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迷宮高校の新学期  作者: こうづき
3.その瞳に映るもの
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3.その瞳に映るもの - 1

 今日も晴れていてよかった、と思いながら、若狭春菜はバスを降りる。通学や通勤のラッシュはすでに過ぎ、バスはずいぶんと空いていた。

 バス停の名前は「宵宮短大入口」という。この辺りに短大なんてなかったはず、と気になってウェブを検索したところによれば、いまの宵宮高校の敷地には、かつてそんな名前の女子短大があったのだそうだ。なまじ遊ぶ場所もない田舎にあるだけに、親も安心して娘を送り出せたのかもしれない。

 とはいえ、思うように学生が集まらず、宵宮短大がその歴史に幕を閉じたのが十年あまり前のこと。その後、土地と建物は別のオーナーに格安で売り飛ばされたが、そのオーナーが学校としての設備を活かして作ったのが宵宮高校らしい。高校としては珍しく寮が設置されているのも、かつての短大の寮がそのまま使えたからなのだろう。

 立地は悪くないのよね、と春菜は思う。駅前のちょっとした商店街を抜け、ごちゃごちゃとした古い町並みを過ぎると、あとはひたすらに住宅街が広がっている。その住宅街も、決して無個性ではないのにどこか統一感があり、バスの車窓を眺めるだけでもなかなか飽きがこない。

 ホームドラマの中で、一見幸せだけれど実はちょっとした問題を抱えた家族が住んでいる、平凡だけれど豊かな町――春菜が最初に抱いたのは、そんな印象だった。

「よし、行くぞっ!」

 拳を握って気合を入れ、春菜は目的地へと続く急な坂道を登っていく。桜色のチュニックの下は、動きやすい綿のクロップドパンツ。足元は、これも桜色のスニーカーだ。背負ったリュックや、日焼け対策のツバ付き帽子のせいもあって、ハイキングにでも行くのかと家族には笑われた。実際、ハイキング並みにあちこち歩き回ることにはなるのだが。

 目指す宵宮高校は高台にある。他に何もない山の上だから、学舎としてはいい環境なのだろうが、アクセスの悪さには閉口した。生徒達は駅からスクールバスに乗るというから、こうやってわざわざ山を登る物好きは少ないのかもしれない。

 しばらく山を登ったところで、いったん休憩することにする。平らになった場所に、あつらえたようにベンチが置いてあった。昨日は休憩なしで、それもヒールのあるショートブーツを履いてこの山を登り切ったのだが、さすがに足が悲鳴を上げた。それに、見たところ、ベンチからの景色はなかなか悪くない。

 手にしていたコンビニの袋を置いて背中の荷物を下ろし、デジタル一眼レフを取り出す。眼下には、さっきバスで通り抜けてきた町が広がっていた。町の名前は美空ヶ丘というそうだ。歩き回りすぎてそろそろ頭に入ってきた地図と、目の前の景色を脳内で重ね合わせる。

 いかにも計画的に作られた町らしく、適度な間隔でちょっとした公園が設置されているのが分かる。いくつかの公園の横に建つ、平屋建ての白い建物は町内会館だ。聞いた話では、夏祭りやらもちつき大会やら、季節ごとにちょっとしたイベントが行われる地区もあるらしい。

 公園と町内会館は、この非常時には大変重宝されているようだった。迷宮化に伴う水道管の破断によって、かなり広い範囲で上下水道の使用制限がかかっている中、市の協力を得て仮設トイレが設置されたのがこれらの公園だった。

 被害の程度は町によってずいぶん違う。駅に近い美空ヶ丘一丁目は、言われなければわからない程度の迷宮化――せいぜい、窓のサッシが少しずれたとか、ベランダの柵が不自然に一本増えているとか、そのくらいだ――で済んでいる。停電や断水からの復旧も早く、金曜日の夜には元の生活を取り戻したようだ。望遠レンズをつけたカメラを向けてみても、ごく普通の町並みにしか見えない。

 「界震だなんて騒いでるけど、全然フツーじゃん、大げさすぎ」――この市内でさえもそんな反応が多く見られるが、それは電車から見えるのがこの一丁目付近までだからだろう。

 ゆるやかなアップダウンがあるため、電車からの視線が届かない二丁目から六丁目。中でも顕著に被害を受けているのが、宵宮高校にほど近い、三丁目と四丁目の家々だ。

 変形した屋根。不自然な場所に張り出したベランダ。道路を侵蝕する門柱。さっそくブルーシートをかけられている家もある。

 そちらにカメラを向け、どこを狙うともなしに連写する。町中で撮った写真と突き合わせれば、それなりに見栄えのする被害状況地図ができるだろう。

 カメラを片付け、背もたれのないベンチに腰を下ろす。風に乗って、どこからか桜の花びらが飛んできた。振り返って仰ぎ見れば、学校の敷地に立つ桜の木々が見える。

 そして同時に、春菜はこちらへと向かってくるふたりの青年の姿を認めた。

「にしても、あの対応はありえないでゴザルよ」

「みんな関心あるんだしさ、ちょっと見せてくれるくらいしてもいいのにな。ケチくせぇ」

「もしや、見られたら相当ヤバいものがあるのでは……つまり、世界は滅亡する!」

 どちらもチェックのシャツにジーンズという格好の青年たちは、大学三年生である春菜と同じくらいの年頃だ。春菜と目が合うと、青年達は歩調を早めて近づいて来る。

 春菜が動かないことを確認して、ふたりのうち、背の高い方の男が口を開いた。

「見物だったら、行ってもムダだよ。守衛さんがいて、部外者は入れてくれないんだ」

「見物?」

 首を傾げる春菜。青年たちは「あれ?」と顔を見合わせる。

「お姉さん、あの動画を見てきた人じゃないの?」

「動画って、何の?」

「なんだ、マジで違うのか。え、じゃあ、まさかこの学校の関係者の人?」

 そんなわけないよね、と言外に言われているようで、春菜はムッとする。確かに、「この学校の」関係者ではないのだが。

「アタシは人に呼ばれて来てるの。そういうあんた達は何? 『見物』って……」

 春菜は「あ」と目を見開き、一瞬眉根を寄せてから、苦い表情で訊ねた。

「ひょっとして、《迷宮化》の様子を見に来たわけ?」

「ほかに何があるでゴザルか! 町の方は意外に大したことがなかったでゴザルからな。わざわざ足を運んだ以上は、より良いものを見たいと思うのは当然でござろう」

 背の低い、ややぽっちゃりした体型の男が、うさん臭そうに春菜の荷物を見る。奇矯な口調だが、背の高い方が特にツッコミを入れないところを見ると、普段からこの調子なのだろう。

「ご令嬢も、先ほど写真を撮っていたではないか。上から見ていたでゴザルよ」

「それが何? アタシの写真は研究用だし。帝都大の調査チームが使うやつだし。観光に来たわけじゃないし」

 調査チームと言っても、実質ふたりしかいないことは黙っておく。日本最高峰の大学である帝都大の名前を出したせいか、男達はやや気勢をそがれた様子だ。

「研究用?」

「え……それじゃお姉さん、もしかして帝都大生? すごいの?」

「違うし! アタシはただのボランティア。縁があってお手伝いしてるだけ」

「ボランティア!? なんと、そのようなお偉方でござったか! それがし、外見から誤解しておったでゴザル!」

 ぽっちゃり男が大げさに感動してみせる。感心しているのかバカにしているのか分からない物言いに、春菜は思わず拳を握った。口調のせいで侮られているような気しかしないが、ひょっとしたら本当にただ感心してくれているだけなのかもしれず、だとすればここで怒るのは非礼といえよう。

 とはいえ、何にせよ腹が立ったことは確かなので、このまま会話を打ち切って行ってしまおうかと思ったのだが――そこでふと、男達が口にしていた気になる言葉を思い出した。

「そんなことより! さっき言ってた『動画』って?」

「ああ……お姉さん、『ねこ動』のアカウント持ってる?」

 春菜はうなずき、携帯電話の『ねこねこ動画』アプリを起動する。

 『ねこねこ動画』は、元はその名の通りペット動画を投稿するためのサイトだったが、今では国内最大手の動画サイトのひとつだ。あまり凝った動画よりも、猫のちょっとした仕草、目についた綺麗な風景、一発ネタなどのショートムービーの投稿が多い。ランキングの上位に上がるのは、一昔前のバラエティでよく見かけた、海外の面白ホームビデオのようなものか、あるいは抜群にかわいいペットの動画だ。春菜も疲れたときなど、「ペット」カテゴリの人気動画をランダム再生して眺め続けることがある。

「『迷宮化』で検索してみてよ、すぐ出て来るから。『死ぬかと思った』ってやつと、『リアルダンジョン』ってやつね」

 どちらも三十秒ほどの動画だったので、その場で再生してみる。元が低画質の動画だったようで、携帯電話でも読み込みは早かった。

 まず一本目、『【迷宮化】死ぬかと思った』。

 いきなり激しく画面が揺れた。何かの建物の中だ。内装だけを見ればレトロな洋館だが、どうやら高校の教室らしい。机と椅子が並び、紺色の制服を着た生徒達が泡を食っている。

 しかし、これだけではただの地震動画だ。ニュースでよく見かける、「地震発生時の局内の様子」というやつ。

 動画が始まってから二十三秒のところで、何か大きな音が響く。爆発音にも聞こえるが、すっかり音が割れてしまっていて、何が起きたかは分からない。

 そして、動画のラスト五秒。

 カメラの先で、床にヒビが入る。ヒビは大きくなり、やがて深い亀裂となって、少しずつ広がり――四角い穴になる。その様子は、小さい頃に見たアニメを思わせた。ボタンを押せば、床のタイルがスライドして、秘密の隠し階段が現れる。

 思わず、最初から動画を再生し直す。

 顔には自動でぼかしをかけてある――投稿時にそういう設定ができるアプリは多い――ので、個人特定こそできないが、制服ははっきり見えている。

 パイピングを施した紺色のブレザーに、男女ともえんじ色のネクタイ、それに青みがかった灰色のスカートとズボン。これは確かに、宵宮高校の制服だ。きのう春菜が宵宮高校を訪れたとき、生徒がこの制服を着ているのを見た。この動画ではただの灰色に見えるスカートには、実際は細かい格子模様が入っている。

 間違いない。これは宵宮高校の生徒の手による撮影だ。

(みずのん、この動画のこと知ってるかな)

 春菜をここに呼んだ張本人、水之内広哉のとぼけた顔を思い浮かべる。

 続いて二本目の動画、『【迷宮化】リアルダンジョン探索』を再生。

 画面は暗い。カメラのほうで多少は補正をかけているようだが、そのせいか色合いやコントラストがやや不自然だ。カメラの持ち主は、レンズをせわしなく左右に向けながら、どこかを歩いている。

「ん……?」

 何が映っているのか、よく分からない。

 生徒達が歩いている。ひとり混じったスーツの女性は教師だろう。だが……彼らの居場所が、分からない。

 カメラに映っていないわけではない。壁が、階段が、柱が、手ぶれの多い映像の中で目まぐるしく流れていく。

 だが、そのパーツが、頭の中でひとつに繋がらない。

 一本目の動画は明瞭だった。あれは明らかに教室の中だ。

 しかし、これは、なんだ?

 内装からして、普通の建物とは少し違うのは確かだ。別の用途に使われていた洋館を改装したような、あるいは最初から古い洋館を模して造られたような、そんな建物であることは分かる。だが、だからといって、建物としての基本的な機能を満たすためには、そうそうアクロバティックな間取りにすることなどできない。

 階段の途中に忽然と立つ、天井に届かない長さの柱だとか。

 部屋と隣の部屋をつなぐ、外窓にしか見えないデザインの窓だとか。

 そもそも部屋を作り出すことすらしない、意味のない幅狭の壁だとか。

「マジすごいっしょ? こういうの期待してたんだよね! そんなに遠くないから、見てみようって思って来たんだけどさ、駅前なんか全然フツーじゃん? 市も動いてるっていうから、もっと大変なことになってると思ったのに」

 市が動いているのは、どちらかといえば水道管の破断に対応するためであり、そしてそれは多少の迷宮化よりもよほど住民を苦しめているのだ――というような言葉が喉まででかかったが、春菜は深呼吸してそれを呑み込んだ。被災者ですらない、被災者であったこともない春菜が、勝手に彼らの苦しみを代弁していいのだろうか。そんな思いが頭をかすめる。

 どうもさっきから、頭が混乱している。ひとつ深呼吸する。

 そして、できるだけそっけなく、告げてみる。

「それなら、学校入っても意味ないと思うよ。ここまで変形するのは、たぶん震源地の真上だけだから、せいぜい一棟か二棟だけでしょ。だいたい、普段使ってる校舎がこんなことになってたら、普通に授業なんかしてるわけないし」

「え、授業やってるでゴザルか? これで? 休校しないのでゴザルか?」

「やってるよ。アタシ、ここの生徒の聞き取り調査の手伝いに来たんだもん」

 しまった、という顔でぽっちゃり男が頭を掻き、背の高い方が「そうかー」と腕を組む。

「お姉さん、その聞き取り調査の結果って、どっかで見られるようになったりする?」

「そのうち帝都大が調査レポート出すと思うよ。あんた達、興味あるの?」

「興味がなかったら来ないでゴザルよ!」

「ホントに? どうしてもすごいのが見たかったら、検索して調べてみたらいいんじゃないかな。観光地みたいになってるところはあるし。有名なのは九州のショッピングモール跡地とかだけど、関東にもいくつかあるよ」

 たとえばコレ、と携帯の待ち受け画面を見せる。表示されているのは、春菜お気に入りの一枚。戦後しばらくして復元されたある城だが、界震の直撃を受けた結果として天守閣がふたつに増え、地元では「双子城」と呼ばれて親しまれている建物だ。

「あ、これは見たことあるでゴザル!」

「でしょ? ここは最近、町おこしのためにゆるキャラとか作ってガンバってんの! 中も入れるからオススメだよ。《迷宮化》したところを、改修してホントの迷路にしちゃってたりして超ウケるんだから!」

 ウキウキとそこまで喋ったところで、春菜はハッと口元を押さえた。ぽっちゃり男のほうに視線を向ければ、彼はおじいちゃんが孫を見るような優しい目でこちらを見ている。

「とっ、とにかく! もっと綺麗でカッコいい《迷宮化》ならたくさんあるから! すごいの期待してるんだったら、ここに来てもしょうがないよ! じゃあね!」

 そう口早に言って、荷物を掴むと踵を返す。歩き始めた春菜の背後で、男ふたりが「ツンデレでゴザルな」だの「実はいい人だよね」だのと脳天気に喋っているのが腹立たしい。

(とはいえ、せっかくだし――)

 唐突に思い立って、春菜は振り返る。

「あのさ、駅前にある市役所の出張所で、ボランティア募集してるの! 男手はありがたいから、興味あったら行ってみて!」

 普通、こんなことを言えば煙たがられるのだが――何となく、彼らなら誘ってみてもいいような気がした。喋っていてムカつきはするが、根は悪い人間に見えない。

「分かった! お姉さんも、がんばってね!」

 男ふたりがにこやかに手を振ってくる。笑顔で小さく手を振り返してから、何だか急に恥ずかしくなって、春菜は校門までの道を一気に駆け上がっていった。

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