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迷宮高校の新学期  作者: こうづき
6.実践地学研究部
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6.実践地学研究部 - 1

 体育館の床には、全面に緑のシートが敷かれている。表向きは土足のまま入れるようにという配慮だが、実際のところは、その下にある工事の痕跡を隠すためという意味合いも大きいだろう。踏めば分かるが、《迷宮化》して見栄えの悪くなった一部の床は剥がされ、別の板で塞がれている。

 きのう一騒動あったものの、保護者説明会は予定通り行われることになったのだ。水之内による《界震》についての講義もあるということで、せっかくだからと、生徒も希望者の参加を許されている。

「要するに、『寄付金くれ』って話だよな」

「あ、これってそういうイベントなの?」

 パイプ椅子に足を組んで座り、南がつまらなそうに言う。隣に座った青海は、興味深そうにきょろきょろと周囲を見回していた。眼帯は外している。その代わり、さり気なく手で右目を隠したり、目に付きづらそうな場所を選んで座ったりと、多少は気を遣っていた。

「直すにしろ別に建てるにしろ、タダじゃないんだ。こういうのは、私立のほうが金の調達が難しいんじゃないか? 伝統ある学校なら、卒業生が金を出してくれるのかもしれないけど」

「伝統とか、ないもんねー……うう、お父さんお母さん、公立落ちてごめんなさい……」

 青海がうなだれている間にも、保護者席は少しずつ埋まり始めている。全校生徒の数に比べれば、用意された椅子は少ない。意外な気もするが、平日の午後という時間帯を考えれば、仕事で来ることができない保護者は多いだろう。かと言って、土日に開催すれば、それはそれで欠席者が多そうだ。

「あ、ねえ、見てよ」

 藍がひとりの女性と共に歩いてくる。お互い一言も口は利かないままだが、嫌々一緒にいるという雰囲気でもない。ただ、藍の顔には疲労の色が見て取れた。

「ここ、空いてる?」

 答えを待たずに、藍は青海の隣に腰を下ろす。あれが話に聞く母親だろうか。詳しい話を聞いていいものかと迷っている青海に、藍は自分から説明を始めた。

「今のが私の母親よ。『みしるしの会』の一員。会うのが久しぶりすぎて、何を話していいのか全然分からなかったわ。……でも」

 藍はわずかに口元を緩める。

「こうなってみると、あの《界震》も悪くはなかったわね。私が発症したのは本当に偶然だし、その様子が広まって、『会』がこの学校を嗅ぎつけてきたのも偶然。そのはずなんだけど……運命とか神様とか、そういうのを信じちゃう人の気持ちも、ちょっとは分かる気がしたわ」

 そう言って、藍は愛おしげに左胸に手を当てた。


 昨日の騒動の後、「みしるしの会」の面々は、不法侵入を素直に謝罪して帰って行った。学校としても大事にするつもりはなかったようだ。

 ついでに言えば、少なくとも昨日の段階では、紅島真那子はあの「会」を離れるつもりはないようだった。さすがに一日で彼らの教義に心酔したというわけではなく、「せっかくだから、もう少し『会』が言ってることを勉強してみるね」とのことだったが。藍のほうも、この様子では、もうそこまでの激しい憎悪をたぎらせることもないだろう。そもそも「会」の側も、虹色の目の男が「当分ここで余震が起きることはない」と宣言したことと、《迷宮症候群》について全校生徒に説明する――たとえ《御標》に戸惑い、苦しんでいる生徒がいたとしても、彼らのことは帝都大と宵宮高校がフォローする――と約束されたことにより、これ以上この高校に執着するつもりはないようだった。美空ヶ丘の住民を対象にした勉強会はしばらく続けるということだったが、それを止める権利は青海たちにはない。



 結局、高校側としては元一年生校舎は取り壊さず、しばらくはあのまま置いておくつもりでいるようだ。地下まで《迷宮化》が進んでしまったため、取り壊すのも一苦労なのでは、とは南の弁。代わりに、学校を囲む林になっている場所を一部整備して、そこにテニスコートと、小規模な新校舎を設置する計画らしい。南の予想通り、臨時の寄付を募る切々とした訴えが、理事長からじきじきに行われていた。あわせて生徒会長の夏坂清良も、なかなかの演技力で生徒の窮状を訴え、保護者達の心を動かしていたようだ。

 水之内の講義も、つつがなく進んでいった。《界震》の歴史から始まり、日本国内で起きた主な事例へ。過去の大規模な《迷宮化》の写真を示し、見た目のインパクトで押し切る作戦に見えた。

「あのう、また《迷宮化》が起きることはあるんでしょうか」

 心配そうに訊ねた女性には、「しばらくは大丈夫でしょう」と答えてみせる。

「ぼくたちの調査によれば、昨日の余震をきっかけに、この近辺で観測されていた異常な状態は正常に戻りました。昨日の余震も小規模なもので、《迷宮化》はごく限られた地域でしか発生していません」

 何気なく喋っていると、まるで科学的にきちんと調査されているようだが、しかし。

(観測って、あの「会」のおじさんが《超能力》で見て判断したっていうやつ……?)

 水之内はずいぶん「会」を疎んじていたようだが、その割にちゃっかり利用はしているのかもしれない。だとしたら、オトナって汚いなぁ……と青海はしみじみ思う。

 はい、と手を挙げたのは、高そうなスーツを着て、髪をきっちりとまとめた女性。マイクを渡され、ぴんと背筋を伸ばして立ち上がる。

「今回の被害で、子供達の健康に影響はないんですか。《迷宮化》した建物の近くにいることで、何か問題はないんですか。先ほど少しお話はありましたが、あれでは説明が不十分です。何を隠していらっしゃるのか、正直にお答えください」

 始めから喧嘩腰でかかってきた女性に、水之内が思わず怯む。それを「やましいことがあるんですか」と追及する女性。仕事はジャーナリストか何かではないかと思わせる勢いだ。分かりません、と答えるのが科学的には正しいのかもしれないが、それでは納得すまい。

 それに実際、やましいところがないわけでもないのだ。《超能力》に関する話はまるまる省略しているし、学校もハンペンの存在を伏せている。

 水之内が観念したように息を吸った。

「隠しているわけではありませんが、専門的な内容になりますので。健康への影響という意味でなら……そうですね。界震の専門家として、ぼくは各地を回っていますし、調査中に余震に遭ったことも、《迷宮化》に巻き込まれたことも少なくありません。教授も同行していますし、帝都大の他の学生や市民ボランティアもいますが、先ほどお話しした以外の体調不良が起きた例はありません」

「そんな限られた例で何が分かるんですか! だいたい、さっきからお話を伺っていれば……目や髪の色が変わる、ですか? 常識で考えれば、そんな馬鹿げた話――」

 ああ、勢いに任せて難癖をつけたいだけか、と青海はため息をつく。気持ちは想像できないこともないが、実際に症状を見てしまっている以上、もはや共感はできない。

 体育館の中がざわつく。保護者の中には美空ヶ丘の住人も多く、その中には、駅前で演説をしていた虹色の目の男を見たことがある者もいるだろう。彼を一度見てしまえば、彼女の発言はただの茶番だ。けれど、少し離れた場所に住み、今日はじめて《迷宮化》の被害――すでにひどいものは修復され、校内でも目に余るものは隠されているが――を目にしたような者にとっては、その症状が冗談のように聞こえても仕方ない。

 ふと、隣に座る南を見る。ちっ、と小さく舌打ちするのが聞こえた。何となく――色々と溜まりに溜まった鬱憤が、爆発しそうな気配。

 そしてその予想は正しかった。

「うるせえ!」

 一声叫んで、南が立ち上がる。長身の彼に注目が集まる中、南は青海の首根っこを掴んで引きずり出す。

「え、ちょっ!?」

 そしてそのまま、女性の前に突き出された。

「よく見てみろ! こういうことだ、納得したか!」

 ……周囲からの視線を感じる。

 保護者たちと、任意出席の生徒達。あわせて三百人はいるだろう。いや、もう少し多いか。

 やり遂げた顔の南。

 そんな南を睨み付けている女性。

 今にも帰りたそうにしている水之内。

「え……えーと、どうも……」

 苦し紛れに笑って見たが、女性の表情は揺るがない。

(ど……どうすれば……)

 沈黙が重い。

 周囲を見回す。ふと、こちらを心配そうに見ている墨香の顔が視界に入った。

 このまますごすごと引き下がるのは、何だか、あまりに情けない。

 だいたい、界震が起きてからというもの、あれこれ調べて立ち回り、フォローに回っている南と違って、青海はこれといって何かをした記憶がない。これまでやったことといえば、せいぜい山畑先生を脅迫したことくらいである。

 青海はひとつ深呼吸。

(ええい……なるようになれ!)

 襟首を掴んでいた南の手を放し、ネクタイを直しながら女性に向き合う。

「あ……あの、そういうことなんで! もしお子さんに何かあっても、僕たち生徒で、相談に乗れると思います! そ、それでダメなら、帝都大の方に連絡する感じで!」

「……それは、そういう組織を作るということですか。学校として」

 気勢をそがれた格好になりながらも、女性は訊ねた。

「えっと……」

 助けを求めるように、体育館のステージ側を見る。

「――そうです」

 その時、マイクなしでもよく通る声がした。見れば、生徒会長がステージの端に立ち、自信たっぷりの表情でこちらを睥睨していた。

「ひとまずは、部活動として発足する予定です。活動にあたっては顧問もつきますので、いざという時の責任は取れるかと。何かあれば、いつでも連絡してください。部長は――彼が務めます」

 生徒会長の手が、まっすぐに差し伸べられる。

「……え、僕?」

 呟いた青海の声は、どこからか湧き出した拍手に紛れ、喧騒の中に消えていった。

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