4.みしるしの会 - 5
「あれ、ハタっち、帰っちゃうの?」
昼食を食べ終えた白幡が帰り支度をしているのを見て、朱凛が不思議そうに声をかける。
「どうせ午後は体育だけだし、出ても見学だからな。ってわけで、早退して病院行って参ります、隊長殿」
「なんと、そうであったか! 気をつけて!」
それじゃ、と手を振って、白幡は教室を出る。
向かう先は校内にあるバス停だ。生徒以外にも何かと人の出入りがあるので、授業がある時間にも一時間に一、二本、学校と駅を往復するバスが出ている。
後頭部の傷の痛みはすでに引いていたが、ホチキス状のもので縫ってあることもあり、仰向けに寝られないのが不便だった。ようやく針を抜けるのはありがたい。
バス停に到着して、腕時計を確認する。ちょうどいい時間だ。考えてみれば、週末はずっと寮に引きこもっていたので、これが先週の通院以来初めての外出になる。
やって来たバスからは、荷物を担いだ作業着姿の男女が連れ立って降りてきた。迷宮化で破損した校舎の修繕なり検査なりに来たのだろう、と見当を付ける。白幡が乗り込むと、バスの運転手が少し不思議そうな顔をしたが、特に何も言われることはなかった。
がらんとしたバスの適当な席に腰を下ろし、外を眺める。
「うわっ……」
つづら折りの坂を降り、バスは町中に入る。ブルーシートのかかった家や、一部を取り壊している家を見て、白幡は目をみはった。学校の外にも、被害は出ているのだ。
南がいれば「俺たちの話を聞いてたのか?」と怒られそうなところだが、正直なところ、白幡は校外の様子などまったく考えもしていなかった。脱出直後、病院まで連れていかれた時にも外を見ているはずだが、疲れていたのか記憶がはっきりしない。最初の頃は少しばかりテレビで報道があったというが、土曜の昼までは寮は停電していたし、その後も白幡はほとんど部屋で寝ていたのでテレビを見た記憶がない。同室の友人は携帯電話であれこれ調べていたようだが、白幡はそんなことに興味がなかったし、そもそも今、白幡の携帯電話は使い物にならないのだ。
あの界震のときにどこかにぶつけたのか、携帯電話の液晶が割れ、画面の半分ほどは表示が荒れている。タッチ操作をしようとすると、割れたガラスが刺さりそうだ。かかってきた電話に出ることはできるし、メールやメッセージもなんとか見ることはできるが、あまりやる気になれない。そんな中で、不必要な情報検索など、する気になれないのは当然のことだろう。
(なんつーか……意外と、非常事態っぽい感じなんだな)
まるっきり他人事のように、白幡はそんなことを考える。
整形外科は、駅から歩いて五分ほどのところにある。便利な場所にあるせいか、午後一番の待合室は混んでいた。
「あら、あなた宵宮高校の生徒さん?」
隣に座っていた中年女性が白幡の制服を見て、興味津々という顔で声をかけてくる。
「はぁ」
何気なく頷いた白幡に、女性は声をひそめて尋ねてくる。
「宵宮って、《迷宮化》、ずいぶん大変だったんでしょう? ひょっとして、あなたもあの時ケガを?」
心配しているような顔をしているが、その瞳が好奇心で輝いている。
「ああ、はい……」
「やっぱり!」
何だかイヤな予感がしてきたが、時すでに遅し。女性はエサを見つけたピラニアのごとき勢いで、白幡の言葉に食いついてくる。
「ね、ね、他にもずいぶんケガした人がいるんじゃないの? もう学校は始まってるのよね、大丈夫なの?」
「いや、ケガしたのはオレくらいのもんです、オレが特別ドン臭かっただけで……授業だって普通にやってるっすよ」
「本当に? 学校の人に、話しちゃダメって言われたりしてるんじゃないの?」
「え? ああ、そういえばそんなことも言われたような……」
「そうでしょ! やっぱりね!」
いい笑顔を浮かべる女性。「詳しいことは先生に聞いてください」と言ってみても、「いいのよ遠慮しないで、本当のことを話してちょうだい! おばさん、絶対にヒミツにするから!」と譲らない。
(ダメだこいつ、自分に都合のいい話しか聞きやしない!)
何をどう考えても、この女性が秘密など守ってくれるわけがない。いったい、この会話がどれだけ歪曲されてオバサン達のネットワークに伝わっていくのか。考えるだに恐ろしく、白幡はひとつ身震いした。
「あの、ウチの学校のこと、そんなに噂になってるんすか?」
「そりゃあそうよ! 動画だって勉強会で見せてもらったわ、ああいうのテレビじゃ流さないのよね! こうやって被害に遭ってる人がいるって、きちんと声を上げないと!」
「動画?」
そういえば、ニュースサイトがどうこうという話を担任がしていた気がする。
「っていうか、勉強会って何すか?」
「あら、知らないの? さっき、三丁目の町内会館であったのよ。《迷宮化》についてお勉強しましょうっていう会!」
三丁目、と聞いても白幡にはそれがどこだか分からなかったが、口ぶりからするにこの近くなのだろう。そんなものが開かれているとは初耳だ。
「人間にも影響が出るかもしれない、なんて、テレビじゃ全然言ってくれないじゃない? 驚いたわよぉ。ねえ、ひょっとしてあなたも――」
とっさに目を逸らそうとして、それはまずい、と思い止まる。正面から話している限りは気付かれないだろうが、口ぶりからしてこの女性は《迷宮症候群》のことも知っている。うっかり髪の変色を見られたら最後、「宵宮高校の生徒は発症者だらけだ」というイメージをつけられかねない。きちんと発表するならともかく、この女性を経由したら、訳の分からない尾ひれがつく予感がした。
(これで《超能力》のことまで知られてたら、マジでヤバいな……)
今朝、藍が駅で起こしたというトラブルの話を思い出す。白幡が見る限り、藍には目立つ場所に《異色症》の症状は出ていないが、宵宮高校の制服を着ていたのなら同じことだ。あの事件に余計な誇張がついた日には、いったいどんな噂になるのか――考えたくない。
「待つでゴザル!」
唐突にかけられた声に、白幡と女性はあっけにとられた顔で声の主を見る。突き指でもしたのか、指に包帯を巻いた男が、ずずい、と割って入ってきた。
チェックのシャツにぽっちゃり体型、絵に描いたようなオタク風のその男は、妙に紳士的な態度で女性に話しかける。
「そこなご婦人、しつこい女性は嫌われるでゴザルよ。そんな男より、それがしに話を聞かせてはくれないでゴザルか。それがし、ご婦人の話に大変興味があるでゴザル」
「え? ええと……?」
戸惑う女性を連れて、男はさっさと別の席に移ってしまう。
(こ、これは……助けられたのか……?)
ぺこり、と頭を下げると、男は小さく親指を立てて「がんばれよ」のポーズ。やはり助けられたらしい。
そのあと名前を呼ばれて席を立ったとき、すれ違いざまに「本当はJKを助けたかったでゴザルが、仕方ないでゴザル」と小声で囁かれたので、白幡も「女子じゃなくて本当にすいません……」と心から頭を下げた。
(しかしまあ、人は見かけによらないもんだな)
見た目と口調の割には聞き上手だったのか、女性の話をオーバーリアクションで聞き続けている男に、白幡は心の中で深く感謝した。
■ ■ ■
「何かしら、これ」
体育の授業から戻って来た藍は、机の上に置かれている手紙を見つける。ノートを一枚破って、折り紙の要領で畳んだ、いかにも女子のものらしい手紙だ。「双見さんへ」と名前があるから、藍に宛てたものに間違いはない。
「なんだ、ラブレターか?」
「あのねえ。どこからどう見ても、女の子の手紙じゃない。そんなことより南くん、これを置いた人、誰だか知らない?」
「さあ。俺が戻ったときには、もうあった気がするな」
何かしら、と思いながら手紙を開く。
「……あら?」
――放課後、元の校舎の前でお待ちしております。
書かれていたのは、そんな内容だった。
「果たし状かしら」
「いや、どう見てもラブレターだろ」
勝手にのぞき込んでくる南を、手で「しっしっ」と追い払う。ひっくり返してみても、差出人の名前はない。
「あのねえ、まだ入学式から十日くらいしか経ってないのに、もうラブレターって早すぎるんじゃないの?」
「恋は理屈じゃない。だいたい、このクラスの皆だって、この何日かでずいぶん仲良くなったじゃないか」
「それは界震があったからでしょ。あんなことがあれば、そりゃあお互い、仲良くもなるわよ」
口にしてから、藍は自分の言葉に驚いた顔をする。
(仲良く、か)
思いも掛けない事件は相次いだが、別に皆で何かをやり遂げたわけでもないし、ドラマチックな絆が生まれたわけでもない。けれどその言葉は、思ったよりすんなりと藍の口から出てきた。
なにしろ――
中学生から高校生になって、新しい学校やクラスに馴染めるかと緊張して、お互いの距離感を探って。自分の立ち位置を上手く見定めながら、クラス内のポジションが似ているであろう友達をうまく見つけて、グループを作って。
そんな予定が全部、あの界震のせいで吹っ飛んでしまったのだ。
細かいことを悩んでいるヒマなんてない。いい格好をしなくちゃ、なんて思う余裕もない。だいたい、藍は今朝、友人達の前でずいぶんな醜態をさらしたばかりなのだ。こうなってしまえば、もはや今さら何を恐れようか。
「まあ、何だか分からないけど、とりあえず行くだけ行ってみるわ」
もし界震がなければ、藍はこの手紙を無視していたかもしれない。自分の名前も名乗らない無礼な奴に、応じてやる必要などない――とでも言って。
けれど何故か、今はそんな細かい理屈をつけるより、構わず突っ込んでいきたい気分だった。
差出人は見当も付かない。このクラスの人間ではないのかもしれない。そうだとしても、教卓には教師のために名前入りの座席表が貼ってあるから、藍の席を見つけるのはたやすいはずだ。
「そうか。頑張れよ」
言いながら、南が楽しそうにニヤリと笑ったことに、そのとき藍は気付かなかった。
「え、藍にラブレター?」
「しっ」
思わず楓子が声を上げた。南は唇の前に指を立て、声を落とす。
「気になるだろ?」
「そりゃあ、気になるけど……」
「見に行きたいと思わないか?」
「……よりにもよって、南くんがそんなこと言い出すなんて思わなかったよ」
いまにも「最低」と言葉を続けそうな楓子に、南は「いやいや」と首を振ってみせる。
「あんなことがあった後だし、俺としては心配してるんだ。もし万が一トラブルになって、また何かが起こったら……とかな」
そう言いつつも口元がにやついていることに楓子は気付いたようだが、かと言って南をたしなめるわけでもなく、自分に言い聞かせるようにひとつ頷く。
「それは……確かにまずいわね」
「だろ? よし、決まりだな」
後は誰を呼ぼうか、と南は教室を見回す。藍の友達ということで楓子に声をかけたが、さて。
(とりあえず、けさ双見さんと一緒にいた連中に声をかけるか?)
しかし、墨香はきっとそんな卑怯な行為を嫌がるだろうし、墨香が「良くないこと」というなら青海も格好をつけて断るだろう。青海が墨香に惚れていることは、付き合いの浅い南にも充分すぎるほどよく分かる。同じ中学校というアドバンテージが切れる前に、早く距離を縮めてしまえばいいと思うのだが、なかなかそうもいかないようだ。
朱凛は、黙って大人しく隠れていてくれない気がするので、これも却下。事情を知っている白幡でも良かったのだが、彼は今日、タイミング悪く早退してしまっている。
(しかし、女子と二人っきりってのもまずいよな)
仕方なく南は、青海に単独で声をかけることを決めた。




