承
魔女の森は、意外にも近くて、1時間くらいで着いてしまった。
多分、25マイルくらい。
私は、ここまで連れて来てくれたこの子にお礼を言う。
「ありがとう、エアフォース・ワン!」
エアフォース・ワンは嬉しそうにヒヒーンといななく。
鼻の頭をなでてあげると頭をすりすりしてきて可愛らしい。
「エアフォース・ワンってなんだい?」
頭の上のお兄様が不思議そうに訪ねて来たので、私はこのお馬の名前です、と教えてあげた。
ツーもスリーも、もしかしてフォーもいるの? と聞くお兄様がなんだかおかしくて、私はくすくすと笑った。
私たちは、森に向き合う。
森は黒々と真っ暗で、今までかけてきた草原とは全く別の世界のようだった。
よし、と一歩踏み出すのを、お兄様が慌てて止めた。
「ちょっと! ダメだ! エルカはここまでだ!」
せっかくのあと一歩を止められてしまって、残念だった。
「どうして止めるんですか? お兄様」
「いや、だって、シーキョに約束したじゃないか! 森まで来たら、家に帰るって!」
「そんなの、家を出るための嘘にきまってます!」
ゲコゲコー!とお兄様は驚いていた。
国を背負う王様が、こんなに騙されやすくって大丈夫なのかな。
少しだけ心配になる。
「じゃあ行きましょう!」
なおも止めにくるお兄様を頭の上から手の中に移して、右手で掴んだまま、私は森の中に踏み出した。
お兄様はジタバタ暴れてたけど、そのうち大人しくなった。
ぐにゃりと曲がった木の幹や、そこから垂れる蔓、生い茂った木々の間からは鳥や獣の光る目が覗く。
まん丸の月の光もここには届かない。
持ってきたランタンの灯りを頼りに私たちは進んでいく。
これって大冒険だ!
なんてステキなんだろう。
私はとてもワクワクしてきた。
手の中のお兄様はまだ諦めてないのか、私に帰るようにゲコゲコと喚く。
いやよ、絶対に帰らない!
こんなに楽しいこと、そうそう無いんだから!
「エルカ」
と、突然に私を呼ぶ声が聞こえた。
びっくりしてそっちを見ると、さらにびっくり。
お母様が立っていたのだ。
「エルカ、エルカ」
お母様は私を呼ぶ。
私はランタンとお兄様をその辺に放り投げると、大好きなお母様のところに駆け寄った。
お兄様は、罠だ危険だ戻れと叫んだけどそんなの気にならない。
「お母様! どうしてここへ!?」
「あ、なたが、心配で、つ、着いてき、ました」
お母様は、やっぱり優しい。
お母様が、私をぎゅっと抱きしめたから、私も思いっきり抱きしめ返す。
「エル、カ、エルカ、心、配で」
お母様が言う。
さっき聞きました、と答えようとしたけど……
「し、いぱ、で、着いて、エ、エ、着いて、ルカ、エルカ、ガ」
ゾッと背中が冷たくなる。
お母様は、ボソボソと訳のわからないことを呟く。
私は驚いてお母様から離れようとするけど、お母様の力はとても強くて解けない。
「エルカ!!」
私が薄れゆく意識の中で最後に聞いたのは、お兄様が私を呼ぶ声だった。
* * * *
僕はハッと目を覚ます。
手は上に縛られ、地面と水平になっている木の棒に固定されており、下にはグツグツと煮える鍋がある。
いつ、気を失ったのかわからない。
えーと、確か森に入って……
そうだ、
「エルカ!!」
僕は大切な妹のことを思い出す。
すると、ふふふ、と言う笑い声が聞こえた。
不気味な声、僕はこの声の主を知っていた。
憎っくき敵。
「ジョーマ!!」
僕は魔女に向かって叫んだ。
魔女は部屋の中の椅子に座っていた。
無駄にスタイルがいい体には、いつものように真っ黒なドレスを見にまとい、わざとらしく胸の谷間を強調している。
手には謎の木の根っこを持っている。
謎の根っこには顔があり、口と思われるところからはキューという声が聞こえる。
うげえ、不気味だ。
ジョーマの横の床にはペットの蛇がとぐろを巻いている。多分、2mくらいありそうな蛇だ。
ジョーマは背を向けていたが、僕が叫ぶと、くるっと振り向いた。
無駄に綺麗な顔が微笑む。
「あら、ブログ陛下。お・め・ざ・め?」
色気のある声でジョーマは喋る。
だけど、魔法でそう見せているだけだということを、僕は知っているので騙されはしない。
本当の姿は誰も知らない。
皺々の老婆である、というのが通説であった。
「じゃ、結婚の決意は固まったかしら?」
「固まるものか! 一国の女王に、魔女を据えるなど!!」
僕は全力で否定する。
ジョーマは僕に近づきながら、困った顔をする。
「強情ねぇ……。状況わかってるの? 今夜が明ければ、どの道あなたは蛙になるし、兵隊はこのネースクちゃんのおやつになるし」
ジョーマは頭をあげている蛇を撫でる。
蛇は僕をみて舌をペロペロ出す。
やめろ、僕はご飯じゃない。
王の威厳で蛇を睨みつけるが、蛇は僕に顔を伸ばしてくる。
心なしか、よだれが出ているように見える。
「こら! ネースクちゃん! これは私の旦那様よ!」
ジョーマは蛇をたしなめると、僕に向かってとびきり甘い声を出す。
「あなたが私と結婚してくれるって言うなら、全員無事にお家に帰してあげるのに」
僕は鳥肌を禁じ得ず、思わず叫んでしまった。
「黙れ偽乳め!! 例え世界に私と貴様しかいなくても、貴様とだけは結婚しない!!」
この言葉に、ジョーマは何故だか一瞬ものすごく悲しそうな顔をしたが、すぐにフーン、と言ってそっぽを向く。
そして苛立ったのか、手に持っていた木の根っこを僕の下で煮えている鍋に放り込んだ。
木の根っこはキューという声を上げて立ちまち茹で上がった。
渋い匂いが部屋に充満する。
「じゃあ、エルカちゃんも、蛙に変えちゃおーっと!」
そう言ったジョーマの声はなぜか震えていて、目には涙が浮かんでいたが、きっと僕を騙す演技に違いない。
僕の可愛いエルカを、蛙に変えられては困る。
僕は考え始めた。
* * * *
あたしは子供。
両親は亡くなっていて、たった一人で生きている。
盗みもしたし、人を騙した。
ある時盗みがばれた。
あたしはたくさん殴られる。
魔法は使える。
みんな、死んじゃえばいい。
すっと、誰かがかばってくれた。
その人はあたしに、金でできた指輪をくれた。
売って、お金にしなさいって。
その人は、指輪とおんなじ髪の色をしていた。
「エルカ殿下!!」
わたしはハッと目を覚ます。
誰かの夢を見た気がする。
痛くて寂しくて、でも最後は暖かかった。
でも、どんな夢だっけ?
忘れちゃった。
ふあ〜、よく寝たって思ってあくびして、両手を思い切り伸ばす。
そしたら……
「エルカ殿下!!」
誰かに名前を呼ばれた。
辺りを見回しても誰もいない。
空耳かなぁ。
見回して初めて気がついたけど、ここはどっかの牢屋みたいだった。
入り口は鉄格子で大きな南京錠がかかっている。
でも、ここ、どこだっけ?
私、何してたんだっけ?
「エルカ殿下!!」
また誰かに呼ばれる。
「空耳ってこんなにはっきり聞こえるんだ。」
声に出して言ってみると、なんだか面白くなってきて、ふふふ、と私は笑った。
「エルカ殿下ぁー!! 下ですぞ!! 下!!」
空耳の言う通りに下を見ると、そこにはお兄様がいた。
そうだった、私はお兄様と魔女を倒しにきて、捕まっちゃったんだった。
「お兄様!」
お兄様が無事だったので嬉しくなって私が呼ぶと、お兄様は否定した。
「わたくしはフログ陛下ではありませぬ。よく見てください、陛下はアマガエル、わたくしはヒキガエルでございます」
「じゃあ誰?」
私が尋ねると、お兄様?は、一礼して答えた。
「お初にお目にかかります、エルカ殿下。わたくしは、兵士長を務めるヘッドと申します」
殿下なんて呼ばれるとなんだか少しこそばゆい。
私は、エルカでいいよ、とヘッド兵士長に言った。
ヘッド兵士長は、魔女に魔法をかけられた時、隙を見て逃げ出したので捕まらずに済んだらしい。
「なんとか、牢屋の鍵を手に入れました。これで、少なくともエルカ様は逃げることができます」
私はそんな事言われると思わなかったので、ヘッド兵士長の言葉を否定する。
「そんな! せっかくここまで来たのに! 逃げるなんてしないわ!」
もっと冒険したいし。
ヘッド兵士長は、私の言葉に感動したみたいだった。
「なんと!! あなた様は大変勇敢なお方だ!! 魔女を倒すと言うなんて!!」
そう言ったつもりはないけど、それはとてもいい提案に聞こえる。
私一人で魔女を倒せば、きっとお兄様は自慢の妹だと思うだろうし、お母様も外出をもっと許してくださるかもしれない。
シーキョとイドメだって、もう私を子供扱いしないだろう。
私は、ヘッド兵士長に言った。
「もっちろん! 任せて!!」
「魔女についてですが」
ヘッド兵士長は魔女の討伐の時のことを話し始めた。
「あの者は切っても切っても傷つかないし、死なないのです。それどころか、手応えすらない。わたくしどもは、それでも果敢に挑んだのですが、30人おった兵士は皆、蛙にされてしまいました」
切ってもケガもしないなんて、不思議だな。
ちょっと羨ましくもある。
「もしかして、映像だったりして、オズの魔法使いみたいに」
私がクスクス笑うと、ヘッド兵士長はぽかんとした顔をした。
こんな時にへんな冗談言っちゃった!
私が慌てて、冗談、冗談、と言ったけど、ヘッド兵士長は意外にも納得したみたいだった。
「オズの魔法使いと言うのが、何かはわかりませぬが……、しかし、十分ありえるかもしれませぬ……」
そう言って、ヘッド兵士長は考え込んだ。
しばらくして、あることを言った。
「今の話で思い出しましたが、古い魔法で、こんなものを聞いたことがあります……」
ヘッド兵士長は、ある魔法について教えてくれた。
かくかくしかじか、まるまるさんかく……。
「きっとそうだよ! でも、そしたらどこに隠してるんだろう?」
「そうですなぁ……」
ヘッド兵士長がまた考え始めたけど、私はとびきりいいアイディアを思いついてしまった。
それをヘッド兵士長に伝えると、ふーむ、と言った。
「まあ、他に手がない以上はやって見る価値はありますかな」
魔女のところへ行く前に、ヘッド兵士長は、兵隊さん達が閉じ込められている牢屋に寄りたいと言って、私が閉じ込められたのとは別の牢屋に向かった。
牢屋の前に行くと、私はびっくり、たくさんの蛙がゲコゲコと大合唱していた。
「みんな!」
ヘッド兵士長が話しかけても、誰も反応しない。
まるで本物の蛙になっちゃったみたい。
ヘッド兵士長は、がっくりと肩を落として言った。
「兵士達は皆、蛙化の進行が早いようです。しかし、せめて鍵は開けておきましょう。彼らが人間でも、蛙でも、自由になる権利はあるわけですから」
そう言うと、ヘッド兵士長は牢屋の鍵を開けてあげた。
「優しいんだね」と私が言うと、いやいやと否定する。
その目には、涙がキラリと光っていた。
魔女のいる部屋へ向かう途中、私はひとつ、気になっていた事を聞いた。
「そう言えば、ヘッド兵士長さん、よく、私がエルカだってことわかったね! 初めて会ったよね?」
「それは、フログ陛下が暇さえあればエルカ様を見に行くので、護衛のため、わたくしもお供していたのです」
そう言った後で、ヘッド兵士長はしまった、という顔をした。
それを聞いて、私はびっくり。
お兄様が私の様子を見に来てたなんて知らなかった。
王様ともなると、こんな人畜無害の私ですら見張るほど、周囲に気をつけなきゃいけないみたいだ。
きっと王宮は裏切りと陰謀に満ちているに違いない。
ヘッド兵士長は、違いますぞ、陛下は決してストーカーではありませぬ! なんてゲコゲコわめいていた。




