1.魔導人形 / 始まり
「知識と技術は必須事項、後は性格も条件に入れておこうか。万が一にも、変な奴には渡せないもんな」
薄暗い部屋の中を、何者かが忙しなく動き回っていた。光る画面に向き合って何かの操作を行う様子は、科学者やプログラマーの様にも見える。その人物は、画面の内の1つの表示を見ると、顔つきを変えてポツリと呟いた。
「……もう猶予はないか。ほとんど設計するだけになってしまったけど、仕方ない。残りの時間で高次元への干渉精度を高めないと」
それまでの作業を中止し、新たな作業を開始する。
「しかし、ここまでやって人任せにするのは、ちょっと申し訳ないね……」
◇◇◇
時は移ろい世界は変わり、ここは現代日本。改泉集は夢を見ていた。
『お待ちしております、マイマスター』
白い空間の中に誰かが立っているようだ。顔はぼやけており、その輪郭もよく見えない。
『君は……誰だ? それに『マイマスター』って何?』
問いを返した途端、視界全体にノイズが走り、相手の姿はよりハッキリしないものになってくる。
『空か……ふあ…て…に……こち…の世……で…待ち………ます』
「ちょ、ちょっと待って!」
自分の叫ぶ声で目が覚めた。お隣さんに迷惑掛けたかな?
「なんて言うか……妙にリアルな夢だったな」
スマホには10:37と表示されている。特に予定はないけど、引きこもるのも気分が乗らないなぁ。適当に外に出るとするか。
「とりあえずコンビニと……本屋にでも行くか」
この外出は、ある意味では不幸で、ある意味では幸運の始まりでもあった。
◇◇◇
「ありがとうございましたー」
店員の声を背にしてコンビニを出る。
「ん? な、なん……だあれ」
異様な光景が目に入った。少し先のビルに紫色の靄?のようなものが絡みついている。常識的に考えると、イベントか何かでプロジェクションマッピングをしている、そんなところだろう。
だけど、その結果はどうにも非常識なものに終わる。そのビルは靄に握り潰されるようにして、あっけなく倒壊してしまった。
「CG……じゃなさそうだな。いったい何だってんだよ……」
呆気に取られている間にも、靄はどんどん大きくなって他のビルにも手を伸ばし始めている。
「っと、とにかく逃げないと!」
靄の正体は分からないまでも、ビルの倒壊というだけで立派な災害現場だ。周りの人も避難を始めている。しばらく行くと大通りに出た。避難してきた人で車道も歩道も混雑気味になっている。
「まったくなんて日だ! って冗談こいてる場合じゃない……、オイ嘘だろ!?」
逃げて一息付くつもりが、更にヤバい所に来てしまったらしい。地面が揺れて交差点の中心からあの靄が大量に吹き出してきた。周りにある車や街路樹,看板なんかから、付近にいる人達まで手当たり次第に捕らえて飲み込んでいる。
「洒落にならねぇ……!」
――――マイマスター、こちらです。
夢の中で聞いたあの声が聞こえた。思わず声の方を振り返ると近くの飲食店の壁に穴が空いている。穴の周辺は不自然にねじ曲げられていて『空間が歪んでいる』というような表現がしっくりくる感じだった。
「こちらへ、ったって……」
怪しさしかないし、正直ろくなことにならない気がする。でも躊躇してる間に靄は近くまで迫ってきているし、他に逃げる場所はなさそうだ。
「……ええい! もうどうにでもなれ!」
色々と諦めて穴に飛び込む。足先まで穴に入った直後、靄が今まで立っていた場所を飲み込むのが見えた。ギリギリ助かった、のか? 浮遊感に包まれながら、そんなことを思っていた。
◇◇◇
「おっと」
穴の出口は何かの部屋に繋がっていた。あの靄から逃げられた安心感とこれからに対する不安で考え込んでいると、聞き覚えのある声が掛けられる。
「お待ちしておりました、マイマスター」
「あ、その声……。もしかしてずっと呼び掛けてたのって?」
「はい、申し遅れました。私は『魔導人形』アテナと申します」
ドール……人形? ああ、なるほど。確かに彼女は“人間”ではないらしい。袖や裾から覗く手足の関節には機械的な構造が見えているし、表面のコーティング?が剥がれて中のケーブルが露出している所もある。そこまで見ていて視線に気付かれたか、彼女は損傷箇所を隠すように姿勢を変えた。
「これは申し訳ありません。お見苦しい姿を見せてしまいました。早急に修復を行いますが、先にマスターがお持ちの情報端末をお貸しください」
「情報端末って……ああ、スマホのこと?」
大仰な言い方だけど、何を指してるかはすぐ分かる。万が一壊されたら困るけど、そんなこともないだろう。
「……研究室とのリンクが確立しました。お返しします」
「あ、うん。え?」
一瞬の間に何かされたらしい。見た目は特に変わってないけど……?
「あれ、何だこのアプリ?」
「マスターが使いやすい形に設定を致しました。まずはそちらを起動してください」
言われるままにアプリにタッチする。無駄に手の込んだアニメーションが流れ、テキストメッセージが画面に表示され始めた。タイトルは『この部屋へ来てくれた誰かへ』だ。
――――まずは、巻き込んでしまったことを謝罪したい。それに、直接話をすることが出来なくて申し訳なく思っている。本当なら色々と説明すべきなんだろうけど、あまり時間が無いので、重要なことだけをここに残す。
それで本題だが、この場所は君が居た世界ではない。ま、どれだけ異なる世界から呼んでしまったかは予想も付かないので、殆ど何も変わらない世界かもしれないんだが……、それはおいておこう。いずれにしても、ここと君らの世界が“異世界”であることは絶対的な事実なのでね。それで、恐らく……というかまず間違いないと思うが、そっちの世界にもヤツが現れたのではないかな? ――――
ヤツ……もしかしなくても、あの靄のことだろう。それ以外には考えられない。
――――私は『侵蝕スル者』と呼称しているのだがね、あれの対処に手を貸してもらいたいんだ。詳しい説明は割愛するしかないが、この世界の人間のみでは対応不可能な存在のようでね。勝手な頼みだというのは重々承知の上なのだが、どうか力を貸してほしい。報酬の前払い……というわけでもないのだが、この研究室の所有権の君に譲渡したい。詳しい説明はアテナから聞いてくれたまえ。さて、そろそろ時間も無くなってきたな。聞きたいことはまだあるだろうけど、ここでの説明は終わりにさせてもらいたい。ある程度まではアテナからも説明があるだろう。いずれ会うことを楽しみにしているよ――――
メッセージはそこで終わっていた。
「『侵蝕スル者』かぁ……。確かにヤバそうだったけど、あれと戦うっていうのはどうも……」
「マスター、所有権委譲に従い、この研究室の説明がございます。『How to use』の部分を押してください」
言われるままにスマホを操作する。画面が切り替わり――――
「……うおぉっ!?」
――――大量の情報が頭の中に流れ込んできた。主に研究室やアプリの概要や操作方法らしい。
手っ取り早いのは理解するけど、もう少しやり方ってものを考えてくれよ。
「いかがでしたか」
「次からはもっと負担の少ない方法にしてほしい」
「申し訳ありません。グランドマスター――――私の開発者曰く、この方法が効率的なのだと」
それがメッセージの主だろうか。多分マッドな部分もあったんだろうな。とりあえず外に出てみようか。なんか癪だけど、短期間で使い方を覚えられたのは良かった。頭に流れ込んだ情報に従って操作するとスマホの画面から強い光が溢れる。それが収まったときには、目の前の風景は緑が広がる平原へと変わっていた。
「瞬間移動か。流石は異世界って感じだな」
「厳密には異空間転移です。研究室は我々の世界とマスターの世界の狭間に存在しています。マスターがお持ちの端末を座標マーカーにして研究室への移動が出来るように設定しました」
なんとなーく理解できた。でもこれスマホの充電切れたらどうするんだ?
「研究室で充電とか出来ないかな?」
「申し訳ありません。マスターが望むような機能はないようです。ですが……おや?」
アテナは、言葉を切って遠くの方に視線を向けた。
「少々確認したいことができました。マスターは研究室でお待ちください」
いや、1人で残される方が危ないんじゃないか? 研究室が安全だとしても、万が一ってこともあるし。
「……了解しました。でしたら可能な限り私から離れないようにお願いします」
「分かった」
アテナに付いて行くと、鎧姿の男達が何かを取り囲んでいる場面に遭遇した。
「3人掛かりで……何やってるんだ?」
「囲まれているのは獣人ですか。全て子供のようですね」
獣人……ますますファンタジーだな。って、そんな場合じゃないか。男3人で子供を取り囲むって、あんまりよろしい状況じゃなさそうだ。
「助けた方が良いんじゃ……?」
「マスターのお望み通りに。ですが少々お待ちください。今は危険です」
危険? まあ武装した相手がいるなら危険なのは確かだろうけど、アテナが言ってるのはそういうことじゃない? なんとなくうかつに飛び出せないまま様子を伺ってると、状況が急に動き始めた。男の1人が子供達に向けて剣を突き付けた。子供達の恐怖心が、離れたこちらにも伝わってくる。
「っ、子供相手に!」
「そちらではありません。マスター、気を付けてください」
思わず飛び出しかけたとき、男達のすぐそばの地中から急に何かが現れた。
「「「「「「!?」」」」」」
全員の注意がそれに向けられた――――と思ったときには、男達の内の1人、その上半身が消失……もとい、怪物の口に収まっていた。
「おいおい……これ『侵蝕スル者』じゃないか!?」
見間違いなんかじゃない。クマのような怪物の身体には、元の世界で見た例の靄がまとわりついていた。一度見れば忘れられない禍々しいオーラ。間違えようがない。
「いえ、あれは『侵蝕スル者』の力、そのごく一部の影響を受けた魔物のようです。どちらにせよ私達が対処すべき相手ではありますが」
なるほど。ラスボス前の肩慣らしってところか。いきなりハードモードな気がしなくもないけど、これはゲームじゃなくて現実だから。現実なんて基本的に理不尽なものだろう。
「私の設計ベースは対『侵蝕スル者』用の試作機です。戦闘用ユニット自体は未完成のまま研究室に置かれていますが、このままでも時間稼ぎは可能と思われます」
「分かった。無理はするなよ」
怪物は品定めを終えたようで、今にも動き出しそうにしている。こっちも動くとしますか。