卒業
三年生の夏休みが終わると、そろそろ就職活動の影が見え隠れしてくる。
どんな業種で? どこの街で?
そんなことを考えながら、就職課で情報を集める。
東京や大阪、名古屋といった大きな都市で……って、憧れはないし。
実家は、住み慣れた街とは言えないから、″戻る″って意識にはなれない。
そう考えると、この街で働くのが、妥当な線か。
となると、求人票のこことか、あれとか。あとは、この辺り……かな?
分かったような、分からないような。
どこかアヤフヤな感じを抱きつつ、未来への道を探る。
そして四年生の夏休みにはいる頃には。ほぼ進路が決まりつつあった。
私は、当初考えていたように、地元の企業から内定をもらった。
そして、ひーくんはといえば。
「え?」
聞かされた会社名を、聞き返す。
誇らしげに彼が改めて告げたのは、そこそこ大きな会社で。恐らく、父の勤め先と同じくらいのレベルで、全国展開をしている会社だった。
転勤の可能性について恐る恐る尋ねた私に、ひーくんは
「そりゃ、あるだろうな」
と、こともなげに答える。
『東海林さんの自分探しじゃないけど。環境が変わることで得られるモノも、あるだろうし』なんて言っているのは、大学に入るまで、引っ越しをしたことのない彼だから、だろうか。
転校を繰り返した私からしたら、環境の変化は人間関係の断絶とイコールで。
これがつまり、自然消滅の予兆かと、去年、亜紀ちゃんたちと行った占いの結果が、ずしりと肩に乗った気がした。
だからといって。内定を断って、なんて言えない。
それは、『引っ越しなんて、嫌だ』と言う余地のなかった子供時代と、同じことだった。
卒業まで、半年と少し。
次の春に、互いがどうなっているのかわからないまま、今年も夏合宿の日がやってくる。
「えっちゃんは、公務員かぁ」
ペンションまでの道のりを、互いの近況を話しながら歩く。
サークルを引退したら、納涼会も夏祭りもなくって。ひーくん以外の友人とは、夏休みに入って以来、顔を合わせてなかった。
「らしいと言えばらしいよな。堅い仕事で」
隣を歩くひーくんの言葉に、私も相槌をうつ。
確かに、市役所で働く えっちゃんっていうのは……想像に難くないな。
「ええっと。そう?」
首を傾げた えっちゃんが、首筋にミニタオルを当てて、汗を拭く。
今年は木下くんが出してくれた車で、大量の差し入れと私達の荷物を運んで。乗車定員、って問題は、皆で歩くことでクリアする。
あれだけ苦労してとった運転免許証は、今では立派に身分証明書として“活躍”している。去年の誕生日には、無事故無違反で初めての更新を迎えた。
つまり……ペーパードライバー。
自転車と公共交通で事足りる街に住んでいたら、運転の必要は感じないし。車を買う必要はもっとない。
まあ、履歴書の賑やかし、には役立ったかな。
駐車場から、荷物を運んで、後輩たちに差し入れを配る。
一通り行き渡ったところで、二年生の女子が野島くんの不参加を尋ねてきた。
「今日は、打ち合わせと……」
えっちゃんの答えに、がっかりした面持ちで仲間の所へ帰っていく後輩の背中を見送る。
木下くんの言う“ツチノコ頻度”で飲み会に顔をだす野島くんのことを、後輩の女の子たちは『今日は、来ますか?』って えっちゃんの所へ聞きにくる。
そんな“ファン”に囲まれた二人だけど、えっちゃんを押しのけて彼女になろうとするような子がでてこないのは、やっぱり彼らの“熱量”の賜物、だろうか。
そんなことをつらつら考えているうちに、友人たちの話題は野島くんのデビューのことへと移っていた。
織音籠は来年の春、大学の卒業を待ってのデビューが決まったらしい。
「じゃぁ、えっちゃんたち遠距離になるの?」
亜紀ちゃんの質問に、
「どうだろう? このまま、こっちに居るようなことも言って……だけど……」
答えかけた えっちゃんは、途中でふっと言葉を切ると、そのまま黙りこんでしまった。
手にしたオレンジジュースを見つめたままで動かなくなった えっちゃんを呼んでみる。
我に返った様子でプルタブに指をかけて。
えっちゃんの口から、小さな悲鳴があがった。
「切った?」
驚かせてしまったかと、えっちゃんの顔を覗き込む。俯き加減だった顔をあげた えっちゃんは、怪我をしたらしき指を吸いながら首を振る。
「ひゅめ、はがひてひまっへ」
「え?」
「爪、はがしてしまって」
言い直す間にも、じわりと爪の間に血が滲んだのが、私にも見えた。
手当てのためにペンションへ戻ると言う えっちゃんに付き添って、私もテニスコートを後にする。
「えっちゃんは、もしも野島くんと遠距離になっても平気?」
白い指先に消毒液を吹きかけながら、そんなことを尋ねてしまったのは、多分。
見えない将来への不安のせい。
「ええっと……」
言葉を探すように、言いよどんだ横顔に、不安の色が見えた気がして。
『ああ、えっちゃんも……』と、妙な安心を覚えてしまった。
その安心が、心の堰に小さな穴を開けたらしい。
「世の中の人たちは、どうやって乗り越えてるのかなぁ」
絆創膏を一枚、箱から取りだしていて。つい、ポロリと零した一言に、自分でも驚く。
驚きつつ、ちらりと見やったえっちゃんと目があう。
数度、瞬きをした えっちゃんに
「ヨッコちゃん? どうしたの?」
小首を傾けながら尋ねられて、腹を括る。
えーい、言っちゃえ!
「あのね、ナイショにしてたけど……実は、広尾くんと付き合ってて」
「ええっ!?」
怪我をしていない方の手で口元を覆って、えっちゃんが細い目をいっぱいに見開く。
「知らなかった……」
「うん。えっちゃんたちがベタベタに仲がいいから。少々、くっついていても誰も、気づかなかったわね」
私が絆創膏を貼っている間、えっちゃんは『そうなんだ』『知らなかった』と、繰り返し呟いていた。
後片付けをしながら、私たちの置かれた状況を説明して。
「広尾くんは、どう言っているの?」
えっちゃんに聞かれて、ただ黙って首を横に振る。
「何も」
「何も?」
「うん。どうするのか、も、どうしようか、も無くって」
「そうなんだ」
絆創膏を馴染ませるように押さえながら、えっちゃんがため息をつく。
「えっちゃんのところは、そんなこと無いでしょ?」
彼女たちの“熱量”に、あやかりたいような気持ちで尋ねた言葉は、さっきの私と同じ仕種で、えっちゃんに否定された。
「野島くんも?」
「はい」
「そうかぁ」
あの過保護な野島くんでも、そこまで気が回らないなら。
仕方ないこと、なのかなぁ。
その夜も、恒例の宴会が行われる。
座が乱れ始める頃、そっと一人抜け出して。ペンション前のベンチで星空を見上げる。
満月を少し過ぎた頃合の月は、一昨年以上に星を見えにくくしていて。
『願い事なんて、聞いてやらない』と、何か”大きなもの”にそっぽを向かれたように思ってしまう。
「ほっこ。抜けるんだったら、俺も誘えって」
ひーくんの声がして、我に返る。
「今年も、流星群は無理そうだな」
そんなことを言いながら、隣に体温の高い身体が腰をおろす。
パーカー越しの温もりを感じながら、知らずに滲んだ涙は。星を眺めるふりで、夏の夜風に乾かす。
「今度さ、仕切りなおしにプラネタリウムに行こうか」
「初デートの所?」
「そう。多分、今の季節だったら、流星群を見せてくれるんじゃないかな? プログラム的に」
「あー、うん」
私が見たいのは、流星群じゃないんだけどね。
ひーくん、わかって。
私が今、一番見たいのは、二人の未来だよ。
プラネタリウムにも行ったし、帰省やバイトの合間に、いつもと変わらずデートもして夏休みを過ごしたけど。
私は、肝心の一言を言えないままだった。
そうして秋が来て。
案の定と言うべきか。
選択教科の単位を、私はいくつか落とした。
「今度はなに?」
呆れ半分、って顔のひーくんは
「何か、悩むようなこと、あったか?」
だって。
人がこんなに……って思うと、『好きになった方が、恋愛は負け』なんて言葉が浮かんできて。
ああ、私の負けだな、って。
負けなら負けでいい。
潔く、完敗してやろうじゃない。
『話がある』と、大学から私の部屋へ、直行して。
この数ヶ月、胸に溜めていた鬱屈を吐き出す。
それでも、アマゾネスの矜持というか。
泣いて、すがって……なんてことは、できなかった。
淡々と、『このまま遠距離になったら、不安で』と、かつて繰り返した転校を引き合いに、言葉を重ねる。
ああ、この“淡々”が、ダメ、なのかなぁ。
しばしの沈黙のあと、彼が口を開く。
「楽天的、かも知れないけど。俺は、ダメになるなんて、思ってないから」
「それは、何を根拠に?」
「根拠、と言われたら……」
困ったように、眉が下がる。
垂れ目に引っ張られたようなこの顔も、あと半年ほどで、遠い地に行ってしまって。見れなくなるかもしれないんだ。
「転校で縁が切れるのはさ、お互いに新しい友達ができるからだよな?」
「まあ……そうかも」
「ということは、新しい恋人ができるまでは、俺達の縁は切れないわけだ」
「うーん?」
そんなものか?
「この街で生活を続けるだろ? ほっこは、このまま変わらずに」
「うん」
「そう考えると、一人引っ越す俺の方が寂しいよな?」
「まあね。転校する時って、自分だけ……って思ったなぁ」
その寂しさは、新しい友達ができることで癒される。
「だから。俺自身が揺らがずにいれば、切れないよ」
「……揺らがずに、いられる?」
「いられる。俺は、絶対に揺らがない」
「寂しくても?」
「寂しさなんかに、付け入らせたりしない自信なら、あるし」
そう言って微笑んで見せた彼は。
「ほっこと付き合うようになる前にさ、何度か野島狙いの合コンってやつに、出たことがあるんだけど」
「何、それ! 聞いてない!」
亜紀ちゃんの言う“好条件の野島くん”目当ての合コンが、一年生のうちから行われていて。人数合わせにサークルの男子が呼ばれていたらしい。織音籠狙いに移行した二年生の春には、お呼びがかからなくなったようだけど。
なんかもう、驚き過ぎて。
ヤキモチを焼く気にもならない。
「あの頃はさ、片思いの寂しさを抱えていたけど。俺は、据え膳の温もりよりも、自分の想いが大事だったから」
「……」
「その大事な想いが通じた ほっこが彼女なんだから。もっと揺らぐはずがない」
俺の想いを信じなさい。
そう言って。
ひーくんは、私の目を見つめた。
私は……揺るがずにいられる、だろうか。
寂しさに負けずにいられる、だろうか。
私が自分に問うた心の声が聞こえたように
「それと同じくらい、ほっこが揺らぐとは、思ってないし。俺は」
ひーくんが言い切る。
「そう?」
「アマゾネスだろ? 遠距離なんかに、負けないよな?」
「……負けたくは、ない」
「他の男に付け入られる隙なんか、見せないだろ? 大和撫子が、『彼氏が転勤で、寂しい』なんて、言うわけないよな?」
「そんな恥ずかしいこと、言うもんですか!」
ひーくんにすら、『寂しくなる』と言えないのに。
「ほら、大丈夫じゃないか」
「なにが、『ほら』?」
突っ込んだ私に、ひーくんは軽く笑って。
「まだ、無理か」
と、なにやら考えこむ。
そういえば、いきなり本題に入って、お茶も出してない。
お湯を沸かそうと、立ち上がりかけた左手首を握られた。
「ほっこ」
「うん?」
「寂しくなったら、俺に言えよ」
「言えって、言われても」
隣には、居ないじゃない。
「突然、会いに来ても構わないし、電話でもいい。俺が、その寂しさをどうにかしてやる」
「どうにかって言ったって。仕事の都合だってあるだろうし」
無理な時には、無理じゃない?
「そんなところで、奥ゆかしさを発揮しない」
「だって……」
「俺の寂しさも癒されるんだから、遠慮せずに甘えなさい」
彼の垂れ目が、強い意思を湛える。
いざという時には、甘えることができる。
その事実を支えに、私も頑張ってみせる。
その決意を刻むつもりで、右耳にピアスをあけたのが、学園祭直前のことで。翌日、ひーくんには『本当に、耳たぶを貫通している』と、戦かれたけど。
学生時代最後の誕生日プレゼントには、左のホクロと対をなすようなオニキスのピアスをもらった。
「使わないこっちは、俺が持っておくから」
「ひーくんの左耳に?」
「いや、野島ならともかく。ピアスをしたサラリーマンってのは、マズい気がする」
それもそうだよね。
野島くんは、サラリーマンにはならないし。
『それに、自分の体に穴が開くのは怖い』と、首を振っていた彼は、卒業式の日。
オニキスがワンポイントになっているタイピンを付けてきた。
謝恩会の時に、ちらりと見せられて。
「どうしたの? これ」
「ほっこのピアスをリフォームした」
「へぇぇ」
これなら、仕事にもしていける。
そう言った彼の言葉に、なるほどと頷いていると、後ろから亜紀ちゃんの呼ぶ声がした。
「もう。二人とも、ばれた途端に、それ? イチャイチャしちゃって」
「いや、そんな……」
ニヤニヤと突いてくる亜紀ちゃんに、焦る。
なのに、ひーくんはあっさりと
「そりゃあ、貴重な時間だし」
なんて、頷いている。
二月末の追い出しコンパで、ひーくんと付き合っている前提の話を、亜紀ちゃんがしてきて。
えっちゃんが話したのかと、確認したら、『見てたら判る』なんて言われてしまった。
隠しているつもりのお付き合いは、割と早い段階でばれていたらしい。それも、気付いていなかったのは、えっちゃんと米山くんくらいだったとか。
「卒業したら、みんなバラバラだもんね」
ひーくんだけじゃない。えっちゃんや亜紀ちゃんとの縁も切れてしまうかもしれない。
「こまめに会おうよ。香坂くんとも、飲み会を計画するし」
「うん」
「織音籠のライブに行くのも、いいよね」
「……うん」
鼻の奥が、ツーンとしてきたところで
「俺らの話?」
野島くんが、会話に交ざってきた。
そのまま、いつものように馬鹿話で盛り上がる。
縁は切れないように、
繋いでいけば、いいんだね。