


 なんだろう、あんなに恐ろしかった『神様』が案外大したものじゃないように思えてきた。

 まあ、そういう認識をわざと持たせるようおばあさんも言葉を選んでくれてるのかもしれないが。

 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」というやつで、恐れないことこそ重要なのかもしれない。


「しかしお兄さんの女形(おんながた)は見てみたかったですなあ」


 おばあさんは再びカラカラと笑う。

 浅井先生の大笑いを思い出して変な汗が出てきた。


「やっぱキモいですよね、女装する男なんて……」


「いえいえ。私が笑ったのはそういうことではありません。偶然でもうまいこと神さんを帰らしたもんやな、と感心しただけです」


 うまいこと、か。村瀬の発案した女装作戦は専門家の目からしても正しいものだったらしい。

 なんとなく悔しいが、効果のほどをこの目で見ている以上、何も言えなかった。


「でも俺、もう女装したくないんですよ。実家に逃げるとかもアリですかね?」


「それも悪くないですが……神さんはどこにでもいますからな。あんまり安心せんことです」


「そうですか……」



 とりあえず、村瀬にも連絡して今日の夜から和歌山の実家に帰ることにした。

 奴はウキウキで今晩俺に試すコスメを漁っていたらしく、落胆した声色を見せた。まあ俺の知ったことではないが。

 男友達の女装に興奮する変態に同情している場合ではない。


 実家なら父も母もいるし、いくらか安心だろう。あの人たちなら多少は巻き込んでも許してくれそうだし。

 息子の危機なのだから手を貸してもらいたいものだ。どこまで詳細に話すべきかは少し迷うところだが……


 スマホを取り出し、母の電話番号を呼び出す。


「あ、もしもし? 今日の夜ぐらいから、そっちに帰ろうと思ってるんだけど」


「あら宗介。帰ってくるのはいいけど、お父さんと私は温泉旅行だから家に誰もいないわよ?」


「えっ……?」



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