6.実践地学研究部 - 2
「いやあ、我ながらいいアイデアだ! これで万事解決じゃないか!」
保護者会の終了後、生徒会室に殴り込みをかけた青海に、生徒会長の清良は笑顔で告げた。
「いやいや! 聞いてないんですけど!」
「どこか入りたい部活動があったかい? 我が校の部活動は、基本的に兼部が可能だよ」
「そういう問題じゃなくてですね……!」
「あの校舎を部室として使ってもらうのはどうだろう。心配しないでくれ、キャットフード代は帝都大から分捕ってみせるよ」
その言葉を聞いて、青海は清良の思惑を察した。
「……僕たちに、あの毛玉の世話をしろと?」
「ハンペンと呼んであげてくれ。ワタシが名付けたんだ。先生に事情は聞いたよ、ウチの学校と帝都大で押し付け合いになっているんだって? でも、ハンペンはニラタマのそばを離れたくないし、かと言ってニラタマは生粋の野良だから、ハンペンと一緒に帝都大に連れて行くわけにもいかない。幸い、ハンペンは多少姿は変わったものの、人によく慣れた子猫だ。ほら、このままウチの学校で飼うのが、いちばんの解決策じゃないか!」
えっへん、と清良は胸を張る。
「まあいいじゃないか。あの場を何とかしてくれたことには感謝してるよ。きみが誤魔化してくれなかったら、南くんには反省文でも書いてもらわないといけないところだった。……大丈夫、キミはいい目をしている。何とかなるよ」
――夏坂清良は、他人を適当におだてて使うのが上手い。
そんな彼女の評判を聞いたのは、ずいぶん後になってからだった。
■ ■ ■
それからの数日は、怒濤の勢いで過ぎていった。
「ようやく人心地ついた気がするな……」
机に突っ伏し、南が力なく呟く。
元一年D組の教室だったこの部屋は、今では大半の机が隣の部屋に押し込まれ、あとは教室の中心に固めた十組ばかりの机と椅子を残すのみ。窓のひとつが他より幾分か大きかったり、天井の梁の並びにばらつきがあったりする程度で、この校舎の中では奇跡的に被害が軽い。
「おい南、サボるな」
「仕方ないだろ、俺は頭脳労働担当なんだよ」
「ごちゃごちゃ言うな、そもそも誰のせいでこんなことになったと思ってる」
笠井が自在ぼうきの柄で南の頭を叩く。
「お、俺のせいなのか?」
「七割くらいは南のせいだと思うよ!」
青海がツッコミを入れたとき、教室の前扉が開いて、緑茶やジュースのペットボトルを提げた藍が入ってくる。
「ただいま。……何やってるの?」
「気にするな。よくあることだ」
ホウキを片付けながら笠井が答える。
「だったら残りの三割はお前のせいだろ、青海!」
「ひどいなあ、僕としては精一杯フォローしたつもりだったのに」
「あっ、すごい、綺麗になってるじゃない。お菓子もたくさん買って来たよ、劉生はうすしお味だよね?」
続いて入って来た真那子が、袋からスナック菓子を取り出してみせる。当然のように「おう」と受け取った笠井は、「またこんなにチョコばっかり買って、太るぞ」などと言いながら袋の中をチェックしている。そんなふたりの姿を見て、青海がこそこそと南に訊ねた。
「ねえ、あのふたり、昔っからあんな感じなの?」
「昔からだな。本人たちだけは自覚してないみたいだが。信じられるか? あのふたり、あれでも付き合ってないんだぜ?」
「えっ、う、ウソでしょ……?」
どこから見ても熟年夫婦のオーラを発している笠井と真那子を眺めながら、青海は思わず動揺の声を上げる。あの鉄壁のガードを破ってどちらかに告白しようとする輩がいたら、それは相当な勇者だと言わざるを得ない。
「だって笠井、紅島さんがウチの部に入るって言ったら、『俺も行く』って即答だったじゃん」
――ウチの部。
そう、ここは青海達の部室なのだ。
あのあと、結局流れに逆らえなかった青海は、諦めて清良の話に乗ることにした。周囲に声をかけてみたところ、案外あっさりと人数を揃えることができたのだ。もっとも、清良の話によれば「部活動だから、最低十人は部員が必要だね」とのことで、それにはまだ少し足りていないのだが。
「ニラタマちゃん達、来たよ!」
楓子が窓の外から手を振っている。用意したキャットフードの皿のそばには、サビ猫のニラタマと、子供のチクワとコンニャク。
「こっちも連れてきたぜ」
白幡の声と共に――後扉のあった場所から、のそりと入って来る大きな毛玉こと、ハンペン。
「これで揃ったね! それじゃー、始めようか!」
ハンペンの後について戻って来た朱凛が、青海の背を黒板のほうへと押しやる。
「ほら、まずは部長のあいさつ!」
「え、いや、いいよ、そういうのは……」
「あら、いいじゃない。またカッコいいところ見せなさいよ、部長。この前の部活紹介も、けっこうサマになってたし」
教室に戻ってきた楓子のためにジュースを注ぎながら、藍がからかうように言う。
「藍、ついでにもうひとつコップ出してくれる? お客様だよ」
「お客様?」
楓子の後ろから、「やあ」と顔を出したのは、生徒会長の夏坂清良だ。
「ずいぶん綺麗になったじゃないか。ハンペンも、元気そうで何より」
平気な顔で近づいて、ハンペンの喉の下を撫でる清良。喉を鳴らして身体を押し付けてくるハンペンに、「くすぐったいよ」と笑みを漏らす。
「それにしても、あの子猫ちゃんが大きくなったものだねえ。ちょっと大きくなりすぎた気はするけど」
「きーちゃん先輩、怖くないんですか?」
驚いた顔の笠井に、清良はにやりと笑ってみせる。
「だって、この子はあのハンペンなんだろ? それに、たとえ怖かったとしても、ワタシが笠井の前でビビったりできるわけないだろう、先輩として」
何だかんだといいながら、なんとか青海たちが部活の体裁を整えた組織を作ることができた裏には、清良と生徒会役員の尽力があるのは間違いなかった。事後承諾で先生達を納得させたのも、主に清良の手柄だ(もっとも、山畑先生だけは青海の話に喜んで協力してくれたし、すすんで顧問まで引き受けてくれたのだが)。協力してくれた生徒会役員たちは、あくまで「お前達のためじゃない、ニラタマの家族のためだ」という態度を貫いてはいたが、それでもあれこれ骨を折ってくれたのは幸いだった。
「ところで笠井、今からでも野球部に来るつもりはないのかな? 文化系部活動との兼部は、野球部としても認めているんだけどね」
「すみません。もう、決めたことなので」
「そうか。残念だよ。……ところで、どの子が笠井の恋人なんだい?」
「……はっ? な、何を言って……」
思いがけない質問に、笠井がうろたえた声を上げる。
「いや、美空中から来た一年に笠井のことを聞いたら、『仕方ないんですよ、あいつは野球よりも恋人を選んだんです……』って言われたものでね」
「誰だ! あとで殺す!」
「生徒会長、こいつが笠井の嫁です」
「へえ! ああ、どうもこんにちは、ワタシは三年の夏坂清良。生徒会長だ。しかし、笠井にこんな可愛らしい恋人がいたなんてなあ!」
しれっと真那子を紹介する南。清良に握手を要求され、真那子が赤い顔で手を差し出す。
「夏坂先輩、あの、私はべつに劉生の恋人とかでは……」
「ああ、これは失礼。恋人じゃなくて嫁だったね」
「勝手なこと言わないでください! コイツなんか、せいぜい妹です!」
「そ、そうです! せいぜいお兄ちゃんです!」
顔を見合わせ、「なあ」「ねえ」とハモる笠井と真那子。
「やべーな、青春だな、憧れるな……なあアカリン、せっかくだから、オレらもふたりで一緒に青春の甘酸っぱい日々を――」
「ハタっちとはヤダ」
「即答!?」
なぐさめるように、ハンペンが白幡にすり寄ってくる。余談だが、ニラタマ家のきょうだいの中では、ハンペンだけがメスである。
「えっと……とりあえず、乾杯してもいいかな?」
すっかり忘れられた体の青海が、ジュースの入った紙コップをかざす。
「ああ。手短にカッコいいスピーチを頼む。生徒会長の前だからしっかりやれよ」
「なんでムダにハードル上げるの、南!? あーもう、なんでもいいや、春光うららかなこの頃、無事に今日という良き日を迎えられたことを皆さんに感謝して以下省略!」
ばん、と空いた手で黒板を叩く。そこにあるのは、色とりどりのチョークを使って黒板いっぱいに書かれた、彼らの部活の名前。
普通の化学部とは違い、界震とその周辺分野について研究し、被災者がいれば相談に乗り、ハンペンのお世話も行う部。その名前についてはそれなりに会議が紛糾したものの、結局は苦し紛れに出した青海の案が採用された。
これから自分達の居場所となるその部の名前を、青海は緊張しながら口にする。
「実践地学研究部の創部を記念して――乾杯!」
校舎の中から、賑やかな声が響いてくる。ブルーシートで覆われた上部はそのままだが、かつての昇降口だった場所にだけは工事が入り、きちんと扉が開くようになっている。
「入んないの?」
「……ええと、その」
困った顔で、墨香は隣に立った若狭春菜の横顔を見た。マスカラをしっかり塗った長い睫毛が、自信ありげにすっと伸びている。今日の春菜は、白のフレアースカートにヒールの高いミュールといういでたちだ。これまでと少し印象の違う彼女が、こちらを向く。
「入部、したいんでしょ?」
何秒か迷って、墨香は「はい」と小さく頷いた。
「部長の青海くんは、中学のときのクラスメイトなんです。ずっと、優しい人だと思っていました。でも、それだけじゃなくて。彼は、友達のためなら、強くなれる人で。大変なことになっても、諦めずに、前向きでいられる人なんです。それで……私も、そんな風に、なれたらいいな、って……」
春菜は微笑んで、うなずきながら墨香の話を聞いている。名前のとおり、春に咲く菜の花のような暖かい笑顔を見ていると、つい、普段は話さないようなことまで口にしてしまう。
「その彼のこと、好きなんだね」
「わ、私は、そっ、そ……そう、なんでしょうか……」
「女の子がそんな可愛い顔して語ってるのに、違うってことないっしょ。あ、もしかして、もう向こうに彼女がいるとか? いいのいいの、隙を見て奪っちゃえば!」
「いっ、いえ! いない……と、思います……けど」
「どしたの? 遠慮する理由なんて、ないと思うけどなぁ。まだ若いんだし! ってうわっ、ヤバい! オバサンみたいなこと言ってしまった!」
春菜は心底ショックを受けた顔をして、「今のナシ!」と腕でバッテンを作る。
「それは置いとくとしてもさ。興味あるなら、べつに断られることもないんじゃない?」
「……ですが、私は、あの《界震》を知りません。他人の私に、何ができるのか」
墨香は小さく首を振る。
小さな頃から、いつも墨香は傍観者だった。
今回もまた、墨香は、外から物語を眺めることしかできないのだ。
しかし、春菜は意外なことを言い出す。
「アタシだって、《界震》をちゃんと経験したことなんてないよ?」
え、と墨香は思わず声を上げた。だって彼女は、話によれば、日本各地の《迷宮化》の写真を撮って回っているボランティアではなかったのか。
「たまたま旅行先に、《迷宮化》した建物があって、マジやばい! すげーイケてる! って思ってさ。そんで、休みのたびにあっちこっち行って、写真撮りまくって。こんなカッコいいんだから、みんなに見せなきゃ! って思ってウェブに上げてたら、帝都大の人から連絡が来て、資料として使っていいですかーって言われたんだよね。うわー懐かしい、何年前の話だろ」
「そう……だったんですか」
「うん。だからもう、アタシなんか最初っから、ただの野次馬。みずのんみたいに、子供の頃に《迷宮化》に遭って、そのせいでイジメられてー、みたいな話、ぜーんぜんないし。当事者でも何でもないのに、こうして専門家みたいに出しゃばっちゃってるわけよ」
みずのん、というのは、水之内のことだろうか。そんな話は初耳だ。
「でもさ、別にいいんだと思うんだよね。だってさ、被災したからって、隣の人の気持ちがぜんぶ分かるわけでもないっしょ? それより、一緒にやりたいって気持ちのほうが、ずーっと大事だよ。向こうだってきっと、全然気にしてないって」
さあ、と春菜は息を吸う。
「行って! ドア開けて! 入部したいって言ってきな!」
「は、はい!」
その声に背中を押されて、墨香は走り出した。
「おーい、ぐずぐずしてると置いていくぞ」
「ごめんごめん、待って!」
春菜の視線の先には、車が一台停まっている。運転席には水之内。後部座席には、ごちゃごちゃと荷物が押し込まれている。すっかり私物化された寮の部屋は、春菜もしぶしぶ手伝ったとはいえ、片付けるのに一苦労だった。
「いくら最後だからって、春菜までわざわざ来なくても良かったのに」
「だって、色々あったしさ。挨拶くらいしときたいじゃん」
篠懸や水之内の後輩達は、すでに東京に戻っている。春菜も何度か手伝いには来たが、二日前にようやく行政に各戸の被害を示す参考資料を提出し、ボランティアにも区切りがついた。美空ヶ丘の水道はすでに復旧し、公園にあった仮設トイレも片付けられている。
「それにしても、すごい学校だったよね。《超能力》がホントに使える人をこんなにいっぺんに見るなんて、もう一生ないかも」
「ああ……あれは面白い現象だったね。これはぼくの想像だけど、生徒の中に、他人の《超能力》を強化できる子がいたんじゃないかと思うんだ。現に、ぼくの目だって、あの余震の日にはいつになくはっきり震源が見えたしさ」
春菜は水之内の左目を見る。普段はカラーコンタクトで分からないが、その下にある左目は鮮やかなブルーだ。綺麗な色だとは思うが、奇異な印象は否めない。篠懸は知っているそうだが、春菜には長いこと秘密にされていた。そういうものだ。たとえどんなに親しくなっても、隠し事のひとつやふたつはあるもの。そう割り切れる程度には、春菜はもう大人である。
「これまで、《迷宮症候群》の患者っていうのは、《異色症》があるのに《超能力》を持たない人が多数派だと思ってた。でもそうじゃなくて、本当はみんな何か力を持っていて、それを眠らせてるだけなのかもしれないね。もしかすると、その力は《界震》によって与えられるものですらなくて、春菜の中にも眠ってたりするのかもしれない」
「ちょっ、《超能力》を強化とかスゴイじゃん! ヤバいじゃん! なんですぐに教えてくれなかったのさ!」
「別に必要ないだろ。あの部活の子たちには、その辺りを調べるように頼んであるよ。いずれレポートが来たら、春菜にも共有しようか」
「約束だよ! 忘れないでよ!」
木々には青葉が芽吹き、校庭では野球部が練習をしている。一部の校舎で工事が行われているのが見えるが、それを除けば、ごく普通の学園生活だ。
春菜にとっては、これがひとつの終わり。
けれどあの子たちにとっては、新たな物語の始まりなのだ。
車が校門を出て行く。
さっきの少女は、今ごろ何をしているだろうか。
「上手くやんなよ」
もう見えなくなった校舎を振り返って、春菜は小さくつぶやいた。
いっぱいに息を吸い込んで、扉に手をかける。
「――あのっ!」
思い切って、引き開けた。
中にいるのは幾人もの生徒たち。そして一匹の、白い毛玉。
傍観者で居続けることは簡単だ。傍観者は傷つくこともないし、笑われることもない。
「一年A組、秋月墨香です――入部を希望しに来ました!」
けれどそうしている限り、墨香自身の物語は、何も始まらないのだ。
「ホントに!?」
青海の驚きの顔が、すぐに満面の笑顔に変わる。
その顔を見て、自分の選択は間違っていなかったのだと信じながら――
「ようこそ、実践地学研究部へ!」
墨香は、新しい仲間たちのもとへと足を踏み入れた。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!




