最強モンスターは社会勉強のため、分身を使って人の世に降り立つ
昔書いた作品を掘り起こしてきたものになります。
――神帝獣。
それは神の如き力を持つ最高ランクモンスターの総称。全ての神帝獣が力を振るえば、星が壊れるとさえ言われ、人間どころかモンスターからも恐れられていた。
舞台は人間領域から遥か北にワラキア山と呼ばれる場所がある。草木が生えるだけ生えて整理もされていない、まさに荒れ果てた森林地帯だった。
その頂に佇む荘厳な城の中に、一体の神帝獣が存在していた。
二本の鋭い牙を生やした見上げる程の巨体を持つ白鯨、神帝獣ザディアークと呼ばれる存在は、静かに目を瞑り――
「……むにゃむにゃ……もう食べられないのねん」
もう昼間だと言うのに、鼻提灯を出しながら爆睡していた。
口からよだれを垂らしながら、だらしなく寝がえりをうっただけで城が揺れた。
「起きてくださいザディアーク様!」
だらしなく眠るザディアークの近くを、蝶のような羽を生やした妖精が飛び回っていた。
普通のモンスターなら近づくことさえしないだろうが、彼女はそんなことを気にせず顔面に蹴りを入れている。
しかし、所詮は羽虫の一撃のようなもの。ザディアークが目を覚ます様子は全くない。
痺れを切らせた妖精は、別室に移動したかと思えば鍋のふたを両手に持ち、それで鼻の穴をふさいでしまった。
すると心地よく眠っていたザディアークが苦悶の表情に変わっていく。
「……んぐッ‼ ぷはああっ‼ ……何をするのねん、気持ちよく眠っていたのに」
「もう昼ですよ! いつまで寝ているんですか!」
妖精の怒鳴り声を目覚ましに、サディアークはひれで目を器用にこすりながら、大欠伸した。
「んんー、ルフちゃんはいつも厳しいのねん。僕はすることないから寝たいのねん」
「ザディアーク様もいまや立派な神帝獣です。いつまでも怠惰なその姿では皆に示しがつきません!」
「と言っても、もうここにはルフちゃんしか残っていないのねん」
「ザディアーク様の態度が問題なのでしょうが!」
ザディアークは神帝獣と呼ばれてはいるが、その実態はだらしない怠け者。何もせず、眠ってばかりの日々を送っている。
神帝獣の威光にあやかろうとしたモンスターたちは勝手に期待し、こんな城まで作ったのだが、まるで動かないザディアークに絶望してこの地を去っていた。
城に残っているのは、使い魔の妖精ルフただ一人だった。
「そんなに怒っていたらかわいい顔が台無しなのねん。きれいな金髪も乱れちゃってるのねん」
「嬉しいですけど私のことは置いておいてください。ザディアーク様は世界に無関心すぎます! 他の神帝獣が何をしているのかご存知ですか?」
「知らないのねん」
即答にルフはがっくりと肩を下ろした。
ザディアークは世間情勢に無頓着すぎるのだ。このまま引きこもりを続けていると、他の神帝獣に舐められてしまう。主人が馬鹿にされるのは使い魔としても気持ちのいいものではない。
ルフはザディアークの生活を改善させる決意を固めた。
「ザディアーク様。今日から世界を知りましょう」
「どうやって?」
ルフは少し待つように言うと、部屋から飛び出て行った。
ザディアークはもう一度惰眠を貪ろうとするが、すぐ戻って来たルフの怒声に眠気をかき消された。
落ちそうな瞼をこじ開けて見てみると、埃をかぶった小さな鏡が宙に浮いている。
「鏡なのねん」
「これは遠見の鏡です。場所を細かく指定はできませんが、遥か遠方を見ることができます」
城にあるものさえまったく把握していないザディアークは、興味なさげに目を伏せる。
その額にルフは鍋のふたを放り投げた。
「痛いのねん!」
「今からこの鏡に映った場所に向かって世界を知っていきましょう」
「――どういうことなのねん?」
ルフは名案とばかりに鼻を鳴らすが、ザディアークの思考は追いついていなかった。
堕落しきっているとはいえ、自分は一応神帝獣だ。それが急に動き出せば、世界に与える影響も少なくない。それを、この使い魔が理解していないとは思えなかった。
「もちろんザディアーク様が直接向かうわけではありません。分体を使ってもらいます。分体の活動を通して、観察や交流を行ってもらいます。一言でいえば情報収集ですね」
「それなら僕はここにいればいいし楽なのねん」
面倒にならなくてよかったとザディアークは胸を撫で下ろす。
分体とは、その名の通り自身の体を分け、自由に操る術の事だ。
体を分けるというその特性故に使用者は限られるのだが、巨体で力がありあまっているザディアークは容易に可能だった。
「んんー……でもやっぱり気が進まないのねん。こう見えて忙しいのねん」
「さっきすることないって言っていましたよね?」
「んぐう!」
このまま舌戦では勝ち目がない。
ザディアークはしぶしぶ白旗を上げることにした。
◇
ルフが丁寧に磨き終えると、遠見の鏡は本来の輝きを取り戻した。
二人がのぞき込むと、波打つように表面が揺れ、見知らぬ土地が映し出される。
そこは人間達が暮らす町だった。
石造りの家と木造の家が左右に並び、多くの人々が行き交っている。
店頭にはみずみずしい果物や新鮮な魚介類が置かれており、金銭による取引が行われていた。
薄着の住民たちだけでなく、青いローブを纏った魔術師の姿も見える。
予想外の場所が映し出されたことにザディアークは目を丸くした。
「ルフちゃん、人間! 人間が見えるのねん! すごく久しぶりに見たのねん」
「一応ここから遠くない場所でも暮らしているんですけどね。ザディアーク様引きこもりですから……」
「知らなかったのねん」
「と、とりあえず場所が決まりましたので分体を作りましょう。方法は覚えていますか?」
「忘れたのねん」
ルフはザディアークの頬にドロップキックをかましてから、説明を始めた。
まず意識を集中させ、自身の魂を球体にして思い浮かべる。
そこからほんの僅かに一部を取り出し、分体の基を呼び出すのだ。
「妄想力なら自信があるし、やってみるのねん」
「期待していますよ」
ザディアークが目を瞑ると、辺りが静まり返る。だが、無意識のうちに発せられる圧に城が怯えるように揺れ始めた。
予想以上の重圧にルフは冷や汗を流し、息を呑む。
やがて、天井が渦巻き、中から粘土のようなものが零れ落ちた。一見ただの粘土だが、宿っている力は莫大なものだとルフは察した。
ルフは汗をぬぐい、ぼんやりと目を開けるザディアークに顔を向ける。
「お待たせなのねん」
「一体どれだけの魂を切り離したのですか?」
「ほんのひとつまみなのねん」
――たったそれだけこれほどの力を持つとは。
ルフは改めて主の底知れぬ力に戦慄した。
それと同時に「褒めて!」と笑顔を向けてくる主に癒された。こういう素直で子供っぽい一面は可愛らしいと感じていた。
「では、これにザディアーク様の妄想を注ぎ込み、形を整えていきましょう。人間の町なので人間と同じ形にするといいはずです」
「あいあい」
粘土が淡く光ると、ぐちゃぐちゃと音を立てながら変形していく。
伸縮を繰り返し、やがて先ほど見たローブ姿の魔法使いによく似た形になった。
「流石ですね。僅かな時間にこれほどの分体を作り上げるなんて」
「もっと褒めていいのねん」
ザディアークは頬を赤らめ、自慢げに鼻を鳴らした。
「しかしこれでは同じ人物が二人になってしまいますね。それは余りにも不自然です」
「ぐぬぬ……ならちょっと改良するのねん」
ベースになった魔法使いは女性だったのでスタイルをより良いものに改良。ローブの色も黒く染め上げ、仕上げに顔をらルフそっくりに変えた。
「なんでですかー⁉」
「一番見慣れた顔だからつい」
「私、嫌ですよ。さっき二人いると不自然って言ったばかりじゃないですか」
「だけど僕の想像力だとこれが限界――そうなのねん!」
分体の顔に覗き穴が二つ空いた白い仮面が装着され、ルフそっくりの顔は完全に隠された。
「……まあ、見えないならいいですよ。ところで本当に女性でいいのですか?」
「折角操作するなら、自分好みのかわいこちゃんがいいのねん」
「まあ、いいですけど――これで完成ですね」
ルフは主の好みに自分の顔が選ばれ、内心悪い気はしていなかった。
だが、いつかはこんな立派な体型になろうと密かに決意していた。
ここでザディアークは思っていた疑問を口にする。
「声は僕が変えるとして、どうやってこの分体を向かわせるのねん? 結局映っている場所はわからないままなのねん」
「ふっふっふ。ご安心を」
ルフが手を叩くと、鏡がちょうど人が一人通れる大きさに変わった。
「この鏡は見るだけでなく、必要に応じてその場所に移動することも出来るのです」
「すごいのねん! でも、どうすればここに戻れるのねん?」
「気合です」
「のねん⁉」
「では行ってください!」
分体はルカの魔法で空中に浮かび、ものすごい勢いで鏡の中に放り投げられた。
ザディアークは吸い込まれていく分体を呆然と見送ることしかできなかった。
◇
『どれどれ……おお、見えるのねん!』
鏡に、暗く薄汚れた路地が見える。
分体の視界が鏡を通して映されるようになったと考えれば、移動が成功したということだ。
二人は上機嫌でハイタッチを交わす――のはサイズ的に厳しかったので、ルフが一方的にザディアークのひれを叩くことになった。
『さあ、世界勉強のお時間ですよ』
『ちょっと待つのねん。体を動かしてみるのねん』
鏡から放り出された分体は、町の路地裏に移動していた。人気のないこの場所は、練習にうってつけの場所だった。
ザディアークには手足がないので、立つことや物を掴むなど人間にとって当たり前の行動が未知だ。それゆえ分体の操作に時間がかかるかと思われたが――
『思いのほか早く動かせるようになったのねん』
『まあ、結局は自分の一部ですからね』
ザディアークは分体の操作を瞬く間に覚えてしまい、つまらないとばかりに欠伸する。
ルフは主の思わぬ才能に我が目を疑ったが、よくよく考えてみれば知らなかったのではなく忘れていただけなので体が覚えていたのだと納得した。
『何はともあれ、これで動きはばっちりです。早速町を探索しましょう』
路地裏を抜けると、太陽の光に照らされ思わず目をつぶる。
少しずつ目を開けると、待ちゆく人々の姿が入った。がやがやと話で賑わい、まさに元気いっぱいの町と言ったところだ。
『海産物が中心な所を見る限り港町でしょうか? ですが果実もそれなりに揃っているとなると近くに広大な果樹園があるのかもしれません』
『甘酸っぱい匂いのねん……あっちからは肉の焼ける香ばしい香りが……色々な匂いがありすぎてたまらないのねん』
ぐーっと鳴り始めた腹の虫で、ようやくザディアークは朝食を食べ忘れたことに気づいた。
期待を込めてルフの方を見るが、笑顔のまま動かない。
『勉強しないとご飯抜きです』
『がんばるのねん』
世界を知るためご飯のため、ザディアークは早速人間とコミュニケーションを図ることにした。
八百屋の前に立つと、店主と思われる頭の寂しい男性が笑顔を浮かべながら迎えた。
「へい、らっしゃい! 何をお求めで」
「……」
「?」
微動だにしない分体を見て、店主が怪訝な表情を浮かべる。
流石にルフも焦った。
『せっかく話かけてもらえたのに、なんで返事をしないんですか⁉』
『しょうがないのねん! 引きこもり生活が長すぎて、すっかり人見知りになってしまったのねん!』
『元々でしょうが!』
つまり、どう話をしたらいいのかわからなくなって棒立ちしていただけなのだ。
結局、も選んでいる途中だと店主は判断したのか、「ごゆっくりー」と一声かけてから他客の対応に行ってしまった。
『うわーん! 結局何もできなかったのねん』
『ここまで重症だとは思いませんでした……』
『これも全部、僕の考えをくみ取ってくれなかった店主が悪いのねん』
『人のせいにしてはいけません』
今のままでは会話もままならないので、一先ず路地裏に戻って準備することにした。
頭の中でイメージを固め、次こそはと決意を固める。
主が頑張る姿を見てルフは「しばらくダメそうですねー」と内心ぼやいていた。
分体の動きは先ほどまで嘘のようにぎくしゃくしており、ようやく出た声も異様に裏返って高い。それを指摘しても「次こそは大丈夫のねん!」と謎の自信で返される。
一体いつになれば自然な形になるのだろうかと、考えるだけで自然とため息がこぼれていた。
リベンジのため再び外に出ると、少し離れた場所に人だかりができていた。
ザディアークは何か面白いことがあるのかと、期待に胸を膨らませながらその場へ向かう。
「さあ、よってらっしゃい見てらっしゃい! 今日の目玉商品は採れたてほやほやのエルフだ! 奴隷としてこれほどふさわしい存在はないよ!」
予想外の光景にザディアークは言葉を失った。
人だかりの中心で首輪を付けられたエルフの少女が、見世物にされていたのだ。首輪から伸びた鎖が撃ち込まれた杭に繋がれており、逃げることはできそうにもない。服は白いボロ布一枚で、緑長髪は手入れもされておらず、頬には涙の痕が残り、瞳は光を失っている。
観衆は声を張り上げ、エルフの金額を競り合っていた。奴隷商人らしき小柄な男は、それを盛り上げながら醜悪な笑みを浮かべている。
『エルフを奴隷……モンスターをこのように扱う人間もいるのですね』
ザディアークよりましとはいえ、ルフも基本的には城にいる。そのため話には聞いていても、実際目にした時のショックは大きかった。
『ルフ、僕とってもムカついたのねん』
『ザディアーク様』
ルフの額を冷や汗が流れる。
ザディアークからは表情が消えており、それが本気で怒っている時だと知っていたからだ。
『あんなかわいい子を人間になど渡さないのねん! 僕が連れて帰るのねん!』
『そっちですかー』
分体は観衆を強引にかき分け、エルフの少女に向かって一直線に駆け出す。
あと少しで手が届くという距離で、遮るように奴隷商人とその部下と思われる男達が立ちはだかった。
「お客さん困りますよ! こいつが欲しければ競りに参加してくだせえ!」
『邪魔なのねん』
分体は奴隷商人の顔面に拳を叩き込む。
吹き飛んだ体は、男達を巻き添えにしながら近くの納屋に激突した。
人々は次々と悲鳴を上げながら逃げ出し、座り込むエルフだけが取り残されていた。
エルフは目を開き、身体を震わせている。
『助けてもらった感動が大きすぎたのねん』
『怖がっているだけだと思います。それで、この子をどうするんですか?』
『当然ここに連れて――しまった、戻る方法がわからないままだったのねん』
『気合です』
『それは厳しすぎるのねん……』
過ぎたことは仕方ないと、ザディアークはエルフを落ち着かせるため声を掛けることを決めた。
しゃがんでエルフと同じ高さの視線になり、仮面越しだが笑顔に務める。
準備万端、いざ。
「そこのエルフ」
分体から背筋の凍りつくような、冷え切った低い声が発せられた。
エルフは肩を震わせ、後ずさろうとするが鎖の音が響くだけだった。
『何ですかその声? ザディアーク様そんな声出せたのですか?』
『見知らぬ人に話しかける時は緊張してしまうのねん……』
『かわいそうに、せめて温かい言葉をかけてあげてください』
『わかっているのねん』
分体は首輪の鎖を手刀で切り裂くと、呆然とする少女にゆっくりと手を差し伸べる。
先ほどまでのぎくしゃくは消え失せ、まるで神の使いのように見惚れる動きだった。
「ここで死ぬか、付いてくるか選べ」
感情のこもっていない声と鋭い視線にエルフが身震いする。
『ザディアーク様の馬鹿! どうしてそうなっちゃうんですか⁉』
『格好つけようとしたら、つい』
ザディアークとルフが言い争っている中、エルフは分体の手を取っていた。
その手は力強く握られ、瞳には光が宿っている。
「私は生きたい。貴方に付いていく」
「お前の名は?」
「――シアン」
「いい名だ」
『シアンちゃん、かわいいのねん』
『むう……』
『もちろん、ルフもかわいいのねん』
『当然です!』
さすがに目立ちすぎたザディアークは思い、シアンを連れてこの町から離れることにした。
シアンの手はまだ震えていたが、落ち着かせるためなるべく優しく握ることにした。
「待て!」
奴隷商人が復活し、鼻と口から血をぽたぽた垂らしながら分体を睨み付けていた。
顔には拳の痕が残り、足元がおぼつかない。
「貴様は奴隷商会に喧嘩を売った。これから殺されるまで、奴隷商会に狙われるのだ!」
奴隷商人は勝ち誇ったかのように笑っていたが、その表情が凍りつく。
分体の目を見ただけなのに心臓を鷲掴みにされた恐怖を覚え、急ぎ足で逃げ出してしまった。
「……ゆくぞシアン」
「はい」
手をつないだまま二人はゆっくりと歩きだす。
町の人々はそれを見送ることしかできなかった。
◇
「馬鹿な……我ら奴隷商会の最高戦力がこんなにもあっさり無力化されるとは……!」
最高戦力と呼ばれた倒れ伏す者達を、仮面の二つ穴から覗く冷たい瞳が見下ろしていた。
身に付けた漆黒のローブには傷一つ付いておらず、戦いが一方的なものであったことを物語っていた。
ザディアークの分体は奴隷商会を壊滅させ、囚われていた奴隷たちを解放した。
後に彼らと国を作り、人の世を大きく揺るがすこととなる――
『ザディアーク様―! ご飯出来ましたよー!』
『わーい! ルフちゃんのご飯大好きなのねん!』
当の本人たちは世界を大きく変えていることに気づいていなかった。
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