007,一柱
「すでに気づかれているのかどうかが問題だ……」
人間には見つかっていない可能性もあるとドゥベは考えていた。黒髪の男が索敵などを担当していると思われたが、油断していただけなのか、カナサンに気取られる距離まで接近して、返り討ちにあいかけていたことが理由だ。レベルからしてもせいぜい中堅。腐っても神の索敵能力とは比べられまい。……比べられないようになったはずだ。
そもそも自分たちを追ってきたのかどうかもよくわからない。かといって他に連中がこの森に侵入してくる理由にも思い当たることなどドゥベにはないが。
「それよりエルフか……」
エルフとは森林人とも表記される眷属だ。
勢力としては七柱中、第四位といったところ。といっても、一位の魔物、二位の人間と比べたら三位から下はほとんど団子状態だ。……最下位の獣人を除いて、だが。
エルフは広範に生息圏を広げている魔物や人間とはちがい、ひとつの拠点を堅守した上で、少しずつ生息圏を拡大している。自分たちに有利な環境である森に暮らし、その森を広げることで勢力を伸ばしているということだ。
自分たちの領域である森に近づこうとする他眷属への警戒心は、すべての眷属のなかでもかなり強い。
故に、警戒して出てくる可能性は否定できないのだが、ドゥベのいる場所はまだエルフの領域外だ。警戒網には引っかかっていないと考えていたが、現にエルフが何人かでこちらに向かってきているようなのだ。
「人間の接近に感づいてる可能性は……」
ドゥベは思考する。仮に人間が自分たちを追っているとしよう。そしてエルフは自分たちの存在を感知したのだとしよう。
「あまり考えたくないな……」
だとして、両方が同じタイミングでやってくることなどそうないのではないか。自分たちを中心に考えるからおかしなことになるのだ。
昨今、エルフの森の拡張と、人間の生息圏拡大によってぶつかっている両者だ。エルフが人間の接近を知ったならば、迎え撃とうと出てくるのは必然。
自分たちがたまたまエルフの森の近くにいたことで両者に挟み撃ちにされているような錯覚を覚えただけのことで、実際には人間を迎撃しようとエルフが出てきたに過ぎないのではないか。
「だとすれば、隠れてやり過ごせるか……?」
「はふえうお?」
いつのまにか口をもごもごとさせていたカナサンである。
「なに食べてるんだ……」
「ん」
腰の袋から燻製肉を取り出して見せるカナサン。この前しとめた猪のものだった。
「あぐっ」
ドゥベが飛び上がって噛み付こうとすると、腕を上にあげて燻製肉を逃がす。
「おい」
「オベあいぶんのあうでほー」
頬を膨らませて喋る。たしかにドゥベは異空間に食料を保管している。その中には当該の猪の燻製肉もある。カナサンが持っているのは非常食として渡している分だ。
「ぬう、とにかく隠れるぞ」
「ふぁーい」
◇
「止まれ!」
森を歩く黒髪の男に向かって声が投げかけられる。男は立ち止まって両手を頭の横に上げた。
「へいへい。攻撃の意図はありませんよーっと」
男の視線の先には、ぼんやりと青く光る森が見えている。あれがエルフの森かと心中で思いながら、投げかけられた声に従順にしたがう。
「この先は我らの森だ。もし踏み入ろうと言うのならば、死を覚悟してもらおう」
前方の大樹の陰から、一人の人が姿を現す。全体に翠を基調とした服装をしている。二の腕や太ももの部分は覆われておらず、肌色よりもなお白い、うつくしい肌が露出している。
肌の色も人間離れしているが、外見的にいちばん人間とちがっているところといえば、やはり耳だろうか。たいしたちがいではないように思われるのは、黒髪の男が先日、獣人を目撃したせいだろう。
エルフの耳は人間とちがい、長く尖っている。種族に共通して金髪、翠眼という特徴もあるが、これは人間にもおなじ特徴を持つものもいないではないので、それほど見慣れないという感じはしない。
「ちょっと話がしたいんだが」
黒髪の男……ドカタは思う。見敵即殺しないとはずいぶん優しいんだなと。想定していたなかでも、かなり穏当な部類の展開だった。
「立ち去れ。我らは人間に用などない」
周囲の気配を探れば、なんとなく数人潜んでいそうな雰囲気がある。なかには弓でも構えているかのように、攻撃の意思を含んだ視線も感じていた。だが、おおまかにしか方向は特定できない。索敵スキルはそれなりのレベルにあるはずだったが、ロケーションの問題かもしれない。完全にエルフの領域というわけでもないが、ごく近しい位置の森なのだから、向こうの方がはるかに地理に明るく、慣れてもいるだろう。
なるべく気にしないことにして、努めて軽い声を出す。
「いやいや、こっちにはちょっとした用があるんだよ。まあ話くらい聞いてくれよ。べつに悪さしようってんじゃないんだ」
ドカタの言葉を受けて、エルフは目をつぶった。考え事でもしているかのようだ。
やがて目を開き、
「しばし待て」
と口にし、また沈黙した。
姿を現しているエルフとドカタの間には、そうそう一息では詰められない距離がある。少なくともドカタにその距離をどうにかして相手を害する技能はない。
加えて、相手を害そうという意思を見せれば、周囲から攻撃を受けるであろうことは容易に想像がつく。ゆえに黙って待つしか、行動の選択肢は存在しない。
長い金髪をサイドテールに結い上げたそのエルフは、遠目にもうつくしい顔立ちをしていると知れる。黙って佇んでいる様子を見ていると、まるで完成されたひとつの芸術作品のようでもあったが、あいにくドカタはそういったものへの造詣は深くなかった。その代わりに考えていたことといえば、もっと下世話な、場末の酒場でモテない男たちが管を巻いているときに話題に上るようなことだ。つまり……
(イノリはべつとして、あれってチゴより美人じゃね?)
とかそういった事柄だった。
「やあ、待たせたかな?」
「いや、チゴはどっちかってーとかわいい系……あ?」
三人の間に沈黙が降りる。いつのまにかエルフ? が一人増えていた。
「チゴっていうのはチゴユリのことかな?」
「え、あ」
新たに現れたエルフと思しき人物は、ニコニコとしていて言葉の調子も軽い。一見して取っ付きやすそうな印象を与える。ドカタにしても、見た目の印象から、やっと話せそうな相手が出てきて助かったぞ、という思いが湧き上がっていた。
だが、それを塗りつぶす圧倒的な畏怖が、ドカタの心中には渦巻いていた。
まず、いつのまに出てきたのか、まったくもって掴めていなかった。
ドカタは自分より強い人間になどいくらでも心当たりがある。スカウトとしての実力で考えても同様だ。自分より優れている存在など、人間に限らずともいくらでもいるということを知っている。だが、はたしてこの距離までまったくもって存在を覚らせずに接近してくるものがどれだけいるだろうか。たしかに余計なことを考えてはいたが、そんなことで警戒を怠るほどバカではないつもりだった。
(木の陰を渡って? ちがう。樹上から飛び降りて……んなワケねえ)
どうにか足の震えを抑えこんで、なんでもないふうを装って口を開く。
「あ、ああ。そうだよ。俺たちはチゴユリを連れてきたんだ」
俺たち、と他にも仲間がいることを知らせた。べつに兵を伏せているわけではないという主張だ。
始めから全員で顔を出さなかったのは、まず人間との接触を許してもらうためだ。
エルフは森の外に出ない種族だ。そして同時に、外に出たものを許さない種族なのだ。
「ふうん、人間がねえ。まあいいや、そういうことなら出ておいでよ」
声の指向性はある木陰に向けられていた。その木陰まではドカタを越えてかなりの距離があるはずだが、目の前のエルフと思しき女にはツイートやイノリ、チゴユリの存在が感知できているようだった。
声量自体はたいしたことがなかった。だからドカタは、
「呼んでも?」
と問うた。もともと、自分が合図を送らなければ三人は姿を現さない手筈だった。
「ん? だいじょぶだいじょぶ」
女が言う。ドカタが振り返ると、三人がそろそろといった様子で木陰から姿を現すところだった。
ドカタはあらためて、後から現れた方のエルフを見る。
長くさらさらとした金髪はチゴユリや傍らに立つエルフと同じものだ。前髪は下ろしているが、側頭部や後頭部の髪の大部分は編みこんで纏めていて、そこには花のような大きな飾りが付けられている。
服装はといえば、せいぜいスカートである点を除いて、先に姿を見せていたエルフのものと大差ない。特に、全体に緑を基調としている色合いはほとんど同じだ。
肌も、目の色も同じ。唯一目に見えるちがいがあるとすれば、
(耳がちょっと短い、か?)
生まれつき耳が尖っているんだよね、とでも言えば人間でもなんとか通じるくらいの耳の長さ。
身長は先に現れたものと比べれば少し小さいか。顔立ちはどちらかといえば幼め。だが顔面のレベルが高すぎてドカタにはもうよくわからなくなっていた。
そういえば、
(胸は小さめかな)
とドカタは思った。思ってしまった。
それはただ特徴として考えたものではなく、欠点として捉えたものだった。
次の瞬間、ドカタは落ち葉の降り積もった地面にしりもちをついていた。
「あ、あ……」
慌てて立ち上がろうとするが、腰が抜けてしまって落ち葉をかき回すことしかできない。
「ドカタ!」
ツイートがイノリとチゴユリを背後に残して駆け寄ってくる。
耳の短いエルフは一歩、ドカタに向かって近づいた。
「こ、れ、は」
控えめな胸部に両手を当てている。
「美点!」
さらに一歩を踏み出そうと足を上げる。その足が振り下ろされると、その一点を中心として不可視の衝撃が瞬間的に広がり、揺れがあったわけでもないのに、周辺の落ち葉が一斉に浮き上がった。
同時にドカタは意識を失い、ツイートは半ば無意識に剣を抜き放ち、盾を構えている。
背後ではイノリがチゴユリを抱くようにしてしゃがみこんでいた。