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大学生活

 あ、また……。


 軽い衝撃を感じて、唇がへの字になる。

「はい、脱輪三回目ねー」

 助手席の教官が呆れ声とともに、クリップボードにペンを滑らせる。

 これは、多分。延長教習だよね。

 ため息を押し殺しているうちに、信号のない交差点へと差し掛かる。

 左折だから、ウインカーと巻き込み確認……。


「一旦停止!」 

 うわっと。

 慌てて踏んだブレーキよりも先に、カクンと車が止まる。

 補助ブレーキを解除された感触が、右足に伝わる。

 

 あーあ。

 延長決定。



 『運転中は、もっと集中するように』なんて注意を受けて、今日の教習が終わった。

 教官から返された教習手帳。習得済みのカリキュラムがチェックされるページを、そっと開いてみる。

 今日で全部終われるかな、と期待していたけど。

 なんか全然、進んでない。


 全部クリアしないと、見極め検定を受けることはできないから。

 一回延長、いやもしかしたら二回かな。

 フロントで次回の予約と、とりあえず一回分の延長手続きをする。

 自動車学校の授業料も一応、両親が出してはくれているけど。延長は……言いにくい。

 バイト代から出すか、と思いながら財布を開ける。



 領収書を畳んでいると、軽く背中を叩く人がいた。

 振り返ると、同じサークルの二年生。確か……東海林さん、だったかな?

「ヨッコちゃん、今から?」

「いえ、終わったところで」

「のんびりしてたら、巡回バス出てしまうよ」

 『ほら、あと三分』と、自分の腕時計を指す先輩。

「今日はターミナル方面に乗るつもりなんです」

「あぁ、だったら十分後か」

「……覚えているんですか?」

「俺、ここでバイトしてるし」

 『使い走り、っていうか……まあ、雑用?』とか言っている東海林さん。


 『次の教習コマが始まる』と、案内の放送がはいる。

「お、じゃあ行くわ」

「あ、お仕事頑張って下さい」

「今からは、教習生の時間」

 そんなことを言いながら、右手に丸めるように持っていた教習手帳をヒラヒラと振って。東海林さんは配車コーナーへと通じる階段を降りて行った。



 そのあとも、時々教習の合間に東海林さんの姿を見ることはあったけど。

 改めて会話をしたのは、七月の下旬。サークルの納涼会でだった。


「ヨッコちゃん、あれから教習は進んだ?」

 ビールを注いでいるときにそんなことを尋ねられて、手がぶれる。

「おぉっとぉ」

「あぁぁ、ごめんなさい」

 慌てて手近なお絞りで、テーブルを拭く。

 『いいって、いいって』と、私の謝罪を軽くいなしながら東海林さんは、ズボンに滴ったビールを拭いている。

「で、どう? そろそろ路上?」

「いやー。最後の見極めがクリアできなくって」

 『縦列駐車が……』『S字クランクが……』などと、左斜め向かいに座った東海林さんと話していると、隣に座っていた広尾くんが、会話に寄ってきた。


「ヨッコちゃん、自動車学校、行ってるんだ? どこ?」

 ササミの梅肉ロールを取り分けてる広尾くんの質問に、東海林さんがカバンからパンフレットを出してきて宣伝を始める。

「へぇ。って、なんでパンフレットなんて持ち歩いているんです?」

 もっともな広尾くんの質問に、『それも仕事なんだろうな』と思いながら、取り皿の上のシザーサラダを口に運ぶ。


 広尾くんに説明しているのを聞いていると、どうやら東海林さんは、“社員割引”で安く教習を受けているらしい。

「うちの親、大学の授業料も出世払いで返せって、言っているから、教習代なんてとてもとても」

 高校を卒業する時に、まとまった金額の通帳を渡されて『衣食住以外は、自分でなんとかしなさい』と言われた、とか。

「そのかわり、人に迷惑を掛けることと犯罪以外なら、自分の人生だから好きにすればいいいって」

「うわ。すっごく信頼されてるんですね」

「信頼、かなぁ?」

 私の言葉に、苦笑いをしながら東海林さんがビールに口をつける。

「信頼だと思いますよ? うちの親だったら、絶対に言わないと思います」

「ま、男だから、って部分はあるだろうよ。兄貴にも同じことを言って、家を出したし」

 俺が親だったら、娘には言わないよ多分。

 そう言って、東海林さんはビールを飲み干した。



 そんな話をしつつ、お酒も進んで。

「な、これ見た?」

 そう言って、木下くんが一枚のチラシを出してきた。

 近所の神社で夏祭りがあるらしい。日取りは、八月の初旬、とか。

 

 帰省の予定が……としぶる子もいる中、予定のない一年生で一緒に行こうと、話が盛り上がる。

「女子は、浴衣!」

 叫ぶような広尾くんの声に、野島くんが

「広尾……お前、酔うとるやろ」

 と呆れた顔をする。

「俺? 素面、素面」

「どこがや。赤鬼みたいな顔、しとる奴の言葉と違うわ」

 突っ込む野島くんの言葉通り、広尾くんはいつのまにか真っ赤な顔をしていた。髪質のせいか、短い髪は普段からワサワサと立ち上がっているし。

 ただまあ。いつも笑っているような垂れ目が、若干、鬼っぽさを和らげている、かな?


 そんなことを考えながら、ハンペンのピザをかじっている間に、話はトントンと進んでいて。広尾くんの提案通り、女子は浴衣を着て行くことに決まった。

 

 うーん。大学生活って、こんなこともあるわけか。

 帰ったら実家に電話して、浴衣を送ってもらわなきゃ。



 楽しく飲み会を終えた帰り道。

 車のめったに通らない裏通りを、ぞろぞろ歩く。


 私と亜紀ちゃんの前を、えっちゃんが野島くんと並んで歩いていた。

 『浴衣で電車は大変ちゃう?』なんて、気遣う野島くんに隣の鵜宮(うのみや)市から通って来ている えっちゃんは『慣れているから大丈夫』と笑ってみせる。


「野島、頑張るなぁ」

 後ろから聞こえた声に振り返る。

 私と目があった広尾くんは、何かをごまかすように微笑んで、ひょいと隣に並んできた。

 何とは無しに彼を見上げて。何かを見つめるその視線をたどると、数メートル先を並んで歩いている えっちゃんたちに行き着く。

 頼りない街灯に照らされた広尾くんが、眩しそうに目を細めたのは、きっと。


 酔いが見せた錯覚。



 実家から浴衣を送ってもらって、着る練習を何度かして。

 それでも自信がなかったから、『一緒に着付けをして』と亜紀ちゃんに頼み込む。

 亜紀ちゃんは、

「ヨッコちゃんのところの方が、待ち合わせの駅まで近いから、ラッキー」

 と言って、私の部屋まで来てくれた。


 二人で、ああだこうだ言いながら、なんとか形になった。

 少し早めだけど、下駄を鳴らしながら駅へと向かう。



 待ち合わせの目印、大時計の下。

 一番乗りは、野島くんと えっちゃんだった。

 この二人は時間に几帳面な性格らしく、ぎりぎりに来る姿を見たことがない。逆にルーズなのが、総合大学の……米山くん。彼が私たちより早く待ち合わせに来たのなんて、新歓の時だけだと思う。


「えっちゃんたち、いつも早いねぇ」

「あ、ヨッコちゃん、亜紀ちゃん。こんばんは」

 後ろから声をかけた私を振り返って、えっちゃんが綺麗なお辞儀をする。

 夜会巻きのアレンジのようなまとめ髪に挿された簪が揺れて、コンコースの照明を弾く。色白の手がそっと、簪に添えられる。 


 はあー。なんだかすごく……大人っぽいなぁ。


 広がりやすい癖のある私の髪は、普段から無難にまとめるしかなくって。ささやかに、片編み込みを入れたのが、“いつもと違うところ”ってお団子髪を、ちょっと引け目に感じる。

 それに、

「えっちゃんって、色が白いから、縹色(はなだいろ)が映えるねぇ」 

 羨ましさが滲んだ自覚のある私の言葉に、えっちゃんは

「ヨッコちゃん“縹色”がわかるの?」

 と、細い目を見開く。

 そんな彼女につられて。つい、私も目をいっぱいに開く。

「分かるって?」

「浴衣を仕立ててくれた祖母が、『紺じゃなくって、縹』って言うのだけど、違いがわからなくって」

「あ、ゴメン。それは私もわからないかも。ただ、高校生の頃に読んだ本か何かで、藍色の別名だとかって知ってね。で、なんとなく、カッコイイ気がして」

 こういうところでこそ、使う言葉じゃない? って、背伸びをしてしまった。


 

 女子三人で、互いの浴衣姿を褒めあっていると、広尾くんがやってきた。

「えらい早いやん」

 挨拶も抜きに言った野島くんの言葉に

「いや、普通だろ? って言うか、お前こそ、早すぎ」

「当たり前やん。女の子、三人もこんな目立つ所に放ったらかしにしたら、連れていかれてまう」

「幼稚園児じゃないんだから、それはないって」

「わからんで? 誰かのせいで、めっちゃ綺麗になっとるねんから……」

 と、言葉のラリーが始まる。


 野島くんの持つ、人懐っこさはいつも、周囲を彼のペースに巻き込む。

 その証拠のように、いつも物静かな えっちゃんまでが、白い手を口許に当ててクスクスと笑っている。

 そんな彼女を見る男の子二人の表情が、まさに“相好を崩す”って感じなのは……彼らの目が、垂れ目だからだろうか。



 この日もやっぱり、米山くんが最後に来て。

 総勢十人が、地元の氏神さまを目指して移動を始める。

 下駄のカラコロという音を通奏低音に、あちこちからはしゃいだ笑い声。私もその中の一人になって、隣を歩く亜紀ちゃんや広尾くんと、他愛ない会話を繰り広げる。



 鳥居をくぐる時に、軽く立ち止まる。口の中で小さく『お邪魔します』と呟いて。

 ちょこんと下げた頭を上げた時、半歩前でこっちを見ている広尾くんと目があった。


「ヨッコちゃんって、鳥居をくぐる時に挨拶をする人なんだ」

「黙って通ったら、不法侵入みたいでしょ?」



 小学校高学年、だったと思う。

 父方の田舎で初詣に行った時。何気なく通り過ぎた私を、後ろから呼び止めたのは、小さな頃から苦手に思っていた叔父だった。

 『美帆子の所は、余所の家に黙って入るのか』

 そんな叔父の言葉になぜか私は、『お母さんが馬鹿にされた』と感じた。

 

 鳥居や参道の真ん中は通らないこと。

 鳥居をくぐる時には、一礼をすること。


 そんな叔父の教えを、噛んだ唇から滲んだ血の味とともに、記憶に刷り込んだ。

 二度と、お母さんを馬鹿になんかさせない。



 それ以来、神社やお寺の敷地に入る前には必ず、挨拶をしている。

 参道の真ん中を通らない、というのは、今日みたいな人の多い日には守れないけど。



 苦い思い出に、唇の内側を噛む。薄く粘膜の剥がれる感触に、『明日は、口内炎』と思いながらも、やめられない。

「不法侵入か、なるほど」

 聞こえた声を見上げるようにして。自分が俯いていたことに気付いた。

「礼は尽くした方が、神様だって気分いいよな」

「あー、うん。そうよね」

「バイトをしてても、感じのいい客にはサービスしたくなるし」

「広尾くんって、何のバイトをしてたっけ?」

「本屋」

 駅前のほら……という言葉に、商店街を思い浮かべる。


 パン屋、花屋で……本屋。だったかな?


「本屋でサービスなんて、あったっけ?」

「栞を二枚つけるとか」

「映画の割引が付いていたりする……」

「そうそう。あとは、カバーを美しく掛けるとか」

 うーん。それは、サービスか? 嬉しいかな?


 私が立ち止まっている間に数歩先へと歩んでいた亜紀ちゃんを追うように、少し足を早めて隣に並ぶ。

「ヨッコちゃん、何か気になるお店があった?」

「うーん……」 

 亜紀ちゃんの問いを、笑いにごまかす私の周りでは、他の友人達も立ち並ぶ屋台を覗きながら、何を買うかと声高に相談している。


 『買い物は、お参りのあとでしょ? お参りの“ついで”だからね』

 お参りの作法はともかく、小さい頃から両親に言われていた事が、頭を過ぎって。後ろめたい気持ちを抱えながら、亜紀ちゃんや広尾くんと屋台の話をするけれど。

 心から楽しんでいるわけじゃない会話は、いつになく疲れてしまって。


 軽くついたため息を、隣の広尾くんに拾われた。


「ヨッコちゃん、疲れた?」

「あー、うん。大丈夫」

「靴擦れとか、大丈夫? 亜紀ちゃんも」

「へーき、へーき。絆創膏も持って来ているし」

 広尾くんの心配そうな声に、亜紀ちゃんの元気な声が返る。私も手にした巾着の中身を思い浮かべて、『絆創膏、よーし』とチェックしたところで、前を歩く総合大の恭子ちゃんがたちどまる。

 手水舎が近づいて、辺りが混み始めたらしい。


「えっちゃんも?」 

 振り返った広尾くんにつられるように、後ろを向くと

「あの……はい?」

 戸惑い半分の返事をして顔を伏せる えっちゃんと

「広尾、何の話? 全然、脈絡が見えへん」

 口を尖らせた野島くん。


「いや、浴衣で疲れてないかな? って」

「なんで今更……。やっぱりお前、あの時、酔うとったやろ」

「ゴメン、ゴメン。三人とも、ゴメンな」

 野島くんに突っ込まれて、“ゴメンの大安売り”をしている広尾くん。その背中を軽く叩いた野島くんは、えっちゃんへと向き直る。

「で、えっちゃん、ホンマに平気?」

「はい、大丈夫ですよ?」

「我慢したら、アカンで?」

「あ、はい」

 小さく頷いた えっちゃんを見て、しつこいほど確認していた野島くんの顔が綻ぶ。


 『えっちゃんは野島の担当』

 そう言ったのは確か……広尾くん、だったっけ。


 そんなことを思い出しながら目をやった広尾くんは、なんとも表現しにくい顔で二人のやりとりを眺めていた。

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