山口 走
暫く、しがない男の話が続きます。
20XX年10月中旬。大阪府大阪市鶴橋。
大阪難波から3駅ほど離れた場所にあるこの地は、鶴橋=焼肉とイメージする人が居るほど、焼肉店が多い地である。勿論、焼肉店以外にも、すし屋等の飲食店も多く連ねている。細い路地に入ると、個人経営の小さな店で大阪グルメの代表たこ焼きをはじめ、チヂミ等を売っている店が多数ある。
美味しそうないい匂いが、あちらこちらから漂って来る。
しかし、そんな鶴橋の端の方に建っているアパートに住むこの男はというと、そんな店等とは縁遠い生活を送っている。
今もカチャカチャと工具を駆使し悪戦苦闘しながら、アパートの前でパンクした自転車のタイヤをいじっている。
「あーと、これをここに差し込んで隙間を広げてチューブを…」
パチン!
「あー!クソ、また失敗だ、チキショー」
パンクしたチューブをタイヤから出すため、隙間に刺した工具が外れてしまい、またやり直しになった。かれこれ十数分以上も自転車のタイヤと格闘しているが、不器用なためか、一向に進む気配がなかった。
「たく、何が『簡単パンク修理セット』だよ、ちっとも簡単じゃねーだろがよ!」
男の名前は山口走、二十歳のフリーターである。愛車の自転車がパンクしてしまい、自転車屋に持っていくことを考えたが、フリーターで一人暮らしをしている走、にとっては、パンク修理代の千円でも十分大金だった。そこで近くのホームセンターで、800円で売っていたこの『簡単パンク修理セット』を購入したのだった。無論、800円でも走にとっては安くない出費だが、今後パンクした時の数回分の修理代を考えると得だと考え購入にいたったのだが、この有様であった。
「おや、山口さん自転車の修理ですか?」
「ん!」
走が後ろを見るとそこには、自分の住んでいるアパートの大家が呑気な顔で見物していた。
「ああ大家さん。ええ、修理代も安くないですからね」
「それはそれは、ま、頑張ってくださいね。」
そう言うと、大家は1階の自分の部屋にそそくさと戻っていった。
そんな大家の、年相応に薄くなった後頭部を見ながら走は、
「ちぇっ、口だけかよ、少し位手伝いましょうか位言ってくれてもいいだろうが!」
と、心の中で悪態をつきながらも作業を進めた。家賃の支払いが少し遅れただけでも、ネチネチと文句を言って催促してくるような大家から、そんな気の利いたセリフが出てくるはずもないと理解しているからだった。
その後も悪戦苦闘してようやくチューブが外れた。あとはチューブの穴を塞ぐだけだ。説明書によると、外したチューブを空気入れで膨らまし、少しづつ回しながら水につけていく。すると穴の所から、ぷくぷくと細かい泡が出てくる。そこを付属の接着剤とゴム板で塞ぐとある。
「泡、泡と…」
洗面器に張った水にチューブを回しながら入れていくと、とある箇所で説明書通り細かい泡が出てきた。
「よし、後はこれを塞げはいいんだな!」
とチューブを水から出して、オンボロタオルで水気を拭いて穴塞ぎに入った。先程のチューブを取り出す作業に比べれば、幾分簡単に感じる工程だ。とはいえ、真冬ではなくとも肌寒いこの季節、外で水に手を直に入れるのには少々辛く感じた。