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13/19

大人になる日

 この年、私の誕生日でもある勤労感謝の日が月曜日で。三連休になったおかげか、直前の土曜日に織音籠(オリオンケージ)のライブがあった。


 西のターミナル駅で落ち合った ひーくんと、彼の羽織ったブルゾンの影に隠すようにして手を繋ぐ。

 付き合ってから半年以上が経っても、まだ。恥ずかしさには、慣れない。

 明日の夜は、一日早い誕生祝いをしてもらって、大人になる“記念”に、彼の部屋へ泊まるというのに。

 大丈夫だろうか。



 そんな、“未来の不安”は、ともかく。

 今日は今日で、“初ライブの記念”だし。えっちゃんの言っていた『もっと派手なユキちゃん』への興味もあるし。

 ワクワクしながら、彼らの出番を待つ。



〈こんばんは。織音籠です〉

 低く通る独特な声が、彼らの登場を告げる。

 野外とは比べものにならない距離の近さに、五人の顔がよく見える。

 なるほど、これは。確かに、うん。

 学園祭のときは、おとなしかったんだねぇ。


「野島くん。いかにも、って感じ」

「だろ? あの派手なキーボードが浮いてないあたり、な」

 日頃の野島くんを知らなかったら。

 あの えっちゃんの彼氏だなんて、悪い冗談に思える。


 周りの歓声に負けないように、ひーくんと互いの耳元で言葉を交わしているうちに、野島くんのカウントで曲が始まる。


 ノリのいい曲に、自然と手拍子がおきる。身体が揺れる。

 心地よい波に揺れながら、ステージを眺めていて。ボーカルの顔に、見覚えがある気がしてきた。

 いつだ? どこだ?

 記憶の奥底を探る。


「どうした? ほっこ」

「うーん」

 曲の切れ目に、ひーくんが声をかけてきた。

「心、ここにあらずって感じだけど」

「あー」

 やっぱり、二つのことが同時に出来ないのか。私は。

「あとで」

 話す、と言いかけた言葉は、再び上がった歓声にかき消された。

 考えることも、あとで。

 今しかないこの時間を、まずは、楽しまなきゃね。



 宴のあと、の興奮を纏って。駅への道を二人歩く。

 ボーカルの子に感じた、さっきの既視感を説明すると、ひーくんは

「そりゃあ、学園祭の時に見たからだろ?」

 と、笑う。

「そんな、最近じゃなくって。なんだろう? ほら」

「ほら?」

「学校に遊びにきた卒業生を見たような……」

「全員、同級生だって、野島が」

 だから、それは何か違うってば。

 

 翌日の待ち合わせの時間を確認してから、彼と別れて自分の部屋へと戻る。

 お風呂に入って、寝る支度をして。

 合間に考えるともなく、あのボーカルのアーモンド形の目を思い出す。

 どこかで、見たことのある面影、なんだけどなぁ。



 答えは、翌朝。目覚めとともに来た。

 丸刈り! 学生服!

 中学校の同級生だ、アレ。

 確か、『ボソボソしゃべる、暗いやつ』と言って、美咲が嫌っていた。

 名前が……シマダ、だったか。イナダ、だったか。そんな感じの。


 そういえば、美咲や隆子はどうしているんだろ? 

 『引越しをしても、手紙を出すね』という、卒業のときの約束は、三ヶ月も持たなかったっけ。互いに、新しい生活に夢中で。

 そうか。ここからだったら電車でちょいと、で行ける距離だなぁ。

 でも、会っても、覚えてないかな?


 美咲の彼氏に失恋した頃は、二十歳の誕生日なんて、遠い未来だった。

 その未来が、もうすぐそこ、明日に近づいていて。

 ひーくんと……大人になるんだ。


 そんなことを考えながら、朝の支度をしていて、気付いた。

 昨日の朝、『きっと、今夜は眠れないだろうな』と、思っていた。あの、アヤメの一筆箋を貰った日のように、ドキドキして。

 でも実際は、過去を思い出そうとしているうちに、眠ってしまっていた。

 本当に私、二つのことが同時にできないらしい。

 

 まぁ、これはこれで。

 結果オーライ



 その日は、午後からデートで映画を見に行くことにしていた。

「映画のあとで、買い物をしよう。誕生日プレゼントな」

「何を買ってもらおうかなー」

「シルバーリングは一年遅れたしな」

「いや、指輪はいいって。恥ずかしいし」

「まだ、恥ずかしいんだ」

「だって、『彼氏ができました!』って、浮かれているみたいかな、って。見せびらかしているように、周りに思われたら嫌だし」

 えっちゃん()()()、周りも気にしなかったような……気がする。マイペースな野島くんに流されたな、って。感じで。

「はいはい。ほっこは、奥ゆかしいからな」

「大和撫子ですからー。よくわかってるじゃない」

 軽口をたたいて、笑いあいながら電車に揺られて、東のターミナルへと向かう。


 結局、誕生日プレゼントにはアヤメ模様の切子のペアグラスを買ってもらった。私の部屋に置いておいて、『一緒にお酒を飲もうね』ってことで。

 そして、そのときには。一緒に“夜”をすごそうと。


 大人になる記念の日に、二人を結んでくれたアヤメのグラス。

 大切に、大切に。

 二人の時間と同じくらい、大切に使おう。



 少し早めの夕食には、ひーくんがバイト先の先輩に教えてもらったっていう、イタリア料理の店に入って。

 ピザを分け合いながら、さっきの映画の感想なんかを話して。

 電車に揺られて、学園町へと戻る。



「へぇ。ひーくんって、ここに住んでたんだ」

「あ、教えてなかったっけ?」

「うん。聞いていないなぁ」

 近隣にある看護大学の裏。ちょっと、夜はさびしくなりそう、って雰囲気の公園を抜けた所の学生向けアパートが、ひーくんの住まいだった。

 私の住んでいる駅向こうとは、駅を挟んで逆方向。

 サークルの飲み会でも、テニススクールの夜も。当たり前の顔で、私の部屋の近くまで送ってくれていたけど。

「帰り道、遠回りをさせてたんだ」

「彼女なんだから、それくらい甘えなさい、って」

「もう。ひーくんったら。いつもそんなこと言って」

「男の沽券。彼氏の優越」

「なにそれ」

 気にしない、気にしない、と笑いながら、玄関ドアが開けられる。


 彼が、電話台に置いた鍵には

 最初のデートで行ったプラネタリウムの、キーホルダーがついていた。


 お行儀の悪いこととは知りながら、部屋をぐるりと見渡す。

 あ、本棚に……告白の手紙が挟まれていた、あの写真集が。


 そっかぁ。彼もあの写真集、持っていたんだ。


「珍しいものなんて、ないだろ?」

 笑いを含んだ声が聞こえて振り向くと、ひーくんは小さな冷蔵庫を開けて中を覗いていた。

「うん。でも、なんだか男の子の部屋だな、って思って」

 女の子は多分、テニスラケットを薙刀みたいに長押のフックに置いたりはしないと思う。

「俺は、ほっこの部屋を見たときに『ああ、ほっこらしい部屋だ』って思ったな」

「私らしい?」

「うーん。雰囲気、かな? ほっこの」

 “奥ゆかしいアマゾネス”の香りがした、と言いながら、ペットボトルからマグカップにミルクティーが注がれる。

 駅前のケーキ屋で買ってきたシュークリームと一緒に、家具調コタツらしき黒いテーブルへと運んで。


 『アマゾネスな香りとは?』なんてことを話しつつ、誕生日ケーキならぬ誕生日シュークリームを食べているうちに、お風呂が沸いたとアラームが鳴った。


 どちらが先に入るかを、しばらく譲りあって。

 ジャンケンで、決めることになった。


 三回勝負で、ジャンケンをする。

「あー、負けたぁ」

 たかがジャンケン、されどジャンケン。

 負けず嫌いとしては、単純に悔しい。

「悔しがるなら、先に……」

「条件反射だから、気にしないで」

「出た。アマゾネス」

 楽しそうな笑い声をあげた ひーくんが押し入れのボックスから、バスタオルを取り出す。お風呂の支度を見つめるのもどうかと、食べ終えたお皿を流し台へと運ぶ。

 シュークリームに付いていた台紙を捨てるために、ゴミ箱を探す私の背後から、タオルを持った腕が伸びてきて。

 そのまま、ひーくんに抱え込まれた。


 うわっ。心臓、バクバク言っている。


「ほっこ、あのさ。できたら、でいいんだけど」

 耳元で、声がする。

「お風呂から出てくるとき。バスタオル一枚で、って」

 続いた言葉が、とんでもなさ過ぎて。逆に頭は冷えた、気がする。

「バスタオル一枚って、アレ? 裸に巻いて、って?」

「そうそう。ほら、温泉レポートとかみたいに」

 『このタオル、大判だから、使って』とか言って、腕が緩む。抜け出た私に、さっきから彼が手に持っていたタオルが差し出される。

 受け取ったタオルは、真っ白で。ふわっとした手触りが心地よい。


「ダメもとのお願いだからさ。無理なら、いいから」

 そう言ったひーくんの顔が『まぁ、無理だよな』と言っている気がして。

 お手洗いへ入る彼の後ろ姿に、小さな声で宣戦布告。


 やってやろうじゃないの。

 無理だろう、なんて言わせない。

 大人になるには、さらにもう一歩進むのだから。


 彼と二人っきりのこの部屋では。

 恥ずかしさは、服と一緒に

 脱ぎ捨ててみせるわ。



 ひーくんが、お風呂から出てきた。腰にバスタオルを巻いただけのその姿を直視しないよう注意しつつ、私も入浴の支度をする。

 支度をしながら、改めて気合いを入れる。

 負けるものか! 


 足を踏み入れた浴室には、湯気とミントの香りが残っていた。

 ああ、これは私の部屋にはない香りだ。

 ひーくんの香り、か。



 湯舟に浸かって、大人になる最後の覚悟を決める。

 ひーくんに請われた姿で、部屋へと戻る。


 コタツを片付けた部屋の真ん中に敷いたお布団の上で、驚いた顔をしたひーくんに、『勝った』と思って。

 彼の前に、そっと座る。


 抱き寄せられて、直接触れた肌が暖かくて。彼の体温は、やっぱり私より高いなぁ、なんて思っているうちに、唇が重なる。



 そして、互いの体温の差が感じられなくなった頃。

 私たちは、一緒に大人になった。

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