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迷宮高校の新学期  作者: こうづき
4.みしるしの会
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4.みしるしの会 - 2

 最初に我に返ったのは、おそらく青海だった。

「ふ、双見さん! いまの何!?」

「え? 何って……?」

「あれ! あそこにいるの、ここで喋ってた人でしょ!?」

 虹色の目を持つ男は、拡声器を手にふらふらと立ち上がり、陶然とした面持ちでこちらに歩いてくる。

「ああ、そうか、君も新たな《御標》の子……《奇跡》の使い手……!」

 ひとまず男を無視して、青海は藍の左肩を掴んで揺する。

「双見さんってば! 聞いてる!?」

「だから、何を?」

 心ここにあらず、という様子で呟いた藍の頬を、大粒の涙が伝う。墨香が「どうぞ」と、きちんとアイロンがけされたハンカチを差し出した。

「これも使って! そのまま捨てちゃっていいから!」

 朱凛が、テレクラの宣伝入りのポケットティッシュを渡した。ありがとう、とふたりに頭を下げ、藍はハンカチで目元を押さえてから、ティッシュを受け取って鼻をかむ。いきなり泣き出した理由は、藍自身にも分かっていないように見えた。

「ね……ねえ、藍、いま……ここにいた人が、いきなり消えたの、見た?」

 混乱しているのか、引きつった笑みを浮かべた楓子が、震える手でライトバンを指さした。

「み、見たわ。でも私、べつに消したわけでは……ただ、突き飛ばしたつもりで……」

 次の電車が到着し、降りてきた生徒達がまたバスへと向かう。バス停に並んでいた生徒達は、困惑した様子で泣いている藍と騒ぐ拡声器の男を見ていた。

「ねえ、何かあったの?」

「うーん……」

 一部始終を目撃していたはずの一団は、やって来た生徒に訊ねられ、互いに顔を見合わせる。

「……よく分かんないや」

「えー、何それ!」

 青海に聞き取れたのはそれだけだった。また長い列ができてしまう前にと、青海は藍たちに声をかける。

「とりあえずさ、ここにいるのも何だし、学校に行かない?」

「え? あの人達、置いていっていいの?」

「仲間もいるし、だいじょうぶでしょ。何かあったら、学校に問い合わせてくるだろうし」

「そ……そうですね。そうしましょう」

 意外にも立ち直りの早かった墨香が、藍を元気づけるように笑ってみせる。

「そっか。まあ、あの人たちに聞きたいことがあったら、こっちから連絡すればいいしね」

 朱凛が手にしているのは、さっき女性が配っていたチラシだ。どうやら、そこに団体の連絡先も記されているらしい。

「じ……冗談じゃない。二度と関わりたくないわ。とにかく……行きましょ」

 顔をしかめながら、藍が歩き出す。目は充血して、声もすっかり鼻声だが、それでも足取りはしっかりしていた。


■ ■ ■


「劉ちゃん、劉ちゃん! いるの? 開けるわよ!」

「え、ちょっと待って、わっ!?」

 真那子の部屋と繋がるドアが勢いよく開かれ、笠井はズボンをはきかけた体勢のまま一瞬固まる。

 飛び込んできたのは真那子の母親だ。赤ん坊の頃からの付き合いだけに、いまさら笠井の着替えを見たところで何とも思わないらしい。笠井のほうはやや気まずいのだが、それを指摘するのもはばかられる剣幕だった。

「真那子は? 真那子はいないの!?」

「き、来てないけど……おばさん、真那子がどうかしたの?」

 慌てて制服のズボンをはき、ベルトを締めながら訊ねる。

「帰ってきてないのよ。トイレだと思うんだけど」

「この時間だし、混んでるんじゃないの?」

 当初の予定では、この地区の下水道は月曜日には復旧するはずだった。しかしどうやら、フタを開けてみれば思った以上に《迷宮化》が激しく、損傷の全貌がなかなか掴めないらしい。そんなわけで、近隣の住民はまだ、公園に設置した仮設トイレの世話になっている。ちなみに、すでに上水道は通っているから、断水というわけではない。歯を磨いたりする程度の少々の水は、たいていの家が庭に捨てて済ませている。

 せめてもの幸いだったのは、この地区に都市ガスが通っていなかったことだ。地下をガス管が通っていたら、工事はもっと難航していただろう。実際、過去の界震では、ガス管の破損による被害もずいぶんあったらしいと近所で話題になっていた。

「それにしたって……一時間も帰ってこないってことはないでしょう。てっきり劉ちゃんのところかと思ったのに。夜中にコソコソ遊びにいってるみたいだし」

「ちょっ、おばさん、何でそれを……」

 言ってしまってから、失言だったことに気付いた。真那子の母がにんまりと笑う。

「へえ、やっぱりそうだったんだ」

「い、いやそんな、変なことは何もしてないから! ホントに! お願いします、うちの両親には黙っててください!」

 土下座せんばかりの勢いで頼み込む。

「ただいまー」

 階下で真那子の声が聞こえたのはその時だった。真那子の母親とふたりで顔を見合わせ、ほっと胸をなで下ろす。

「まあ、今の話はヒミツにしといてあげる。勝手に部屋に入ったりして、おばさんも悪かったわ、本当にごめんなさいね。いつも真那子の面倒見てくれてありがとう」

 じゃあね、と部屋を出て行った母親と入れ違いに、真那子が戻って来る。ジャージ姿の真那子は、なぜかずいぶん上機嫌に見えた。

「あれ、劉生? 何してるの?」

「お前が戻ってこないから、おばさんが心配して様子を見に来たんだよ」

「そうだったんだ、ごめんね。トイレに行ったついでに、公園にいた人と話し込んじゃって」

 そのまま真那子が平気で着替えようとするので、慌ててドアを閉める。

「そうだ、劉生。今日は学校行くの、別々でもいいかな?」

「いいけど、どうしたんだ?」

「うん、ちょっとね。さっきの人と、もう少し話をしていきたくて」

「そんじゃ、今日は俺、チャリで行くからな。遅刻すんなよ」

「ありがとう。劉生も気をつけて」

 いったい誰と会ったのか知らないが、真那子の声が弾んでいるので、悪い相手ではないのだろう。

 ならば気にすることはない。ネクタイを締め、通学鞄を持ち、机の上に放り出したままだった自転車の鍵を取って、笠井は部屋を出た。



 風が気持ちいい。やはり、体を動かすのはいいものだ。

 通行の邪魔になるような被害は、すでにあらかた片付くか、カラーコーンで周りを囲われている。それでも、学校に近づくほど破損した家が増えていくのが分かった。

 バスを待つよりも、こうして自転車で行くほうが気楽だし、時間もかからない。もし真那子がいなければ、きっと迷わずそうしていただろう。

「《界震》と《迷宮化》について、私達と一緒にお勉強をしませんか」

 公園のそばでチラシを配っている女性がいる。どこにでもいる主婦、といった雰囲気の地味な格好をしているのに、前髪の一房を葡萄色に染めているのが印象的だ。お洒落というには、どこか奇妙な印象がある。

 ゴミを捨てに出てきたスーツの男が、チラシを受け取って家に戻っていった。そういえば、周囲でこれだけのことが起きているのに、笠井は意外に《界震》のことを知らない。帝都大のチームが調査に来ているらしいとは聞いているが、笠井にはあまり縁のない話だ。

(あれ――)

 黙って行きすぎようとして、ふと思い出す。

 不安げに揺れる、真那子の瞳。

 その左目に現れた、奇妙な変色。

 いま、あの女性の髪に見えた葡萄色は、どこかその瞳と似ていたような――

「笠井!」

 そのとき、思考を遮るように、耳に飛び込んできた声があった。


「やあ。こんなところで会うなんて珍しいね」

 自転車を停めて振り返ると、そこには同じ宵宮高校の制服を着た上級生がいた。黒髪をショートカットにした、活発そうな女子生徒だ。

「きーちゃん先輩! お久し振りです、笠井です」

「久しぶり。入学式でも見たよ。っていうか、『きーちゃん』はやめなさいってば」

「すみません、清良(きよら)先輩。それにしても、入学式ではびっくりしましたよ。生徒会長やってるなんて、ぜんぜん知りませんでした」

「まあ、大した仕事もしてないからね。会長なんて、偉そうに演説ができればそれでいいのさっ」

 三年生の夏坂清良は、笠井の中学時代、同じ野球部にいた先輩だ。当時はチームの一員として、男子と対等に戦っていた。「きーちゃん」のあだ名は小学校低学年の頃、近所の少年野球チームにいた頃のもので、その時から下手な男子など相手にならない強さを発揮していたのを覚えている。高校に入ってからは硬式野球部のマネージャーになったと聞いて、あの野球センスを生かせないのは惜しいと思う反面、それでも野球に関わってくれていることを嬉しくも思ったものだ。

 信号が変わり、ペダルを踏み込む。ぐんぐん加速する清良に、負けじと笠井もスピードを上げる。

 そういえば家は大丈夫なのか、と訊ねると、「たぶん笠井のところと似たようなものだよ。近所だからね」と返される。

「そんなことより――ねぇ、笠井は野球部入るの?」

「まだ分からないです。いちおう、他も見ておこうかと」

「部活紹介も延期になっちゃったからね! せっかく生徒会のみんなでガンバって準備してたのにさっ。第二グラウンドはしばらく工事で使えないっていうし、そうなるといろんな部活の活動場所の調整もしないとだし、困ったもんだよ」

 まあガンバるのはワタシじゃなくて庶務の子だけどね、と清良は肩をすくめる。

「色々見るのもいいと思うけど、ワタシとしては、笠井が野球部に入ってくれたら嬉しいな。この学校、あんまり強くはないけどさ、美空中のヤツも多いし、きっとやりやすいよ。中学でも、ずっとレギュラー入ってたんでしょ? 聞いたよ!」

「いや、知ってのとおり、俺らの学年は人数が少なかったんで……それに、高校は硬式じゃないですか」

「すぐ慣れるって。笠井のくせに、そんな弱気なこと言うんじゃない!」

 長い坂を登りはじめても、清良の健脚は衰えを見せない。笠井との距離が少しずつ開いていく。見かねた清良が、平らになった場所で自転車を停めて待ってくれる。

「たるんでるぞ、笠井!」

「す、すみません。いつもはバスで来てるもので……」

「なぬっ! 軟弱者め! 笠井ならぜったいチャリで来ると思ったのに!」

「隣の家のヤツも宵宮なんで、そいつと一緒に来てるんです」

「笠井の家なら、チャリで来た方が……あ、待てよ、もしかして――女かっ!? その隣のヤツってのは女かっ!」

 ツバが飛んできそうな勢いで詰め寄られ、笠井はおもわず上体を引く。女子はたいてい恋バナが好きな生き物だというが、どうもそういう雰囲気ではない。

「そ、そうですけど」

「なんてこった! ニラタマに続いて、笠井までもがワタシを裏切るのかっ! いつの間にか立派に成長しくさって!」

「ニラタマ?」

「猫だよ」

 芝居がかった仕草で天を仰ぎながら、清良は言う。

「生徒会室がある特別棟の裏に、あんまり人が来ない空き地があるんだけどね。日当たりがいいせいか、たまに野良猫が昼寝してるんだよ。近づいたら逃げられちゃうから、こっそり窓から観察してたりするんだけどさ。そのうちの一匹、ニラタマって子が、こないだ子猫を連れてきたんだ。小さかったはずのあの子が、いつの間に子持ちに、って感じで、なんかちょっと裏切られた気分だったよー……」

 野良猫なんてそんなものでは、と言いたいのを呑み込む。笠井には猫を飼った経験はなく、その生態もよく知らないが、だからこそ、猫が好きな人間の話には口を挟まないのが一番だと思っている。

「はぁ……ところで、ニラタマって珍しい名前ですね」

「ふふん。ワタシが名付けたのさ。ほかの子がココアとかシナモンとか、食べ物の名前だったからね。ニラタマの子供は、灰色と茶色と白だったから、コンニャクとチクワとハンペンっていうんだ。とにかく可愛くてね、いつも三匹一緒だから、いつでも生徒会室に見に……っと、そうだ、あの界震の日から来てないんだっけ……」

 清良は少し寂しそうに首を振った。野良猫だから、不意にいなくなってしまうこともあるだろう。界震に怯えて逃げ出した可能性もある。どこかで元気でいてくれればいいが、そうもいかないことも分かっているに違いない。

 さて行こうか、と清良が校門を指差し、再び自転車をこぎ始める。ここから先は多少傾斜が緩いので、降りて押さずとも立ちこぎで充分に進める。

「あれ、今日もずいぶん騒がしいね」

「今日『も』?」

「この学校が界震ですごいことになったって、ちょっとずつ知られるようになってきたからね。取材とか、野次馬とかがさ、来てたりするんだよ」

 そういえば、昨日の帰りのホームルームで担任がそんな連絡をしていた。

「ちなみに、正規に申し込まれた取材なら、ワタシが生徒代表として回答することになってるよ。まあ、三年生は大して困ってないから、面白い話はできないけどね。そんなことより、家のトイレやお風呂の事情のほうがよっぽど深刻だよ。洗濯も自由にできない家の生徒が多いんじゃ、部活を再開させるのも気が引ける。運動部の汚れは、洗濯機回すだけじゃすまないしね」

 野球部マネージャー兼生徒会長らしい発言をしながら、清良はスピードを上げる。

「この学校が、神々によって大いなる奇跡をもたらされたことには、必ず意味があるのです! 神の恩寵を身に宿す《御標》の子よ、《奇跡》の体現者よ、どうかわれわれの声に応えてください。われわれと共に、世界の救済を為しましょう!」

 校門の前で、何やら演説している人物がいる。近づいてはいけない人種だ、と思う。

(あれ?)

 ちらりと見えたチラシに、「勉強会」の文字が見えた。

(あいつら、もしかして、さっきの女の人の仲間なのか……?)

 ああやって何食わぬ顔で近づいて、宗教に勧誘する。恐ろしい手口だが、想像はできる。怖い話だ、と思いつつ、笠井の脳裏にはなぜか真那子の顔が浮かんでいた。

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