5.きみの名は - 1
「何やってんのさ、僕たち……」
テニスコートの傍にある植え込みに隠れて、青海は膝を抱える。隣には息を殺す南。反対側には、妙にやる気満々の楓子。
一年生の校舎「だった」建物の周囲には、何やら足場が築かれていた。一階と思われる場所を残し、上部がブルーシートで覆われている。
「っていうか、朝あんな調子だったのに、なんでいきなりラブレターとかって話になってるの? 双見さんも、それでいいわけ?」
「あのな。逆に聞くが、これが朝の話と無関係だと思うのか?」
怪訝な顔をする青海に、楓子が「あれ見て」と指を差す。その先には、作業着姿の大人が数人。
「あれが何? 工事の人かなんかじゃないの?」
「違うと思う。あれ、今朝の人の仲間じゃないのかな。さっきから、工事らしいこと何もしてないでしょう」
楓子が眉をひそめながらつぶやく。そうしている間にも、大人達は二手に分かれ、片方が校舎の中へ入っていってしまった。
「正直、私の考えすぎだと思ったんだけど……そうでもないみたいだね」
「ま、待って、どういうこと?」
「藍を呼びだしたのは、あの会の人たちなんじゃないかってこと。目的は分かんないし、藍がどういうつもりで行ったのかも知らないけど。私は、手紙のこと自体を知らないことになってるから、何も言えなかったし」
「えぇ!?」
「静かにしろ」
青海の頭を押さえつける南。
「……じゃあ、あの人たちがこっそり僕らの教室に入って、手紙を置いていったってこと?」
「それならまだマシだな。俺はどちらかというと、学校の中にあいつらの仲間がいるって線を疑ってる」
「冗談でしょ? あんな怪しい団体に、誰が協力するのさ」
「この学校の全校生徒は四百人近くいるんだ。教職員を合わせたらもっと人数は増える。その中にひとりくらい仲間がいたって、別におかしくないだろう」
「そんな……」
声を失った青海の肩を、楓子がつつく。
「誰か来るよ」
姿勢をいっそう低くして、三人は息をひそめる。
だが、近づいて来たのは藍だけではなく――
「ん?」
「あれ?」
首をひねりながら、三人は顔を見合わせる。
藍と一緒に、なぜか白幡と朱凛の姿が見えたからだ。
「ったく、参ったぜ……」
せっかく街に来たのだから、寄り道でもしていこうと考えていた白幡だったが、結局は早々に学校に戻ってきてしまった。また先ほどの女性のような人間に絡まれたらと思うと、落ち着いて買い物もしていられなかったのだ。
傷口を留めていたステープラーの針を外すとき、医師や看護師は白幡の髪の異変に気付いていたかもしれないが、特に何も言われることはなかった。目立つ色でもないようなので、気付かれなかったとしても不思議はない。ちなみに、傷のほうは順調に治っているとのことだ。
バスを降りて歩いていると、こちらに向かってくる朱凛と出くわす。
「あ! ハタっち、おかえり!」
「ただいま。バスならちょうど今出ちまったぞ」
「な、なぬっ!」
頭を抱え、ショックを受けたポーズの朱凛。なぐさめようかと思ったその時、くわっ、と彼女の目が見開かれる。
「あんなところに猫にゃんが! よーし、こうなったら! 遊んでいくべし!」
振り返った白幡の視線の先には、確かに一匹の猫がいる。道端でぎろりとこちらを睨んでいるのは、黒と茶色が入り混じった模様の、いわゆるサビ猫だ。
「おーい、猫にゃーん!」
そんな大声で声をかけるのはまずいんじゃ、と思ったのだが、幸いサビ猫は逃げる素振りを見せない。一歩ずつ近づいて行く朱凛に動じることなく、堂々と彼女を見つめている。首輪がないから野良猫だろうし、下手に近づくと引っかかれるのでは……と思いながら、白幡も猫との距離を縮めていく。
「ねえハタっち、猫ってアメ食べると思う?」
「さあ……少しくらいならいいんじゃないか?」
朱凛が鞄を漁る。その間に、白幡はしゃがんでサビ猫と目を合わせた。
「どうした? 腹減ってんのか? アメくらいしかなくて悪いな」
何気なく話しかけた、そのとき。
――助けて。
そんな声が聞こえた気がして、白幡は目を丸くする。
耳に届いたのは、単なる猫の鳴き声だったはずなのに。
「ほーら、アメちゃんだよー」
朱凛が手の上にアメを乗せて差し出す。サビ猫は警戒しながらも、難なくアメに食いついた。おそらく、普段からこうやって人間にエサを貰っているのではないか、と白幡は思う。それにしても、ずいぶん人間に慣れた猫だとは思うが。
(今のは……気のせいか?)
そう思ったとき、サビ猫がくるりと身を翻し、ゆっくりと歩き出す。
数歩行ったところで、ちらりと振り返り、にゃあと鳴く。
(いや、やっぱり……)
――ついて来て。
そう言われている気がした。
「追いかけよう、アカリン」
「へ? でも、次のバスが……」
「いいから」
白幡が後を追ってくることを確認し、サビ猫はゆったりと歩き始めた。
「……ねえ、あなたたち、何やってるの?」
猫のあとをコソコソと追う、怪しいふたり組。そんな光景を訝しんだのか、藍が白幡と朱凛に声をかけてくる。
「見ての通りだ。猫を尾行してる」
「いえ、それは分かるんだけど……」
「一緒に来るか?」
そう言う間にもサビ猫は行ってしまう。ため息をついて、藍も猫の後を追った。
「ちょうどこっちに用事があるの。途中まで一緒に行くわ」
「用事?」
この先には、自分達の元の校舎くらいしかなかったはずだが……と首を傾げる白幡に、藍はこともなげに告げる。
「果たし状が来たから。決闘しに行くの」
「おおっ! カッコいいね!」
何だかすごいことを言っている。が、考えてみれば、訳の分からないことをしているのはこちらも同じだ。「この猫が助けを求めてるから」などと言ったら、間違いなく引かれる。
「果たし状って、誰から?」
「分からないわ。でも、たぶん女子だと思う」
「へえ……」
女子同士の決闘って怖そうだなぁ、などと白幡が呑気に考えているうちに、一年生の校舎が見えてくる。
「それじゃあ、私はここで」
「おう。なんだか知らんが、頑張れよ」
「あ、猫にゃん、待って!」
藍と別れた白幡と朱凛は、サビ猫を追って、変形してドアが閉まらない昇降口から校舎に入ろうとする――が。
「こら、ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ」
作業着の男が、昇降口とは別の場所から顔を出した。そうこうする間にも、サビ猫はするりと校舎の中へ入ってしまう。どうしよう、と一瞬だけ迷ってから、白幡は息を吸う。
「か、関係者です! ここの生徒です、忘れ物を取りに来ました! 行くぞ!」
口早にまくしたて、白幡は朱凛の手首を掴んで校舎の中に飛び込んだ。
「な、なんであいつらがここに?」
植え込みの影の三人は、目の前で起きていることが理解できずに当惑している。
「白幡くんと朱凛ちゃんは、今そこにいたサビちゃんを追いかけてきたみたいだったけど……」
「サビちゃん?」
「猫がいたでしょう? 三毛猫から白い部分をなくした感じの。ああいう色の猫をサビ猫っていうの。三毛猫と同じで、ほとんどがメスなんだ。だからあのサビちゃんも、たぶん女の子」
楓子の解説に、へえー、と感心した様子の青海。
残された藍はといえば、受け取った手紙を確認しながら、きょろきょろと辺りを見回している。どうやら、まだ相手は来ていないようだ。




