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迷宮高校の新学期  作者: こうづき
4.みしるしの会
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4.みしるしの会 - 1

「あ、天音さん。おはよう」

 混み合った朝の電車の中、駆け込んだ車両にはクラスメイトの青海が乗っていた。楓子は小声で「おはよう」とあいさつを返し、押し込まれる流れに乗って青海のそばに向かう。スーツの男性を押しのけるようにして、なんとか彼の隣に身体をねじ込んだ。

 楓子と青海は、墨香という共通の友人を介して話をするだけで、それほど親しい関係というわけではない。普段ならばむしろ、人ごみに乗じて距離を取るところだが、今日は彼に近づきたくなる理由があった。

「ねえ、それ、どうしたの」

 青海の右目が、白い眼帯でものものしく覆われている。その下の右目は変色しているはずだが、視力には影響がないと話していたのを楓子は聞いた。

「これ? ドラッグストアで売ってたよ。眼帯って普通に買えるんだね、知らなかった」

「そうじゃなくて、調子悪いの?」

 訊ねると、青海は目だけを動かして周囲をうかがいつつ、ささやき声で答える。

「別に、そんなことないんだけどさ。知り合いに会うと、いろいろ聞かれて面倒くさいから、しばらくは『ものもらい』ってことにしとこうと思って」

「いろいろ、って?」

「まず『どうしたの?』って聞かれるでしょ。でも、どこから説明すればいいのか、僕にだって分かんないし。病気とか怪我とかってわけじゃないから、『早く治るといいね』とか『お大事に』とか言われても、逆に申し訳ないし。同じ階に住んでるコスプレ好きのお姉さんには、『それカラコン?』『そんな趣味あったの?』って聞かれて、なんか同類だと勘違いされちゃったみたいだし……」

「それは……大変だったね」

「でしょ? だから、しばらくこれで通そうかなって。学校では取るから気にしないで」

 確かに、少なくとも教室にいる間は、みな彼の事情を分かっているはずだ。クラスメイトは水之内の説明を聞いているし、他のクラスの人達だって――

(あれ?)

 楓子は内心で首を傾げる。水之内は、他のクラスにも《異色症》の話をしているのだろうか。

「天音さんはだいじょうぶ? 何か起きてない?」

 たたん、たたん、と刻まれる規則的な電車の走行音、誰かのイヤフォンから漏れてくるシャカシャカ音。膝の上にノートパソコンを広げて、音高くキーを叩いているスーツ姿の男性。わずらわしいざわめきの中、訊ねてくる青海の声は涼やかだ。

「うん、大丈夫。見ての通り」

「いやいや、けっこう自分じゃ気付かなかったりしそうだからさ。帝都大の人も言ってたでしょ? 目立つところとは限らないって」

「まあ、背中とかだったら、自分でも分かんないもんね」

 もしそうだったとして、寮生ならば、風呂で友達に見つけてもらえたりするのだろうか――などと考えているうち、次の停車駅を知らせるアナウンスが入った。学校の最寄り駅だ。



「私、藍と待ち合わせしてるから。また後でね」

「うん、じゃあね」

 天音楓子の後ろ姿を見送る。今日もいつも通り、くせのあるセミロングの髪を、一部だけ取って括っている。楓子は片手で耳元の髪をかき上げ、小さく首を振った。

(――ん?)

 その耳元に、ちらりと何かが見えた気がした。

 見間違いかな、と目をしばたたく。


「あ……あの、青海くん」

 改札を出たところで、声をかけられた。今日はよく名前を呼ばれる日だ。

 落ち着いたトーンの、ゆったりとした声。

 誰の声かは、振り返るまでもなく分かる。

「おはよう、秋月さん」

「お、おはようございます」

 早足に近づいてきて、ぺこり、と頭を下げる墨香。

 教室でも、いつも挨拶はするけれど、こんな風に二人きりになれるのは珍しい。そう意識してしまうと、なんだか鼓動が早くなっていく気がする。

「同じ電車だったんだ。いつもこの時間に来るの?」

「はい。青海くんは、ふだんはもっと早いですよね?」

「まあね。今日はちょっと、近所のオバちゃんと話し込んじゃって」

 青海はいつも、墨香が来るより早く登校している。そのことを墨香が知っていたという事実に、思わず頬がゆるんだ。

「もしかして、その眼帯のせいですか?」

「よく分かったね。そんなに気になるのかなぁ」

「気になる、というか……心配になります」

「あのオバちゃんは、ぜったい僕の心配なんかしてないと思うけどね」

 楓子にしたのと同じ説明をすると、墨香は得心のいった顔で「そういうことなら、良かったです」と笑う。

 エスカレーターではなく階段を使って、のんびりとバス停へ降りていく。混み合っているからという理由もあるが、青海としては、墨香と少しでも長く話していたいという下心もあった。

 宵宮高校のスクールバスが発着するのは、駅前のロータリーから数十メートル離れた場所にあるバス停だ。朝のこの時間、駅の西口を出て左に曲がるのは、多くが宵宮高校の生徒――であるはずなのだが。

「あれ? なんか、騒がしいね」

「何でしょうか……」

 宵宮高校用のバス停の十数メートル手前に、白いライトバンが停まっている。ぎりぎりで、バスの発着の邪魔になるかならないかという位置だ。そしてそのライトバンの前で、拡声器を持った男がひとり、何やら演説している。

 最初はどこかの政治家かと思った。選挙の時期でなくても、青海の家の近所にある駅では、たまにあれこれ演説している若い政治家がいる。しかし、口調こそまるで政治家のようだが、内容はずいぶん毛色が違う。

「これがただの災害でないことは、皆さんも感じておられるはずです! 美空ヶ丘の皆さん、お分かりでしょうか! この地にもたらされた奇跡こそが、大いなるご意志の現れなのです!」

 なんだ宗教か、と青海はため息をつく。

 新興宗教に冷たいのは日本人の常だ。ほとんどの通行人が彼らを避け、時に迷惑そうな、あるいは好奇の視線を投げかけながら歩き去っていく。

 それでも、立ち止まっている人間はゼロではなかった。しばらく話を聞いている人間には、別の女性が近づいてチラシを渡している。

「早く行こう」

 はい、と頷いて、墨香が後ろをついてくる。秋月さんと一緒になれるなら、明日からもこの電車で来ようかな――などと考えながら、拡声器を持つ男のほうへとちらりと視線を向けた。

(あ……)

 運悪く、目が合ってしまう。

 その男の顔を見て、青海は思わず眼帯に手をやっていた。

「今すべきことは、われわれ人類がより高みに至り、この託宣に相応しい存在となることなのです!」

 熱にうかされたように語り続ける男の左目は、いくつもの色が混じり合った、どこかシャボン玉を思わせる虹色に染まっていた。



「あいつら……!」

 押し殺したような声で、かたわらの藍が唸る。どうしたのかと目をやって、楓子は思わず息を呑んだ。

 射殺すような視線を男に向け、藍はつかつかとライトバンに近づいていく。

「ち、ちょっと待ってよ、何なの? あの人たち、知り合い?」

「まさか」

 吐き捨てるように答えた藍は、普段とはまるで別人のようだ。

「昨日、先生が言ってたでしょう、『みしるしの会』って団体のこと。今あいつが喋ってるのは、まさにその連中が好んで語る与太話よ」

 藍は男の正面に立ち、キッと彼をにらみ付ける。視界の隅で、バスを待っていた青海と墨香が、列を離れてこちらへ戻って来るのが見えた。

「何を企んでいるの」

 単刀直入に、藍はそう告げた。

 いったい、何が藍をこれだけ怒らせているのか、楓子にはまったく分からない。

「企む?」

「何でもいいわ。今すぐこの街を出て行って!」

 藍の大声を聞いて、駅へと向かう人々の一部が、何だろう、とこちらに視線を向けて来る。

「ち、ちょっと、藍……」

 やめようよ、と藍の腕を引っ張るが、静かに「フーコ、放して」と言われては従うしかない。

(どうしよう……もしかしてこの人たちも、私の動画を見て来たんじゃ……)

 真っ先に自分の保身に頭が回り、その事実に気付いて楓子は肩を落とす。その仕草を誤解したのか、そばでチラシを配っていた女性が近づいて来た。

「良かったら、どうぞ。私達と一緒に、界震の本当の意味について考えていきましょう」

「あ、いえ、そういうの興味ないんで……」

「宵宮高校の生徒さんでしょう? でしたら、あなた方はもう、託宣の一端をご覧になっているはず。私達は、得体の知れない宗教などとは違うんです。今、ここで起きていることを、きちんと見て考えることが必要なんです」

「託宣って……《迷宮化》? あれはただの自然現象じゃ」

「フーコ! そいつらの話なんて聞いちゃダメよ!」

 強い力で、腕を掴んで引っ張られる。

「い、痛いよ藍」

「とにかくダメ! ダメったらダメ! どうせ全部デタラメなんだから!」

 藍は背中に楓子をかばうようにして立つ。背後から、「なになに、みんなどーしたの?」と脳天気な声が聞こえた。クラスメイトの朱凛だ。いつもポニーテールの髪を、今日はシュシュを使って左サイドでまとめている。

 彼女はもともと寮生だったはずだが、迷宮化を心配した親が、寮の点検と修繕が終わるまでは家から通うように言ったのだと聞いている。直接話したわけではないし、むしろ押しつけがましい彼女の性格は楓子の苦手なタイプだが、とにかく朱凛は声が大きいので、放っておいても話が聞こえてしまうのだ。

「あ、墨香っちも青海も、おはよー!」

 緊張感のない声に、場の空気がゆるむ。けれどそれがかえって藍の神経を逆なでしたらしく、「ちょっと!」と青海たちに向かって怒鳴る。

「見せ物じゃないの! 早く行きなさい、バス来ちゃうわよ!」

「今の校舎なら、バス停から近いから平気だよ。あと何本か待っても余裕だって」

「こいつら、『みしるしの会』なのよ! 先生だって、こいつらの話なんか聞くなって言ってたじゃない!」

「あの、でしたら双見さんも、あまり関わり合いになるのは危ないのでは……」

 墨香が口を挟んだが、藍が一瞥をくれると「す、すみません」と下を向いてしまう。

 だが、朱凛はそんな藍の様子もちっとも気にならないようで。

「うんうん、墨香っちの言う通りだよ! 危ないのはよくないよー!」

 無造作に楓子を押しのけ――わしっ、と藍の胸を背後から揉んだ。

「ひぎゃあ!?」

「藍ちゃんも落ち着いて、落ち着いてー」

「おっ、落ち着けるわけないでしょ、バカ! こういうのセクハラっていうのよ!」

「まあまあ。そんなに怒らなくてもいいじゃん? だって、この人……」

 朱凛は、あっけにとられている拡声器の男を指さす。

「あたし達と一緒で、界震にやられた人なんでしょ?」

 虹色に光る、男の左目。

「その通りッ!」

 拡声器越しに叫ばれ、楓子は反射的に両耳を押さえる。

「この《御標(みしるし)》はまさに、神がわれわれに下された恩寵の証! ゆえに、われわれには世界を救済する義務があるのです! もしもこの中に、《御標》を下された者がいるのならば、ぜひともわれわれと志を共にしていただきたい!」

 墨香が気遣わしげに青海の顔を見る。困った顔で眼帯をいじっている青海。結果的に、あの眼帯は大正解だ、と楓子は思う。彼らが《迷宮症候群》の患者を特別なものとして扱うというのなら、青海の顔を見られれば確実に絡まれていただろう。

 バスの列に並んでいる生徒たちが、ひそひそと囁き交わしながらこちらを見ている。

「何あれ」

「ケンカ?」

「あれ、A組の連中じゃん」

「一年生かな? 若いねー」

「あんなの、ほっときゃいいのに」

 携帯電話をいじっている生徒も多いが、普段なら気にも留めないその仕草が、今ではまるで、自分達のことを発信しているかのように感じられる。

 道を行く通行人達もそうだ。カシャッ、という携帯電話のカメラのシャッター音がする。頼むから、これ以上こちらを刺激しないでくれ、と楓子は祈る。

 幸いなことに、そこでスクールバスが到着した。ちらちらとこちらに視線を向けながらも、残って野次馬をするほどのことだとも思わなかったようで、生徒達が次々にバスへと呑み込まれていく。数人の生徒が、おしゃべりをしながらバス停に残った。おそらく、まとまった座席を取るために次のバスを待つのだろう。

「ふっ……ふざけないで!」

 朱凛の腕を振りほどき、藍は拡声器の男に詰め寄る。

「なにが救済よ! なにが御標よ! あんた達のおかげで、私の家族はメチャクチャになったんだからね! 世界のためなら、家族なんてどうでもいいってわけ!?」

「……家族?」

 唐突な発言。だが、その意味を考える間もなく、藍は腹の底から絶叫した。

「あんた達なんか――消えちゃえばいいのよ!」


 直後。

 強い風が吹き荒れ、楓子は片手でスカートを押さえながら、反対の手で顔をかばう。

 風はすぐに止んだ。

 しかし、目を開けた楓子の前からは――


 ――拡声器の男が、忽然と姿を消していた。



「きゃあっ!」

 誰かの悲鳴と同時に、発進しようとしたスクールバスが急ブレーキをかける音。

「うわっ!」

 見れば、バスの鼻先で、ひとりの男が腰を抜かしていた。あやうく轢かれそうになったその男は、半ば腰を抜かしながらも歩道にたどり着く。

「怪我はありませんか!」

 青ざめた顔で降りてきた運転手に、男は幾度もうなずき、「気にしないでください」と手を振る。運転手は首をひねりながら運転席に戻り、バスを発車させた。

「ね……ねえ、あれ……」

 言いかけて、楓子は自分が笑っていることに気がついた。

 人間、あまりにも常識を超えた事態を前にすると、思わず笑ってしまうものらしい。

「双見、藍? まさか……」

 チラシを配っていた女性が、藍を見ながらぽつりと呟くのが聞こえる。だが、その言葉の意味を詮索する余裕はなかった。

「あ、あの、いったい、何が……?」

 墨香の問いに、答える者はいない。

 歩道に這い上がった男は、片手に拡声器を握りしめたまま、放心状態でその場に座り込んでいた。

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