新しい友人たちと
「ヨッコちゃん、あそこにほら」
午前中の講義が終わって学生食堂に入った所で、亜紀ちゃんが私の腕を軽く叩く。彼女の指し示すさきで、ヒラヒラと手を振るのは野島くんとペコリと頭を下げる えっちゃん。
二人がキープしてくれていた座席にカバンを降ろして。
「ヨッコちゃん、広尾は?」
「購買に寄るって」
「あ、そうなんや。木下も……」
野島くんとそんな話をしながら、財布を手にする。
歓迎会の数日後には、えっちゃんとも一緒に講義を受けたり、時には同じサークルの六人でお昼を食べたりするようになった。
もう一人のメンバーの木下くんも広尾くんたちと入学式以来の友達で。歓迎会で彼を見た記憶が私にはなかったけど、亜紀ちゃんの向こう隣りに座っていたらしい。
「来週、だったっけ? テニスって」
ラーメンセットのチャーハンを崩しながら木下くんが言った言葉に、相槌を打った広尾くんが
「あー、ラケット取りに、実家に戻らないと……」
と、呟く。
そのまま、バイトがどうとか独り言を言っていた広尾くんは、親子どんぶりを食べる手を止めた。
「ヨッコちゃんたちは、ラケット、持ってる? 無いなら、予備のも取ってこようか?」
「ううん。先週、亜紀ちゃんと買いに行ったから、大丈夫」
「あー。そうか。うん。えっちゃんは?」
「私もこの前……」
遠慮がちな えっちゃんの声に、野島くんが
「えっちゃん、どこで買うた? 俺も買わなあかんけど。店、知らんねん」
「ごめんなさい。家の近くだから……」
「市外、やんなぁ。亜紀ちゃんたちは?」
話をいきなりふられた亜紀ちゃんが、ジェスチャーで野島くんに“待て”をして。お湯のみに口をつける。
胸元をトントン叩いて、ご飯を詰まらせたらしき喉をなだめる間、私も頭の中でお店までの地図を書いてみる。
「西のターミナル駅の近くでね」
説明しだした亜紀ちゃんの話の腰を、
「西のターミナル? って、どこ?」
野島くんが、ボキリと叩き折る。
「ちょっと、待て。そこから説明が要るのか?」
「だって俺、こっちの人間やないもん」
「それでもな、一ヶ月住んでるだろうが」
木下くんと小島くんが言い合う間に、広尾くんがカバンから取り出したルーズリーフにさらさらと路線図を描く。
「いいか、野島」
「うん?」
「最寄り駅から三つ西に行ったところが、“西のターミナル”な」
「……東のターミナルもあるん?」
「東は、市役所のあるあたり」
「へー」
そんな解説を挟んで、私たちが行った店を説明して。
野島くんは、大切そうに地図の書かれたルーズリーフをファイルに片付けた。
五月の連休、市営のコートを半日借りてのテニスがあった。
それまでにもう一回、飲み会があったので、総合大学の子もなんとなく顔が分かってきていた。名前の方は微妙だし、先輩たちの顔も怪しいけど。
「完全に初心者、ってどのくらい居る?」
そう尋ねた先輩の言葉に手を挙げた四、五人が、別グループで練習することになったらしい。
とにかく“テニスの経験”があれば……ということで、ずっと軟式だった私も経験者グループでゲームすることになった。
初心者のえっちゃんは練習グループで、中学校で軟式の経験がある亜紀ちゃんはゲームグループ。
くじ引きで組んだダブルスで、ゲームが始まる。ルールの違いは、その都度説明してもらう、のはいいとして。
「きゃー。すみませーん」
どうして、こう……ホームランばっかり?
一年近くラケットを振ってないから、フォームが狂ったのか。それとも、新しい硬式用ラケットとの相性が悪いのか。
相手ペアの先輩が飛んでいったボールを拾いに行っている間に、素振りをしてみる。
あの辺りでバウンドしたボールが、こんな軌道で飛んで来るから。インパクトは膝からこのくらいの距離で。
うーん。
インパクトの角度か?
イメージトレーニングのようなことを一人で繰り返しているうちにボールが戻ってきて、ゲームが再開される。
よし、次こそ。
って、また。
アウトかぁ。
「ほい、お疲れ」
一ゲームを終えて、日よけ下に設置してあるベンチで休憩していると、にゅっと目の前にスポーツドリンクの缶が差し出された。
顔を上げると、広尾くん。
このメーカーのスポーツドリンクは、なんとなく薬っぽい味がするから。
ちょっと苦手なんだけど……。
そう思いながら受け取った私の隣に腰を下ろした広尾くんが、自分の分の缶を開ける。私のめちゃめちゃなゲームの審判をしていた彼は、喉を鳴らしてスポーツドリンクを飲む。
その、いかにもおいしそうな音を聞いていると、喉の渇きを実感して。
同じようにプルタブを開けて、口をつける。
高校生で初めて飲んだ時に感じたのと変わらない、薬っぽい味が喉を通っていく。
胃袋の形に、液体が広がって。体に浸み込むような感触。
ドリンクに含まれた“薬っぽいもの”が体に吸収されるようなイメージに、なんとなく元気になった気がする。
うん。薬だと思えば。飲めなくもない、な。
私がそうやって、喉の渇きを癒している間。三面借りたコートの一番近くでは、亜紀ちゃんと木下くんのペアが、先輩男子と総合大の女子のペアを相手にゲームをしていた。審判は、さっきまで私とペアを組んでいた先輩と……総合大の男の子? かな?
亜紀ちゃん。がんばれ。追いつけ。
あー。もう一歩が遠かったかぁ。
「亜紀ちゃんは、ブランクが大きいか」
隣で、広尾くんの声がする。
「うーん。高校時代は、マネージャーだったから……」
「ヨッコちゃんは、軟式?」
「あ、うん」
会話の合間に、転がってきたボールを投げ返す広尾くん。
その姿を横目で見ながら、“薬ドリンク”に口をつける。
「軟式から硬式に変わったときって、フォームの修正が大変だよなぁ」
「フォーム? 修正?」
「さっきのゲーム、ホームランばっかりだっただろ?」
面目ない。
審判していて、つまらなかっただろうな、と思う。
「軟式と硬式って、根本的にフォームが違うから」
「そんなもの?」
「……ヨッコちゃん、ラケット握ってみな」
言われるまま飲みさしの缶をベンチに置いて、横に立てかけていたラケットを握る。
「ほら、そこからして軟式持ち」
そう言って、私の正面に立った広尾くんがラケットヘッドに手を掛ける。
軽く掛けられた力に逆らわないように握る力を緩めると、ラケットがくるっと回転させられて。
ちょうど包丁を持つような形で止まる。
「硬式持ちは、こうやって薄く持つ」
「うーん」
「バックも、軟式打ちだったし」
「頭では、わかってるんだよ? 面が違うって」
「うん。でも、軟式持ちだったら、手首が負けそうな感じ、するだろ?」
座ったまま、軽くラケットを振ってみる。
フォア、で。
バック?
あぁ、これなら裏で打てる。
というか、裏でしか打てないな。
「バックの時は、若干右手をずらす感じで……左手が、こう」
今度は手の方を握られて、グリップを修正される。
なるほど。左手で包丁を持つ感じだから……右手の角度が少し、外にずれるのか。
右手でラケットを握ったまま、左手で缶を持つ。
グリップを馴染ませるように、リズムをつけて右手に力をこめる。
「あー。走った、走った」
汗を袖で拭いながら木下くんが戻ってきた。その後ろから、亜紀ちゃんも。
「……なんか二人で、良いもの飲んでる……」
疲れきった亜紀ちゃんの声に、自分がずる休みしている気分になって、ちょっと焦る。
「どこにあったの?」
「あそこの入り口に……」
亜紀ちゃんの質問に答えながら広尾くんが指さしたのは、五面分のコートをぐるりと囲むフェンスの、一角に作られた出入り口横にある自販機。
首元の汗をタオルで押さえていた亜紀ちゃんが小銭入れを手に取るのを見て、広尾くんにお金を払ってないことに気づいた。
最後の一口を飲みきって、私も貴重品入れのミニバックに手を伸ばす。お財布を取りだしたところで、怪訝そうな広尾くんの声に呼ばれる。
「ヨッコちゃん、足りない?」
「ううん。広尾くんに、ジュース代払ってないなって」
「いいって、それくらい」
笑いながら空いた缶を握り潰した広尾くんは、
「女の子は、おとなしく奢られてなさい」
なんて言って。
そのうえ、『ほら、ゴミ捨ててくるから』と、私の置いた缶に手を伸ばす。
いいのかなぁ? おとなしく、奢られてて?
「わーい。広尾くん、ありがとう」
亜紀ちゃんが、おどけた声を出しながら私の隣に座る。小銭入れを脇に置いて。
「女の子の分は、奢ってくれるって?」
胸の前で軽く両手を合わせる。
そんな亜紀ちゃんのおねだりに、軽く頷いた広尾くん。その横で木下くんが、
「わーい。広尾くんありがとう」
と、亜紀ちゃんのまねをする。合わせた両手をクネクネ動かす姿に、広尾くんは渋い顔をして。
「えー。“浩二ちゃん”もぉ?」
「えー。いいじゃなぁい? えっちゃんの代・わ・り」
「えっちゃんはぁ、最初から野島くんの担当でしょぉ? 二人で仲良く初心者グループだしぃ」
なんだか珍妙な二人のやり取りに、亜紀ちゃんとお腹を抱えて大笑いする。
「じゃぁ、木下は……パシれ」
私たちに釣られたように笑いながら広尾くんは、木下くんの手に小銭を数枚落とす。
「ラジャー」
空いた手で敬礼した木下くん。
亜紀ちゃんに好みのジュースを確認してから小走りに自販機へと向かう後ろ姿を、三人で見送って。
何気なく見上げた広尾くんは。
額に翳した左手で日差しから目を守るようにしながら、遠い所を眺めていた。
その視線の先には。
さっき話題にのぼった野島くんとえっちゃんが、
二人で並んで素振りをしていた。