5.きみの名は - 7
南たちは後を追ってきた白幡たちと合流し、彼の話を聞く。十メートル近い場所からのダイブという所業を敢行した笠井は、「足が痛い」と一言感想を述べたきり、大人しく話を聞いていた。しかし白幡の話を聞くうち、「あれ?」と首を傾げる。
「お前らが助けた子猫って、表にいた灰色と茶色の子だよな?」
「そうだよ! 黒と茶色のまだらの子が、たぶんおかーさん!」
「子猫は、もう一匹いるって言ってたんだよな?」
「あ……ああ、そう言ってたと思う」
白幡が猫と喋っていたこと自体には特にツッコミも入れず、笠井は腕を組む。その冷静な態度を見て、白幡は小声で南に「あいつは事情を知ってるのか?」と訊ねたが、「どうせ嫁の顔しか見えてないんだろ」という投げやりな答えが返ってきただけだった。
「ってことは、お前……もしかして、ハンペンか? 蹴っ飛ばしてごめんな」
巨大な白い生き物に笠井が呼びかけると、白い生き物がもぞりと動く。すわ食われるか、と周囲の人間は緊張したが、ハンペンと呼ばれた白い生き物は、笠井の身体に鼻面をこすりつけるに留まった。
「ハンペン……?」
「おう。たぶん、灰色のがコンニャクで、茶色のがチクワ。母親がニラタマで、こいつがハンペンだな。ウチの校内に住んでる野良猫だ。界震のあとで行方不明になったって生徒会長が言ってたから、きっとここに迷い込んで、出られなくなってたんだな」
事も無げに言われ、白幡は唖然とした顔で目の前の毛玉を見上げる。確かにそう言われれば、どことなく猫っぽいような気はするが……しかし、これは、何だ?
だがそう言われれば、先ほどからの発言がすべて腑に落ちる。
「お兄ちゃんってのは、さっき助けたチビちゃん達のことだったのか」
白幡の言葉が分かるとは思えないが、ハンペンらしき生き物は、嬉しそうに白幡にも身体をこすりつけてきた。押し潰されそうになってひやりとしたが、幸い手加減はしてくれたようだ。
「え、でも、なんで巨大化してるの……?」
誰もが思っていても口に出せなかった疑問を、真那子がおそるおそる発する。
「私がいま思いついた可能性は、次のふたつだ」
言葉を失っている周囲の面々に構わず、篠懸が楽しそうに語り出す。
「ひとつは、さっきの余震で、この猫に《迷宮症候群》の未知の症状が発現した可能性だ。本震でこの現象が起こった可能性は薄いだろう。私もこの建物は調べたが、地下にこれほどの生き物が隠れるような空間ができていたら、さすがに気付いただろうからね。《界震》で人間が巨大化するところは見たことがないが、動物にはまた違った症状が現れるのかもしれない。ふむ、実に興味深いな。どうだね君、次は動物を連れて《儀式》をしてみては?」
「……検討しておきます。それが救済に至る方法でないという確証はありません。人間だけが選ばれた者であると考えるのは、確かにわれわれの思い上がりでした」
「みしるしの会」の会長でもある虹色の目の男は、すっかり疲れた顔で答える。
「もうひとつは、最初の界震でこの猫が《迷宮症候群》にかかり、何かのきっかけで、この猫の《超能力》が発現したという可能性だ。たとえば、恐怖を感じると巨大化するとか、界震を感じると巨大化するとか。そうだとすれば、何らかのきっかけで元に戻すことができる可能性もあるね」
他に考えられる可能性としては……と続ける篠懸の言葉を遮り、「あの!」と朱凛が訊ねる。
「じゃあ、この子はキャットフード食べるんですか?」
「……ああ……うん、おそらくは」
「そっかー! でも、大きいからいっぱい食べないとお腹空いちゃうね!」
ニコニコとハンペンらしき生き物に話しかける朱凛。自分が食われる心配はしないのか、と白幡は思ったが、想像すると怖いので黙っておくことにした。
「あれ? みんな、そこにいるの?」
はるか上方の窓から、青海がひょいと顔を出した。声が上まで聞こえたようだ。
「先生たち連れてきたけど、どうしたらいいかなー?」
「……とりあえず、そっちに戻るよ」
なんだか一気に肩の力が抜けて、南はため息をついた。
「こ、これは……」
のっそりと地上に現れた巨大な猫を前に、集まった教師達の反応はいくつかに分かれた。
「ひっ、ひいっ!」
まず、目を剥いて逃げ出す者。
「いったい何がどうなってるんだ! 説明しろ!」
迷惑顔の水之内に詰め寄る者。
「引き取ってもらうなら動物園か、大学か……保健所じゃないですよね?」
冷静に今後の対処を考える者。
「かわいい! もふもふ! どうしよう! むはー!」
目を輝かせながら抱きつく者。
――ちなみに最後は佐藤弓子先生である。普段の冷静な女教師ぶりとのギャップに、生徒どころか、教職員までもが唖然としていた。
「ふわふわー! にゃーん!」
毛玉に全身を埋めるようにして撫で回す佐藤先生。もはや周囲はドン引きである。
「あんなことをしても、佐藤先生は襲われないのね」
「わ、私、さっき飛びつかれましたが」
「あれは『一緒に遊ぼう』って言ってたっす」
虹色の目の男に、白幡が真顔で答える。
「『人間は、遊んでくれるしエサを献上してくれる便利な下僕』って覚えてるみたいっすよ。たぶん、怖がらせたりしなければ襲われないっす」
いやしかし、どうするんだ、と口々に囁き交わす先生達。
「もし何かあったら、学校では責任を取れません。帝都大のほうで、引き取ってもらうわけにはいきませんか」
「そ……そうですね。教授、どこか預かってくれそうなところに心当たりは」
「ふむ……ああ、そうだ、君達の会で飼うのはどうかな。おそらく、探せばどこかに《御標》もあるだろうし」
「い、いや、われわれには猫アレルギーの仲間が……」
ああ、と楓子は内心で頭を抱えた。遠い過去の記憶が蘇る。まーちゃんに一目惚れしたあの日のこと。「おかーさん、あの白い猫ちゃん飼いたい!」「ダメよ! あんた達ぜったい世話なんかしないでしょ!」「するから! するからお願い!」「だーめ!」「か、母さん、そう言わずに……」「あなたまで何を言ってるの! サボテンだって枯らしたくせに!」――目の前で繰り広げられている話し合いは、どこかあの時の様子に似ている。たとえ飼いたい気持ちがあっても、生き物を飼うという決断は、そう簡単にしていいものではないのだ。
ふーっ、ふぎゃっ、と鋭い猫の鳴き声が聞こえた。見れば、おそらくは毛玉の母親なのであろうサビ猫が、遠巻きにこちらを睨んでいる。
「ハタっち、なんだって?」
「『ウチの子に何かあったら承知しませんからね! 勝手にどこかへ攫っていくようなら、末代まで祟ってやる!』」
「……ほ、ホントにそんなこと言ってるの?」
「ニュアンスとしては、たぶんそんな感じだと思うんだけど……」
所在なげに立ち尽くす生徒達を前に、大人達の討論は日が暮れるまで続いた。




