入学
片思いの数にも入らないような恋だけを重ねて、私も大学生になった。
第一志望だった経済の単科大学の入学式の日。一人で校門をくぐった私は、横から声をかけられた。
県外の自宅からでは通学が無理な距離の大学だから、知り合いが居るなんて、思っていなかったけど。
同じ高校の硬式テニス部の子、だ。たしか。
「軟式テニスの……横、田、さん?」
確認するような声に、頷く。
「あー、良かった。知っている子が居て」
ほっとした顔で笑う彼女に、
「硬式テニスのマネージャーさん、よね?」
「そう。坪内、っていうの」
よろしくー。
そんな風に挨拶を交わして、なんとなくそのまま一緒に入学式の行われる講堂へと向かった。
翌日の新入生ガイダンスでも、坪内さんと一緒に座って。
お昼ごはんを食べるころには、『ヨッコちゃん』『亜紀ちゃん』と呼び合うようになった。
「で、亜紀ちゃんはサークルとか部活とか、するの?」
オムライスの片隅を崩しながら尋ねた私に、亜紀ちゃんはバッグの中から、チラシを取り出した。
「なんかいっぱい、もらっちゃったんだけど」
「あー。私ももらった」
校門前で待ち構えていた上級生らしき人たちに、断る間もなく持たされた、って感じで、何枚ものチラシを配られた。
どれに入ろうか、なんて相談をしながら、スプーンを口に運んだ。
私たちは結局、テニスとスキーをメインにしたサークルに入ることに決めた。
互いにテニスはしていたし、隣の総合大との合同サークル、ってところに魅力を感じた。
新しい出会いから、今度こそ。
出遅れない恋がしたい。
本格的に授業が始まって、一人暮らしもそれなりにリズムが掴めてきた四月の半ば。
サークルの新歓コンパが開かれると、連絡があった。
土曜日だったその日の講義のあと、亜紀ちゃんと一緒に集合場所の総合大の校門へと向かう。
どんな子がいるのだろう。
お酒って、おいしいかな?
亜紀ちゃんと二人、妙にはしゃぎながら、角を曲がった。
次の信号を渡ったら、そこが校門。
「あのぉ」
名簿らしきものを手にした女性に声をかけてみる。
「経済大の新入生?」
と、振り返った彼女に尋ねられて、小さくうなずくと、
「坪内さんと、横田さんね?」
いきなり名前を当てられた。
この人、エスパー?
なんて、馬鹿なことを考えながら返事をすると、ニッコリと微笑んで手にした表にチェックをいれた彼女は、辺りにたむろしている集団の頭数を数えはじめた。
あ、なんだ。
単純に、私たちが最後の二人、ってことか。
「二十八、と」
数え終えた女性が声を張り上げて、この場のリーダーらしき男性に全員が揃ったことを告げる。
三十人弱、って……。
今更ながら、集まった人数に驚いているうちに、その集団が移動を始めた。
連れて行かれたのは、いわゆる居酒屋というところで。前の人の後ろについていくようにして、奥の座敷へと向かう。
上級生らしき人たちが、上座の方から座っていく。
亜紀ちゃんと二人、どうしようかと戸惑っていると、さっきの女性が、
「ほら、どこでもいいから座っちゃって。どうせ、飲みだしたら移動するから」
と言いながら、末席に腰を下ろす。釣られるようにしてパラパラと席が埋まる中、亜紀ちゃんと隣同士に座った。
乾杯のあと、簡単な自己紹介があって。
亜紀ちゃんとは逆隣に座ったのが広尾くんで、その向かいが灰島さん。私の向かいが野島くん、って、所まではなんとか覚えられた。三人とも、私と同じ経済大の一年生。
どうやら、その広尾くんと野島くんが友達同士らしくって。間に挟まれたような感じで、私も会話に巻き込まれる。亜紀ちゃんとは、なんとなく会話のグループが離れてしまった。
「俺、高校時代はサッカーしとったから。テニスってしたことないねん」
野島くんが私のグラスにビールを注ぎながら言う。
「スキーもなぁ。一応、市内に人工スキー場はあったけどなぁ。ほとんどしたことないわ」
方言交じりの言葉で話す野島くんの隣に座る灰島さんは、雰囲気に飲まれたような顔で、さっきからほとんどしゃべらないし、箸も進んでいない。気がする。
「灰島さん。食べてる?」
「あぁ……はい」
それだけの会話で赤面する灰島さんに、ビール瓶をテーブルに戻した野島くんが
「このジャガイモと明太子のやつ、うまいで。入れたろか?」
と、世話を焼く。
灰島さんが、戸惑っている間に、さっさと取り皿に入れる野島くん。
なんていうか……野島くんって、マイペースだ。
「ね、高校生のときって、なんて呼ばれてた?」
そう、私たちに話しかけてきたのは、広尾くんの向こう隣に座った上級生。名前が……だめだ。忘れた。とにかく、いかにも“女子大生”って、雰囲気のきれいなお姉さんだ。
最初に、と指名を受けた広尾くんが、
「ストレートに、苗字呼び捨てっす」
と、お絞りで指先をぬぐいながら答える。
「ま、ごく普通だな」
そんな感想をこぼしたのが、灰島さんの隣のひと。
この人は、たしか……そう。大きな“大山さん”だ。
「横田さんは?」
大山さんにビールを注いでいた“きれいなお姉さん”先輩、に尋ねられた。
「ヨッコです」
「ようこちゃん?」
いや。先輩。さっき自己紹介しましたよね?
『横田 美帆子です』って。それに、“ヨコタ ヨウコ”って、語呂が良すぎるような。いや、悪いのか?
そんなことを考えながら、訂正を入れて。
ああ、なるほど、って返事に頷きながら、チーズフライへと手を伸ばす。
お、お皿がこっちに来てくれた。
隣の広尾くんが、チョイとお皿を寄せてくれたらしい。
軽く目礼をして、取り皿へと三つほど乗せた。
「ユキって」
次に指名された野島くんが、妙にかわいらしい愛称を答える。
いやー。
「かわいいー」
なんて、つい声に出してしまった。
普段の私、こんな反応しないんだけど。
もしかして……酔ってる?
酔いを自覚して、恥ずかしくなって。
思わず、口元を両手で覆う。
最後に残ったみたいになった灰島さんが、答えを促されて顔を伏せた。肩口から流れた黒髪が、顔を隠す。
そして、か細い声が子供時代に放送されていた世界名作アニメの主人公の名前を呟く。
野島くんと同じ愛称を持つ子ヤギと戯れる、赤いスカートの少女が頭をよぎる。
この二人の名前、ペアで覚えたら、覚えやすい。
それに、私の“ヨッコ”と同じく、苗字が由来らしき愛称に、親近感を抱く。
そんなことを考えていると、野島くんが、
「坂口さん」
と、声をあげた。
「なあに? ユキちゃん?」
笑いながら返事をしたソプラノに、改めて先輩の名前を覚えなおす。
その間に、野島くんは『アニメ原作の続編で主人公が幼なじみと結婚するのが、“子ヤギのユキ”としては面白くない』と、灰島さんの愛称に文句をつける。
そして野島くんは、代替案のように灰島さんのことを『えっちゃん』と呼んでみせた
その様子を見ていた広尾くんが、
「さっきから、おまえずっと『えっちゃん』って呼んでるな。前からの知り合いか?」
って空になったグラスをテーブルに置きながら尋ねる。
野島くんは、
「いーや。さっき初めて会うたけど。皆が来るまでに、交流を温めてん」
野島くんは目を細めるように笑いながらイカの炒め物に手を伸ばす。そして『早いもん勝ち』がどうとか言いながら、大山さんや灰島さんの取り皿にも取り分けると、私に向けて取り箸を差し出す。
首をかしげるようなしぐさが『使う?』って尋ねるけど。まだ取り皿の上に春巻きが乗っていた私が、首を振って見せると、
「広尾、使う?」
と、尋ねてる。
「いや、俺、こっち」
と、広尾くんの手が目の前のビール瓶に伸びるのを見て。
「あ、注ごうか?」
「ヨッコちゃんが?」
“ヨッコちゃん”。
男子から、そんな風に呼ばれたのは、初めて、だ。
こそばい思いに首をすくめるようにして、ビールを注ぐ。
「だいたい、俺、こっちに知り合い、おらへんで? 受験で初めてきた街やもん」
さっきの話の続きらしい、野島くんの言葉に、微かな違和感。
「あれ?」
「うん? どないしたん?」
小さく疑問の声を上げた私を、野島くんが覗き込むようにする。
「野島くんと広尾くんって、前からの友達じゃないの?」
「ああ、入学式で隣の席に座ったのがきっかけ、だよな? 野島?」
「そうやったなぁ。そのまま、なんとなく一緒に居る感じ」
なるほど。私と亜紀ちゃんのような感じ、か。
「ヨッコちゃんは、このあたりの出身?」
私のグラスにビールを注ぎながら、広尾くんが尋ねてくる。
「中学は、この県だけど。父親が転勤族だから、高校は県外」
「へぇ。じゃあ、坪内さんとは一緒に受験?」
「ううん。偶然、入学式で遭って……」
すごい確率だな、と笑う広尾くんの手が、ぐっと自分のグラスをつかむ。手の甲に浮き出る筋。
男の子の手、だなぁ。
「どうかした?」
「……広尾くんて、手、大きいねぇ」
「そうか?」
普通、だと思うけど。
そう言ってグラスを傾ける。
咽喉仏が、グリっと動く。
なんとなくそれ以上は、見てられなくなって。
そっと、目をはずして、私もビールに口をつける。
さっきまでよりもなぜか。
ほろ苦い、“大人の味”に感じた。
未成年の飲酒は、法律違反です