学園祭
夏休みが終われば、前期試験があって。
そのあとに迎えた広尾くんの誕生日の夜は、私の部屋でささやかなお祝いをした。
ショートケーキを買って、ハンバーグを作って。
夕食の後。食べ過ぎた、とか言いながら軽く食休みをして、デザートの時間。
「二十歳かあ。一足先に大人だね」
私はまだあと二ヶ月もある、って言いながら、ロイヤルミルクティーを入れる。
「大人になった記念の日に、彼女の初手料理」
「そんな大層な」
「いや、逆か? 初手料理の記念日が、誕生日だな」
一人で頷きながら、箱からケーキを取りだしている彼の前に、カップを置いて。
そういえば、初デートの記念に、って、プラネタリウムでお揃いのキーホルダーを買ったなぁと、思い出す。
「広尾くんって、記念とか好きよね?」
「あ、ばれた?」
照れたように笑う彼に
「サン・ジョルディも、狙った?」
教科書と一緒に本棚に並べた写真集は、半年近く経った今でも時々、眺めている。
「本屋としては、当然」
「本当に?」
カップに越しに顔を見やると。
垂れた目が、懐かしそうな色を浮かべていた。
「これでもさ、告白のタイミングとか色々悩んで」
ケーキの上のイチゴにフォークが刺さる。
「野島みたいに、ガンガン押しまくるなんてできなくってさ」
「野島くんほどマイペースな子って、そう居ないと思う」
「まあ、それはそうだけど」
傍で見ていて、『俺は? どうする?』なんて、一人で焦ったりもしていたらしい。
「野島のシルバーリングの話を聞いた時には、『これだ。誕生日を利用しよう!』とか思ったんだけど」
「えっちゃんの方が、私よりも誕生日、後だったよね」
「誕生日は先月末、って聞いて、どれだけがっかりしたか」
恨みのこもった一口が、イチゴを襲う。
「クリスマスは、イブも当日もバイトだったし」
「そりゃあ、恋人のいる人とか家族持ち優先よね。どこの店も」
「それもあるけどさ、商店街の歳末福引きの真っ只中」
「あー、あれねぇ」
私のバイト先は、駅前とは言っても、商店街とは別方向だから、関係ないけど。
忘年会だの、スキー合宿だの。
彼は彼なりに、色々と考えていたらしい。
「記念ついで、って言うのも、アレだけど」
ケーキをほとんど食べ終えた頃。
ものは相談、って口調で彼が言うには。
「そろそろ“名前呼び”が、したい」
「名前呼びって、名前呼び?」
いや、本人がそう言っているじゃない。
焦ったあまりの妙な返事に、自分で突っ込む。
「うん。いいかな?」
『美帆子』と呼ばれて。
全身が心臓になる。
悲鳴を上げて、耳を塞ぐ。
塞いだ手の下で、自分の名前がリフレインしている。気がする。
「これも、ダメ?」
キスまでした仲なのに、なんて言われて。
「アレは、誰もいなかったし」
雰囲気に流された、と言えなくもない。
「今だって、二人きりだよ」
「それは、そうだけど……」
不意打ちは、卑怯だ。
平然とした顔で、最後の一口を口へと運んでいる“芳久くん”を睨む。
よし、負けるものか!
「ょ……ひ……くん」
喉に声が引っ掛かって。まともに発音できなかった。
それでも、何を言おうとしたのかは、通じたらしく。
「惜しい。ドンマイ」
サーブでダブルフォルトをやらかした時と同じ口調で、慰められた。
なんだか彼の、その余裕が……無性に、悔しい。
悔しさ紛れに
キスをしてやった。
「二十歳の記念に、美帆子からのキス、だな」
上気しているとはいえ、思ったほどには驚いてない彼に、負けた。
仕方ない。
相手は、二十歳の“大人”だし。
デートの時とか、講義の空き時間。テニススクールの帰り道。
二人きりの時間を使って、意思のすり合わせみたいなことをかさねる。
私のことを彼は『ほっこ』と呼んで、彼のことは『ひーくん』と私が呼ぶ。
二人きりでいる時の限定とはいえ、そんな形で収まりが着いた頃には、学園祭シーズンに突入しようとしていた。
近隣のトップをきって、私達の通う経済大の学園祭が行われる。
「知らん人に付いてったら、あかんで? お菓子、貰ったら……」
「おい、野島。小学生とは違うんだから……」
えっちゃんの両手に縋るようにして、言い聞かせている野島くんに、ひーくんが呆れた声をかける。
野島くんは、午後にバンドのステージがあるらしくって、サークルで予定している今夜の打ち上げまで、別行動になる。
その打ち上げも、途中参加だとかで。開始からしばらくは、えっちゃんだけが、宴会にでることになるらしい。
そんな内容の“今日の予定”を、二年生の幹事をしている亜紀ちゃんから聞いた時に、『野島くんにしては、珍しい』と思ったのは、確かだけど。
ちょっとばっかし、過保護すぎない?
後ろ髪を引かれるような顔で島くんが去っていく。
「頑張ってねー」
「えっちゃんを連れて、見にいくからねー」
その後ろ姿に、私と亜紀ちゃんが茶化した声をかけると、振り返った野島くんが軽く手を振った。
「さてと。時間までは、模擬店でも回る? どこがいい?」
学園祭の案内地図を片手に亜紀ちゃんが、皆を見回す。
「お嬢様がたに、お任せ」
「うむ。苦しゅうない」
木下くんと亜紀ちゃんのおどけたやり取りに、えっちゃんと顔を見合わせて笑う。
控えめな笑い方のえっちゃんは、野島くんがいなくってもいつも通りで、『やっぱり、野島くんが過保護すぎよね?』なんて、少し呆れる。
足の向くまま、気の向くまま模擬店を見て回って。合間にお昼も食べて。
「ほッコ……ん、いま、何時?」
『ほっこ』と『ヨッコちゃん』の間を取ったような、微妙な呼び方に、背中に変な力がこもる。
前を歩く亜紀ちゃんと木下くんには、聞こえなかったらしく、二人でなにやら盛り上がっている。
そして、ひーくんの隣を歩いている えっちゃんは気付いていないみたいで、ほっと息をつく。
「なに? 時計は?」
「いや、ちょっと……」
いたずら成功。
そんな顔に、確信犯だ、とピンと来て。彼を軽く睨む。
悪びれた風もなく、
「野島の言っていた時間が……」
なんていっている彼の声に、今度はえっちゃんが反応した。
「あの、少し早いけど、そろそろ、ステージの方に行っても……いい?」
遠慮がちではあるけど、えっちゃんにしては珍しい意思表示に、OKを返して。前を歩く二人にも、行き先変更を伝える。
少し早めに着いた野外ステージでは、気の早い観客たちが開始を待っていた。
比較的前の方の席をキープした私たちも、野島くんのバンド織音籠が出てくるのをわくわくしながら待つ。
織音籠は五人編成のバンドで。近所にある外大の子と総合大の子、そしてドラムを担当する野島くんで成りたっている、らしい。
野島くんを単体で見ていたときには、まぁ、ちょっと派手めな男の子、と思っていたけど。
なにこれ。
学園祭とはいえ。なんと言うか……どの子も、学生のいでたちじゃないよね?
キーボードの子なんて、どう表現すればいいのか判らない複雑な色の髪をしているし。
びっくりしている私の隣で えっちゃんは
「学校だったら、さすがにちょっと大人しい格好になるんだ……」
ほっとしたような声で言っている。
「大人しい? アレが?」
「はい。ライブハウスでは、もっとこう……」
私と同じことを思ったらしい亜紀ちゃんと、えっちゃんが交わしている会話に、ちょっとした違和感。
「えっちゃん、ライブハウスなんて、行ったの?」
意外。というか、まず、ありえない。
恥ずかしそうな顔で頷いた えっちゃんに
「一人で行ったの? 野島くん、許したの? それ」
と聞いた私の声は。
〈 はじめまして。織音籠です 〉
マイクを通した低い声と、呼応するように沸き起こった歓声に掻き消された。
そして、えっちゃんは、その声に呼ばれたように、真剣な顔でステージを見つめ始めた。
見た目の派手さはともかくとして。
なんだろう。ボーカルの子の声質、かな?
盆の窪の辺りが、じわっと緩んでくるような感じがする。
曲はロック調で、野島くんのドラムも結構激しいのに。
私も一度、ライブに行ってみたい……かも。ひーくんを誘って。
そんな感想を抱きながら、隣の えっちゃんを盗み見る。
ああ。これは。
えっちゃんにとって、青春を賭けるバンドになるんだろうな。
それは
確 信。
二週間後に行われた総合大の学園祭でも、彼らのステージを見て。
その夜の打ち上げで、えっちゃんの正面に陣取って、ライブのことを尋ねる。
「私も、夏休みに初めて行っただけだから、詳しくなくって」
申し訳なさそうな顔で謝る えっちゃんは、夏合宿の最終日のライブに友達と行ったらしい。
「そっかぁ、ライブ友達とか?」
「あの、ええっと……マサくんの……」
「まさくん?」
「ええっと、織音籠のギターで」
途切れ途切れな答えを繋ぐと、どうやら他のメンバーの彼女に連れて行ってもらった、とか。
「やっぱり、そういう……先達がいるのかな?」
えっちゃんに頼んだら、野島くんが怖いかな? なんて考えていると、いつの間にか隣に座っていた ひーくんが、
「ヨッコちゃん、先達って。修行じゃないんだから」
ニラチヂミを取り分けながら、笑う。
「いや、ほら。一見さんお断りとか」
「そんなコンサート、聞いたことある?」
それは確かに。無いな。敷居の高そうなクラシックでも。
じゃれるような、ひーくんとのやり取りの切れ目を待っていたように、遠慮がちな声がはさまれた。
「あの、多分。ヨッコちゃんなら、一人でも平気だと……」
「えっちゃんは、心配性の彼氏に世話を焼かれた?」
えっちゃんの性格で、自分から他のメンバーの彼女に頼んで……というのは、考えにくい。
そんなことを考えながら、ビールのグラスに口をつけていると
「ユキちゃんが心配性というより、私が頼りないだけだから」
えっちゃんは、そう言って、慌てたように顔の前で手を振って。シルバーリングが光を弾く。
「頼りないって思っているのは、えっちゃんだけじゃない?」
えっちゃんの隣から、亜紀ちゃんも会話に加わる。
「さっきも、言ったけど、こういう場でも、自分のペースで楽しめるくらいには逞しくなっているって」
「それとこれは、違う気が……」
「違わないって」
そんな会話を交わしながら、亜紀ちゃんはニラチヂミをえっちゃんのお皿にも載せようとして……断られている。
確かに、逞しくなっている。
『えっちゃんが逞しくなったのは、野島くんの愛の力』という、横から会話に加わった女の先輩の言葉に、皆で深く頷いて。
「良いよねぇ。互いに強くなれる関係って」
『私も、あやかりたい』と、ふざけて えっちゃんを拝む。
「ヨッコちゃん、それ以上、強くなって何を目指すのさ?」
「えーっと。とりあえず、織音籠のライブ?」
「今でも充分。強い、強い」
ひーくんと言い合いながら、彼のグラスにビールを注いでいると、先輩に
「ヨッコちゃんって、結構、負けず嫌いよね?」
なんて言われて。
「そうですか?」
「うん。なんか、勉強とかも、人知れず努力してそうな気がする」
「いや、結構、再試験も受けてますけど」
前期試験は、選択を一つ。やってしまった。ひーくんの誕生日祝いをどうするか考え過ぎて。
「ヨッコちゃんって、二つのことを同時に出来ないタイプだよな」
「へえ。意外」
ひーくんの言葉に、亜紀ちゃんが驚いたような声をあげて。その隣で、えっちゃんも頷いている。
「ノートを取るのに一生懸命で、先生の何気ないヒントを聞いてないとか」
あー。それもあるな。
幹事の仕事で香坂くんに呼ばれた亜紀ちゃんが、席を立つ。
えっちゃんも、お手洗いだろうか。座敷から出て行って。
「ほっこ」
二人きりの名前が呼ばれる。
「さっきのライブの話」
「うん。何?」
「行くなら、一緒に……どう? 先達になるけど」
「ひーくん、行ったことあるの?」
どうやら、友達のよしみで、木下くんと行ったらしい。
じゃあ、近いうちに……と、約束が成立したところで、ビール片手の一年生がやってきて。
冬のスキーの話なんかを始めたころ。
思いのほか長い時間席を外していた えっちゃんも戻ってきた。