3.その瞳に映るもの - 2
「今日はずいぶんと急いでるんだね。何かあったかな?」
門の前で心配そうに声をかけてきたのは、宵宮高校の教師である山畑だ。今回、水之内が聞き取り調査の対象にしている一年A組の担任である。年の頃は三十代前半といったところ。オジサンと呼ぶにはまだ早いが、お兄さんと呼ぶには落ち着いている。
「い、いや、その……健康のために走ってきただけなんで……」
春菜はぜいぜいと息をつく。膝が笑っている。喉がいがらっぽい。何度か咳き込んだ末に、「すいません」と断ってから水のペットボトルに口をつけた。
(こんなイケメンの前で、何やってんのアタシ!)
上着としてジャージを着る教師が多い中、山畑は茶色のジャケット姿だ。細身のジャケットはよく似合っているし、安物には見えなかった。昨日はじめて会ったときも、パステルカラーのセーターを厭味無く着こなしていた。服装に対して、自然に流した黒髪が少し重い印象を与えたが、おそらくきちんとした機会にはスーツを着るのだろうから、これでいいのだろう。
女子生徒にはものすごく慕われるか、イケメンぶりを鼻にかけてものすごく嫌われるか、どちらかだろうなと春菜は思う。
「それはそれは……相当きつかったでしょう、この坂は。気軽に散歩に来るような場所でもないから、普段は静かなんだけどね」
「今は違うんですか?」
「朝からお客さんが多くてね。ああ、こちらは帝都大の方です。通してください」
後半は守衛に向けた言葉だ。そんな言い方をされるとまるで帝都大の学生のようだ、と思いながら、春菜はぺこりと頭を下げて門をくぐる。
「お客さんって、さっき来てたふたり組みたいな人たちですか」
山畑は「そう」とうなずく。
「途中で会ったんだね。まあ、すぐに帰ってくれただけ、彼らはまだマシなほうだよ。先週はどこに問い合わせても、被災したことさえ分かってもらえなかったくらいなのに、土日を挟んだだけでこれだからね。いったい、どこから聞きつけてきたんだか。きちんとしたマスコミの取材だったら、受けて構わないと理事長も言ってるのに」
とすると、動画が拡散しているらしいということはまだ把握していないのだろうか。考えているうちに、水之内が滞在している学生寮が見えてきた。
「あなたも、出入りのときはよく注意するように。特に、『みしるしの会』という団体は相手にしたらダメだよ。生徒たちにも、話しかけられても無視するようにと連絡するつもりなんだけどね」
――御標。
山畑の言葉を聞いて、すぐさま春菜の脳裏に漢字が浮かぶ。
(って、何だっけコレ?)
どこかで聞いたことがある名前だったが、その正体はさっぱり思い出せなかった。
約束の時間まではまだ二十分ほどあったが、水之内に連絡を入れると、彼はすぐに寮の入口まで迎えに出てきた。
「やっほーみずのん、元気? あ、頼まれてたお菓子、買って来たよ!」
「昨日の今日だからねぇ、そりゃ元気だよ。ありがとう」
「わざわざ買って来てあげたんだから、もちろんバイト代もくれるよね!」
「分かってる、ちゃんと払うよ」
学生寮には食堂が併設されている。前日までに申し込めば朝食と夕食は食べられるそうで、昼も高校の売店で何かしら買えるそうなのだが、栄養バランスのよすぎる食事が水之内にとっては逆に辛いらしい。所望されたのは、スナック菓子と眠気覚まし用のガムだった。
本来ならば女子禁制の男子寮を、春菜は水之内のあとについて歩いて行く。白を基調にした内装は、やや古びてはいるが丁寧に使われているようだった。ちなみに、窓から見える隣の建物が女子寮である。こんな距離ならば簡単に行き来できそうだが、夜間は警備を兼ねて、管理人がしっかり入口を見張っているらしい。
「そーいやみずのん、アタシまだ、あのすっごい校舎の中を見てないんだけど」
春菜が言う校舎とは、あの大幅に《迷宮化》した一年生校舎のことである。
「そっか、昨日は時間がなかったもんねぇ。あとで案内……ああ、いや、春菜ならひとりで入ってもらっても心配ないか。上履きとか、なにか履けるもの持ってる?」
「学校にお邪魔するっていうから、スリッパ持ってきたよ!」
「スリッパか……うーん、だったら外靴を拭いて入ったほうがいいかな、どうせホコリが舞ってるし。足元は危ないから、よく気をつけて」
「危ないの?」
「ぼくらが撮った写真もあるから、いま見せるよ」
水之内が滞在している部屋に入ると、「初めまして」とひとりの学生が頭を下げてきた。彼ともうひとり、研究室の後輩を応援に呼んだのだという。
「こーんにーっちはー! アタシ、若狭春菜っていいます。趣味で《迷宮化》の写真とか撮ってます! あ、コレ、みずのんとセンセーと分けて食べてくださいね!」
買って来たコンビニの袋を学生に渡す。
「ありがとうございます! 共有してもらった写真、見ました! すごいですね!」
「えへへ、それほどでもありますよ! もっと褒めて!」
そのポテチはぼくの、とかなんとか水之内が言っているが、ひとまず無視。
「っていうか、なんで春菜はうまくいくのに、ぼくがやると白けるのかな……」
「ん? どしたの?」
「何でもない」
なぜかムスッとした顔で、水之内は広げたノートパソコンの画面に何枚かの写真を表示する。
「これ、何だか分かるかな? 例の校舎に出現した、余剰フロアなんだ」
「あ……」
そこに写っている光景は間違いなく、先ほどの動画で見た風景だ。無秩序に立てられた壁。意味のない階段。天井の低い空間。ダンジョンめいた暗さ。
「……って、あんまりビックリしないんだね」
「え!? いや、ビックリしてるし。っていうか、何がなんだか分かんなくて、ビックリとかいう次元じゃないだけだし」
とっさに、動画を見たことを伏せてしまった。別にやましいことなどないはずなのだが。
「すごいだろ? 元が洒落た建物だから、余計にファンタジーだよ」
「この校舎、中に生徒がいたんだよね?」
「うん。昨日言ったとおり、一クラス分。春菜に手伝ってもらいたいのは、その一年A組の聞き取り調査。彼らにも手伝ってもらうけど、女子生徒だったら春菜のほうが話しやすいかと思って」
「オッケー、任せといて! なに聞いたらいいかと、どれくらい時間もらえるかを教えてもらっていい?」
まとめて説明するよ、と水之内はうなずき、学生から取り返したポテチの袋を開けた。
「え、ホント? 次も自習? ラッキー!」
「一年間でやることは変わらないんだから、どこかでしわ寄せが来るんだろ。下手すると夏休みあたりに補習があるかもしれないぞ」
南の言葉に、青海は「うげっ」と舌を出してみせる。
授業が始まったといっても、まったくの平常通りに戻ったわけではない。今日も時間割のうち二コマが変更になり、二コマが自習になった。学校の方針としては、受験生となった三年生の授業を滞りなく進めることを最優先としているらしい。
分かりやすく割を食っているところでいえば、まずは体育だろう。一年生校舎を間近で見ることになるテニスコートと第一グラウンドは、当分閉鎖される見通しだ。第一グラウンドには、何やら工事車両が入っていると聞いた。体育館も点検中なので、空いているサッカーコートや剣道場を使ったり、保健の授業に振り替えたりと、あれこれ調整が続いている。
もともと二教室に分かれて少人数制授業をしていた数学も、空き教室の調整がつかなかったのか別の時間や曜日と交換になったり、自習になったりしている。その他にも、教科担当の先生が今回の界震に関する何らかの対応に追われ、やむなく自習を指示する例が増えていた。寮生である白幡の話によれば、先生方は夜も遅くまで会議を行い、あれこれ動いているようだ。
「皆さん、席についてください」
チャイムと共に、本来の授業である数学の教師ではなく、副担任の佐藤先生が入って来る。青海は慌てて自分の席に戻った。その後ろから、ぞろぞろと入って来る大人達。先頭にいるのは水之内広哉だ。後ろの三人はラフな格好をしていて、そのうち一人はどう見ても、この学校の雰囲気には似合わないギャルだった。
「昨日に引き続き、帝都大の皆さんが来てくださいました。この時間は自習ということなので、調査への協力をお願いします。昨日と同じように、話をしたい人がいればどうぞ。特にいなければ、名前順で進めてください」
佐藤先生に促され、水之内が三人を紹介する。ふたりは帝都大の学生で、派手なギャルは外部のボランティアらしい。若狭春菜と名乗ったギャルは、「よろしくお願いしまぁーす!」と明るく手を振ってくる。皆で「よろしくお願いします」と返すと、水之内がなぜか肩を落としていた。
「あ! 春菜ちゃん春菜ちゃん!」
教室の廊下寄り最後列から、脳天気な声が上がる。
「わっ、朱凛ちゃん! やだー奇遇! っていうか、朱凛ちゃんここの子だったんだ!」
どうやら知り合いだったらしい。そのまま、トップバッターのひとりは朱凛に決定する。すでに水之内に話をした生徒と、そもそも被災していない墨香を除けば、名前順で最初になるのは青海だ。「話が終わったら、次の人を呼んできてください」と言い残し、佐藤先生は職員室に戻っていった。
「がんばってくださいね」
机の横を通ったとき、墨香がにこりと笑いかけてきた。面倒だと思っていた気持ちがその一言ですっ飛び、青海は少しだけ帝都大に感謝した。




