3.その瞳に映るもの - 3
「君のその目……色が変わったのは、《界震》のあとですよね?」
中庭のあずまやに腰を下ろし、青海の名前と教室内での座席の位置を確認したあと、水之内が最初に口にしたのはそんな言葉だった。
「み、見て分かります?」
右目に手をやる。
墨香に指摘されてようやく気付いた程度の変色だが、言われてみれば確かに、茶色だったはずの虹彩がうっすらと青みを帯びている。
「これ、やっぱり例の、《迷宮症候群》ってやつですかね」
「間違いないでしょう」
あっさりと肯定され、青海は少しホッとした気分で手を下ろした。
「親御さんは、何か言ってますか」
「えっと……話はしましたけど、母には『なんだかよく分からないけど、身体に害がないならそれでいい』って言われました」
昨日の夕飯時を思い出す。青海としてはそれなりに重大な告白をしたつもりだったのだが、母親の反応はあっさりしたものだった。父親にも「世の中、いろんなことが起きるもんだな」の一言で片付けられてしまい、すっかり拍子抜けしてしまった。
「理解のある親御さんで良かったですね。基本的には害はないはずですよ。なにか、見え方が違ったりはしますか?」
「いえ、特には」
黒板だって見えてるし、駅の表示だって普通に見えてるし、などと考えながら答える。こちらの顔をじろじろとのぞき込む水之内。見やすいようにと大きく目を開け、すぐに耐えられなくなって青海は何度かまばたきをした。
(あれ?)
ふと、水之内の目にコンタクトレンズが入っていることに気付く。眼鏡をかけているのに、何のために。ひょっとして、オシャレのつもりの伊達眼鏡なのかなぁ、だったら外したほうがマシじゃないかな……などと思いながら、メモを取る様子を見る。クリップボードに挟んだ紙には、あらかじめいくつかの質問事項が印刷されているようだった。
「それじゃあ次に、当日の話を聞かせてください」
「……あの、僕じゃなくて、あっちに聞いたほうがいろいろ分かるんじゃないですか? 彼女が、閉じ込められたときにリーダーになって脱出口を探してくれたんです」
あずまやから離れた花壇のそばで、楽しそうに笑い転げている朱凛と春菜を手で示す。聞き取り調査をしているのか、ただのガールズトークで盛り上がっているのか、正直よく分からない。
そちらに目をやって、水之内は苦笑を漏らした。
「もちろん、彼女も含めて全員に聞きますよ。こんなに大規模な《迷宮化》に三十何人もが巻き込まれて、おまけに複数人が《迷宮症候群》を発症したなんてケースは見たことないですからね。ここの調査だけで、しばらくは仕事に困らないんじゃないかとぼくは思ってます」
「はぁ……これって、そんなにすごいことなんですか?」
「そりゃあそうですよ。ぼくは界震が起こるたびに、先生と日本中、たまに海外にも調査に行ってますけど、それでもこれまで発見した《迷宮症候群》の患者は百人もいませんからね。この学校の皆さんには、快く協力してもらえて本当にありがたいです」
遠回しに「実験材料ゲットだぜ!」と言われているような気がしたが、怒る気にはなれなかった。
「あ、写真撮らせてもらってもいいですか?」
うなずくと、ポケットから携帯電話が出て来る。デジタルカメラではないのかと訊ねると、「画質はいいし、撮った場所や時間も記録できるし、すぐにサーバーにアップロードできるし、その辺のカメラなんかよりこっちの方がよっぽどいいですよ」と即答された。
「いやあ、でも、羨ましいですね。たとえ発症しても、ひとりじゃないってのは心強いでしょう」
「南と白幡と……他にもいるんですか?」
「もう何人か申告を受けてますし、これから気付く人もいると思いますよ。髪の変色は伸びてこないと目立たないし、目や肌の変色は何日かしないとハッキリ現れませんからね。これは言ってみれば、身体のその部分の設計図が組み変わった状態です。新しい設計図で細胞が作られるまでは、見ても分からないんですよ」
「……もしかしてこの目、これからもっと目立ちます?」
「運が良ければそこで止まるし、悪ければもっと色が濃くなるでしょう。何とも言えませんね」
息を呑んだ青海を見て、脅しが効きすぎたと思ったのだろうか。水之内はすぐに柔らかい笑みを浮かべ、「まあ、どうにかなりますよ」と無責任な慰めの言葉を口にした。
一人あたりの調査に要した時間は、短くて三分、長くて三十五分。一時間では終わらず、後の授業にも食い込んだが、六時間目の授業が終わる頃には大半の生徒への聞き取りが終わっていた。
残すは帰りのホームルームだけとあって、教室の中は騒がしい。双見藍と四十塚朱凛が、南の机を挟むようにして喋っている。
「そういえば、あの若狭さんっていう人、朱凛ちゃんの知り合いだったのね」
「そうそう。土日、ヒマだったからボランティアに来てたんだけど、ちょうど春菜ちゃんと同じトコの担当になってさ!」
「ボランティア?」
朱凛の思わぬ言葉に、藍は首を傾げた。
「うん、ほら、この辺ってすごい断水してたじゃん? だから公園とかに仮設トイレ作ったり、給水車出したり、いろいろしてくれてて。その列整理したりとか、トイレットペーパー替えたりとか、そういうの! 楽しかった!」
「あ……そうよね、そうか、募集してたのね……」
初めて気付いた、という顔で藍が口元に手を当てる。
「四十塚さんも参加してくれてたのか。ありがとう、おかげでみんな助かった」
南は振り返って頭を下げる。まるで人の会話を盗み聞きしていたようで少し気が咎めたが、これだけ近くで話されていれば嫌でも会話は耳に入るというものだ。
朱凛は一瞬きょとんとした顔をして、それから「ああ、ミナミンって美空中の人か!」と手を叩く。いつの間にか南のあだ名はミナミンになったらしい。
「あたしはヒマしてただけだから! 困ってる人がいるんじゃないかと思って来てみたら、ちょうどボランティア募集してて! いやー、あれはラッキーだったよ!」
「そう、だったんだ」
「そんなことより、ミナミンの家は大丈夫だった?」
「まあね、学校と比べれば屁みたいなもんだよ」
肩をすくめてみせると、朱凛は「よかった!」と笑みを浮かべる。とびきり甘くてジャンクなお菓子をもらったときの子供を思わせる、心の奥から湧き出すような笑顔。
(しかし……こいつ、ただのバカじゃなかったんだな)
楽しかった、と言われることにはやや複雑な印象はあるが、とにかく手を貸してくれたことには感謝するしかない。しかもおそらく、苛立つ住民達の列整理も、トイレの整備も、女子にとって楽な作業ではなかったはずだ。
「ほらみんな、帰りのホームルームを始めるよ!」
その声は、佐藤先生ではなく担任の山畑先生のものだ。ようやく他の仕事が落ち着いてきたのだろうか。
今日のホームルームも、まずは明日の時間割変更のお知らせから始まった。佐藤先生はすべて教室の後ろの黒板にメモを残しているので、そこに書かれた連絡の量はかなりのものになっている。
だが、次の連絡はずいぶんと毛色の違うものだった。
「それと、もうひとつ。ここのところ、学校の前に取材や、観光目的の部外者が来ることが多い。バスで来てる人は、駅のバス停で知らない人に話を聞かれても、できるだけ相手にしないように。自転車や徒歩で来てる人は、校門前でたむろしてる人に注意するように。無視しろとまでは言わないけど、学校の中の様子なんかを聞かれたら、『先生に聞いてください』と言ってくれたらいいからね」
南は眉を上げ、昨日見た校門での光景を思い出す。わざわざそんな注意をするほど、彼らの行動は目に余っているのだろうか。
「どうも、日曜の夜にニュースサイトに取り上げられてから、この学校のことが話題になってるみたいなんだ。分かってると思うけど、授業中は携帯電話の電源を切るように。休み時間も、勝手に写真や動画を撮ってウェブに上げる行為は控えてほしい。友達に見せるくらいなら構わないけど、知らない人にも見える状態になっているのは、あまり良くない」
「あの、有名になること自体は、悪くないと思うんですけど……今回の《迷宮化》の被害自体、あまり話題になっていませんし」
楓子が手を挙げて発言する。山畑先生は少し困ったような顔をして、それでも邪険にはせずに答えてくれた。
「まあ、おかげで支援や寄付を申し出てくれた方もいるから、一概に悪いとは言えないのは確かだね。ただ、どうも、あまり良くない団体が来ているようなんだ。『みしるしの会』とかいう、まあ、宗教団体みたいなやつなんだが――」
ひっ、と隣で悲鳴が上がった。
(なんだ?)
見れば、藍が目をいっぱいに見開き、口元を押さえている。その目には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「……どうして」
呟いて、藍は目を伏せる。ひとつ深呼吸。手が、かすかに震えていた。
「ええと……続けていいかな」
一瞬の沈黙のあと、山畑先生はひとつ咳払いをして、「――そいつは、全国あちこちの《迷宮化》の現場で、『《界震》や《迷宮化》は神からの託宣だ』と主張して回っている会らしい」と続けた。
(……あれ)
どこかで聞いたことがある名前だな、と南は眉をひそめる。
誰か、似たような反応をしている者は――と教室内を見回すが、藍以外は今の話にあまり関心がなさそうな様子だ。
いや。
窓際の席で、青海が妙な顔をしながら右目をこすっている。
その二つ前の席で、天音楓子がそわそわと辺りを見ている。
(どうしたんだ、あいつら)
楓子はトイレにでも行きたいのかもしれないし、青海も花粉症か何かなのかもしれないが――それにしても、何か違和感があった。
続けて、木曜の午後に《迷宮化》に関する保護者説明会を行う旨の連絡をして、ホームルームはお開きになった。
「あ……待って南、もう帰る?」
鞄に筆箱を放り込んだところに、青海が駆け寄ってきた。
「帰るっきゃないだろ。部活の仮入部は延期になったし、そもそも部活って気分でもないし」
「そっか……あのさ、僕これから掃除当番なんだけど、良かったらちょっと、その辺で待っててくれない?」
「なんだ? 金なら貸さないぞ」
茶化した南に、青海は真顔で応じる。
「そういうのじゃないから。ちょっと、相談したいことがあるんだ」
ソレ関係で、と青海は南の額を指さした。左眉の端には、今日も絆創膏を貼っている。そこにアザがあることだけは、すでに青海にも話していた。親には「転んでケガをしたから」と言っているが、いつまで誤魔化せることやら。
青海の目も、同じ症状だろう。右目だけが、西洋人のブルーアイとは雰囲気の違う、暗い青色を帯びている。
「分かった。昇降口で待ってる」
頷いて、南は鞄を担いだ。




