バレンタイン リベンジ
年が明けると、成人式があって。美容院で着付けてもらった振袖で、参列する。
「ヨッコちゃんは、成人式、実家の方で出るよね?」
と、亜紀ちゃんに尋ねられたのは、前期試験が終わった頃のこと。
大学も、帰省をする子に配慮してくれているらしく、『二年生は成人式の前後が休講になる』というのは、先輩たちから聞いていた。
「あー、行かない、と思う」
「そう? 式のあとで、高校の同窓会もあるのに?」
重ねて確認する亜紀ちゃんに、首を振る。
「この春にまた、父が転勤で……今、実家は四国」
「ありゃりゃ。それは、無理だねぇ」
「でしょう? ま、けじめだし、こっちで出るわ」
「じゃあ、振袖は? どうするの?」
「うん、レンタル。購買部の紹介でね……」
転勤族の両親は、荷物が増えるのを嫌うし。私も手入れとか、保管に困るだろうしで、買ってもらわなかった。
憧れが、無いわけじゃないけど。
その成人式は、市役所の近く。東のターミナルを最寄駅とする、市民ホールで行われる。
亜紀ちゃんとの会話を聞いていた ひーくんが、当たり前のように、学園町の駅からエスコートしてくれた。
「今日は、大和撫子モード?」
ホールへと歩きながら聞かれた言葉に、手を繋ぐ事で答える。深緑の大振袖が、互いの身体の隙間を埋める。
「振袖が、隠してくれるから……」
「これだけ人数がいたら、逆に知り合いに会うことも」
無いな、と言いかけたらしき言葉が、ふっつりと途切れた。
うわ。米山くんと、久恵ちゃん。それに、香坂くん。
「おー、広尾たちも、来てたんだ」
スーツ姿の米山くんが、子供みたいに手を振る。そういえば、この三人は自宅生だった。
繋いでいた手を、密かに離す。
手の平に触れた空気の冷たさに、一人。そっと手を握った。
「恭子ちゃんは?」
久恵ちゃんとは、高校時代に塾が一緒だったくらいのご近所さんだと、言っていたはず。
尋ねた私に、ため息をついてみせた久恵ちゃんは、軽く左手を頬に当てて。
「三日程前から、インフルエンザらしくって」
「それは、また……なんていうか……」
一生に一度っきりの、成人式なのに。
残念だよね。
五人で、いつものように雑談をしながら、歩く。
ひーくんとはつかず離れず。
“大人”の交わりを経験した、誕生日以来。
二人っきりの室内でなら、キスとかの触れ合いに抵抗はなくなった。
でも。
一歩外に出ると……まだまだ恥ずかしさに負ける。
『先生、路上教習は、まだですか?』なんて冗談を言って、ひーくんは苦笑しているけど。
ごめんね。内弁慶ならぬ、外撫子で。
そんな成人式の後は、当然の顔で後期試験がやってくる。今年は、去年の二の舞はしないようにと、冬休みから勉強に集中する。
「バレンタインの心配で、去年は試験落としたぁ?」
ひーくんに呆れた顔をされたのは、成人式の翌日のこと。
土曜日だったこの日は、午前中のバイトのあとでやってきた彼と、私の部屋で勉強会のようなことをしていて。そろそろ夕食にしようと、テーブルの上でを片付けていて、つい。そんな話をしてしまぅた。
「だって、ほら。スキーに行っていた日じゃない? 渡すタイミングとか、ね?」
「悩んでくれてたとは、知らなかったな」
「知られてたまるものですか」
「恥ずかしい?」
当然、と頷く。
立ち上がって、手を洗う。
その日の夜。寝物語に、ひーくんが
「今年のスキーでさ、夜、落ち合おう」
と、提案してきた。
寝返りをうって、常夜灯に照らされた彼の顔を見る。
「落ち合うって?」
「二日目の、バレンタイン。ナイター組が戻って来てから、とか。どう?」
「うーん」
待ち合わせの約束をしてしまえば、渡すことは簡単になる。あとは、どうやって部屋から出るか、だけど。
それは、行ってから考えようか。
「じゃあ、そうしようか。時間とかは、行ってから相談して」
「そうだな」
指切りをして、再び寝返りをうつ。
壁に擦り寄るように姿勢を整えた私の背後で、ひーくんが肩の辺りの布団を押さえたのが、わかった。
二人で過ごした初めての夜。
部屋の真ん中に延べられた布団の周りには、壁がなくって。それ以前に、背中を向けて寝るのは、彼女としてどうかなぁ、と思ったりして。
寝付けないまま、モゾモゾしていると、彼に気付かれた。
『実は……』と、白状するとひーくんは
「まったくもう。奥ゆかしいんだから」
と笑って。私を起き上がらせた。
そして、押し入れの前まで布団を移動させると、
「ほら、これで寝れそう?」
掛け布団を剥ぐって、おいでおいでをする。
「あー、うん。だけど、その……背中向けに……」
「気にしなくって、いいから」
「そう?」
「俺も、変な癖があってさ」
上向きに寝ないと肩が凝る。らしい。
「そりゃあな、彼女と抱き合って寝るのは、やってみたいとは思うけど」
「うん」
「でも、眠れないなら、本末転倒だろ?」
眠たげな声を背中に聞きながら、私も小さくあくび。
「これから、何度もこうやって過ごしたいからさ。遠慮しないで、甘えなさい」
そんなやりとりをしたな、と思い出しながら、目を閉じる。
背後からは、静かな寝息が聞こえ始めていた。
努力のおかげか、心配事が無いからか。
今年の後期は、全科目を“良”と“優”でクリアできた。
「やっぱり、専念すると強いなぁ」
どれだけ去年、悩んでたんだか、と、ひーくんが笑う。
「次の課題は、専念しなくても強くなる!」
「はいはい。究極のアマゾネスを目指して、ガンバレー」
「それは、どういう意味かな?」
「どういう意味だろうな?」
成績が張り出してある掲示板の前で、口先だけじゃれ合う。
これくらいなら、仲のいい友達の範囲だよね?
「さて、これで心おきなくスキーが楽しめるな」
「後は、どれだけ滑れるかよね」
「自転車と一緒で、身体が覚えたら楽勝って、風間が」
「それは、雪国育ちだから言えることよねぇ? 身体に覚えさせようと思ったら、東海林さんみたいに」
あれ? 東海林さん?
「ね。最近、東海林さんて、姿見ないよね?」
最後に見かけたのは……夏合宿か? それとも、納涼会か?
「言われてみれば……」
バイトが忙しいのかな? で、その時の会話は終わった。
チョコレートの用意も万端に、今年も夜行バスでスキー場へと出発する。
今年、代表になった高見さんの引率で到着したホテルは、去年よりもゲレンデから遠いような気がする。
「今年は、人数の都合があるし」
「大所帯だもんね」
「東海林さんの“友達優待”が使えなかったし」
午前中の一滑りのあと。お昼ご飯の席で、亜紀ちゃんが恭子ちゃんに話すのを横で聞いていて。
「東海林さん、どうかしたの?」
出てきた名前に、思わず口を挟む。
亜紀ちゃんは、
「後期から休学だって。なんか、自分探しの旅にでる、とか」
『聞いた話だけど』と、前置きをしてから教えてくれた。
「はあ。自分探し……」
「ね。私も高見さんから聞いた時には、返事にこまったわ」
そう言いながら、カツカレーにスプーンを入れる亜紀ちゃんに、私も親子丼の片隅を崩す。
自分探しの旅、か。
初っ端に驚きのニュースはあったものの。
一年ぶりのスキーは、楽しくて。今年も雪にまみれて、悲鳴をあげて。それ以上に、笑って。
二日目の夜を迎える。
今年のホテルは、エレベーターホールに自販機があったので、それを口実に部屋を出て……と思っていたけど。
同室の亜紀ちゃんたちは、意外とすぐに寝てしまって。カードキーとチョコレート、アリバイのためのお財布を持って、ひーくんとの待ち合わせに向かう。
チョコレートの包みを受けとった彼は、垂れた目を嬉しそうに緩めて。
「ほっこからの、初バレンタイン」
「記念に置いておく、とか言わないでよね」
「心して、食べます」
押し頂くような仕種に、笑ってしまった。
そのまま、自販機でお茶を買って。片隅のソファーで、ひと時を過ごす。
「なんて言って、でてきた?」
「別に、何も。皆、寝てたし」
仰向けでいれば、私はまず眠らないから、つい……ってこともない。
「ここのベッド、寝心地いいもんな」
一人で頷くひーくんに、首を傾げる。
「そうかな?」
「なんか、変わったシーツだろ?」
手の平に蘇る、シーツの感触。
ああ、確かに。織り目がデコボコしてたかな?
「肌触り?」
「っていうのかな。冷たくはないけど、サラっとしている? 俺、仰向けで寝るから。熱が篭るのが、気になる事があってさ」
接地面積が広い上に、体温も高いもんなぁ、ひーくんって。子供みたいに。
そう思いながら眺めた彼の表情が、どこか幼く見えて。
かわいいなぁ。
こんなひーくんはきっと、友人たちの誰も知らない。
一人占めの喜びに浸っていると、名前を呼ばれた。
「何?」
「ものすごく……色っぽい顔をして、どうした?」
キス、したくなる。という言葉とともに、大人びた表情が近づいてきて、目を閉じる。
「初チョコ記念に、外キス」
囁く声に、笑いそうになる。
「ひーくん、たら……もう」
緩んだ口元に、柔らかなキス。
明かりの消えた部屋へと戻って、ベッドに潜りこむ。
さらりとしたシーツの肌触りに、さっきのひーくんの顔を思い出して、頬が緩む。
今度、シーツを買い替える時は、
こんな生地のシーツにしようか。
ひーくん、また、あんな顔を
してくれる、かな?
年度が変わって、三年生になると、講義に選択の余地が大分出てきた。単位計算さえきちんとすれば、週休何日? って、生活だって可能になる。
ひーくんとは履修登録の時点で、なるべく同じ講義をとるようにはしているけど、えっちゃんや亜紀ちゃんとは、一緒にうけるコマが減ってきた。
まあ、えっちゃんも野島くんと示し合わせて履修しているみたいで、相変わらず御神酒徳利のように一緒にいる。
そんな二人の邪魔をしないように、というのは建て前で。亜紀ちゃんや木下くんが一緒じゃないコマは、ひーくんと二人で並んで席につく。
サークルの方はといえば、今年も“野島くん効果”で、一年生がぐっと増えた。前代未聞の人数に、代表になった香坂くんも、副代表の亜紀ちゃんもいろいろ大変らしい。
講義の合間とか、空き時間とか。事務作業に追われている亜紀ちゃんのお手伝いを、えっちゃんと二人ですることも。
この日は三限目が空き時間だったので、お昼ご飯の後、そのまま食堂に居座って″納涼会&夏合宿のお知らせ″のチラシを配る準備をしていた。
大所帯で、渡しもれがないようにと、左上にメンバーの名前を書き入れる。
ひーくんたち男子三人はといえば、隣のテーブルでなにやら頭を寄せ合ってヒソヒソと話している。
「なーにを、やっているんだろうね」
亜紀ちゃんの、ため息交わりの声に被せるように、三人が変な笑い声をたてる。
「良からぬ相談でもしている感じー」
時代劇とかで、ほら。
私の言葉に、すかさず亜紀ちゃんがノル。
「そなたも、ワルよのぉ」
「いえいえ、お代官さまこそ」
悪役ごっこをしている私たちを、クスクス笑いながら見ていた えっちゃんが、ペンを動かして。
困ったような声をあげた。
「どうしたの?」
尋ねた私に、
「“三澤さん”って書こうとしてて……」
白い指先が、書いていた文字を指す。シルバーリングが、鈍く光る。
「“三河”だねぇ。どう見ても」
「時代劇の悪役って、三河屋が多いな、って考えていたら、つい」
さんずい偏から、勢い余ったらしい。
しょんぼりした顔で えっちゃんは、反古紙が混じり込まないようにと、半分に折って脇へとよけて。新しい一枚を手にとった。
私も、書きかけていた名前を書き上げる。
「そういえば、いつだったか三澤さんから聞いたんだけど」
亜紀ちゃんの声に、相槌をうって。ついでに、名簿の名前にチェックを入れる。
次に書くのは……っと。
「東のターミナルの辺りに、占い館ができたんだって」
「へぇ。手相とか星占いとか?」
「いろいろ種類があって、選べるみたい」
一回当たりの料金を支払って、占い師を選ぶシステムらしい。
作業の手を止めて、『行ってみない?』『そうね』と相談して。
意外なことに、えっちゃんまで興味を示したので、今度の日曜に三人で行くことになった。