星空の下で
初デート以来、手を繋ぐことも平気になって。
というわけには行かないのが、“仮免”の悲しい所で。
今年もサークルの皆で行くことになった夏祭りのこの日も、神社までの道のりで、隣を歩く広尾くんとの間でささやかな攻防をして。彼がTシャツの上に羽織っているシャツの裾を小さく摘むことで、折り合いをつける。
それも、集団の最後尾を歩いていたからこそ、できたことで。前を歩く木下くんや米山くんが振り返りでもしたら、瞬時に手を離すつもりだった。
幸いなことに、友人の誰にも指摘されることなく、そのままの状態で神社の境内に足を踏み入れる。
鳥居の下で二人、小さく一礼をしてから。
「あ、野島と えっちゃん」
お参りを済ませた友人たちが三々五々と屋台を目指して散らばるなか、ちょっと距離を置くように二人っきりになった所で、広尾くんが手水舎を指差す。
「本当。結局、来たんだ」
「一年生に、見つからなかったらいいけどな」
馬に蹴られてしまいますよー、と、ふざけて呟いて。
顔を見合わせて、クスクス笑う。
最初六人だけだったサークルの一年生は、梅雨の頃には私達たち二年生の人数を軽く超した。
野島くんのバンド、織音籠がゴールデンウィークに出たライブを見た子たちが、彼を目当てに入ってきたとかで。
今日も、数名の一年生が一緒にお参りに来ていたけど、当の野島くんは、『俺らは、一緒に行かへん』と断っていた。
バンドの方が忙しいのかとも思っていたけど。
恋人同士だもの。
水入らずでデート、したいよね。
仲間意識のようなものを抱いて眺めていた二人は、いつもと変わらず寄り添うように参拝の列に並んだ。
「一年って、短いようでも色々あるよなぁ」
鯛焼きの屋台へと向かいながら、広尾くんがしみじみと言う。
うん。確かに。免許も取ったし、スキーにも行った。
「俺も野島も、去年のお祭りは“彼氏気分”を味わえただけで浮かれてたのに。今年は、彼氏として来れたもんなぁ」
この一年を思い返していて、聞き逃しかけた言葉の断片が、意識の表面を引っかいた。
「え?」
「何? 俺、変なこと言った?」
「……彼氏気分?」
だったよね?
昔の流行歌じゃないけど。脳内再生した、彼の言葉は。
「あー、ゴメン」
ばつが悪そうに頭を掻いているのを見て、こっちが変な事を言ったかも……と、焦る。
「いや、謝る事じゃ無いけど」
「だったら、何?」
「野島くんは、分かるけど。広尾くんも?」
「は?」
「え?」
互いの顔を見合わせる。
狐につままれた、というのは、こんな顔だろうか。
なんて思っていると、
「ヨッコちゃん、“狐に包まれた”みたいな顔をしてる」
と、言われた。
それからしばらく、狐は“摘む”のか“包む”のか、議論をしながら、鯛焼きの列に並んで。
脱線しまくった話題が元に戻ったのは、熱々の鯛焼きを手にしてからだった。
「で、さっきのアレ」
石灯篭を挟んだ屋台と屋台の間に二人、向かい合って。鯛焼き片手の広尾くんが、話のきっかけを作る。
「あ……うん」
「野島はともかく、って」
「あの……広尾くんって、去年の夏には、もう……その……」
『私のことを、好きだった?』なんて、五十年くらいかけても、口には出せそうにないから。
分かってくれないかな? って、期待を込めて見上げた彼は、鯛焼きの背鰭にかぶりついた。
私も最初の一口、鼻先の辺りをかじって、答えを待つ。
「彼氏になりたかった、ってこと?」
うわぁ。そんなストレートに訊かないで、ってば。
でも、聞きたい答えではあるわけで。
小さく頷く。
「夏どころか、合格発表の日に」
「そんな日に? え? 会った?」
「うん。すれ違った」
「嘘っ」
えーっと。
発表の日って。
「校門を入ったところのさ」
講義棟への道から、学生食堂の裏庭へとつながる小路が枝分かれする辺り、だったらしい。
「発表を見た帰り道、地面にお守り袋が落ちていて。俺が行動するよりも早く、校門の方から歩いてきた女の子が拾い上げたんだ」
お守り袋? 私、落としたっけ?
首を捻りながら、鯛の頭にガブリ。
「『誰かに踏まれる前に、気付いてよかった』って、思ってたら」
うん、確かに。
お守りが踏まれたなんて、嫌だし。踏むのは、もっと嫌。
「その子、植え込みの枝に引っかけてさ」
あ、なんだ。私の落し物じゃなかったんだ。
なんとなく、ほっとして。鯛焼きを、もう一口。
「手を合わせたわけ」
「は? 拝んだの?」
「そ。さすがに、柏手は打たなかったけど」
「はぁ」
「それ以来、その子のことが忘れられなくって」
思い出したように鯛焼きに口をつけた彼に倣って、私も食べる。
食べながら、考えて。
「覚えてないんだけど。それ、本当に私?」
人違いじゃぁ……と尋ねると、鯛焼きを持って無い方の手がすっと持ち上がる。
人差し指の先が、左の耳たぶを軽く弾く。
「間違えようがないって。ピアスみたいなこのホクロ」
「あっ」
とっさに、鯛焼きを持ったまま、耳を押さえる。
鯛焼きは大分冷めていたはずなのに。カイロを当てたように、耳が熱くなる。
確かに、私の左耳には少し大きめのホクロがある。それも、ピアスに間違えそうな場所に。
「入学して、ホクロを手がかりにヨッコちゃんを探して」
「……」
「新歓で見つけたときには、さっさと隣の席をキープして」
「あー……」
そういえば去年の新歓で、初めて彼を知ったんだ。
「ヨッコちゃんの正面に座った野島は、どう見ても“えっちゃん狙い”だったから、無言のチームワークみたいなもので、二人を会話に巻き込んだ」
「はぁ」
なんかもう。驚きすぎて、相槌の気が抜ける。
そんな会話の合間に、すっかり鯛焼きを食べ終えてしまって。参道をそぞろ歩くように下る。
屋台を覗く人の歩調に合わせて、のんびりと進みながら彼の話を聞く。
「去年の夏祭りでさ、ヨッコちゃん、鳥居のところで神様に挨拶、しただろ?」
「あ、うん」
「あれがもう、決定打」
「そう?」
「ほら、合格発表の日は、誰だって神頼みの一つや二つ、したくなるだろうけどさ」
ああ、そうか。私が校門の方から歩いてきた、ってことは。発表を見る前、だ。
「ヨッコちゃんだったら、お守りにも挨拶をするのかなって。それに、アレのあとの言葉も良かったんだよな」
「なに、言ったっけ?」
「『不法侵入みたいで嫌』だったかな。もう、大和撫子全開で」
普段の言動との差に、打たれた。
そんなことを言って、照れたように笑う広尾くん。
提灯の明かりに照らされた笑顔が、眩しく感じられて。
そっと、目を逸らす。
逸らした先に、がっしりとした彼の手が。
なんだか無性に、その手に触れたくて。
浴衣の袂で隠すように、手を繋ぐ。
「ヨッコちゃん?」
「と、鳥居のところ、まで。だから」
知り合いに会ったら、すぐに離すから。
一年もの間
広尾くんが想いつづけてくれた。
その喜びに、しばらく
浸らせて。
鳥居に着いた時、既に全員が揃っていた。遅刻魔の米山くんさえ。
繋いでいた手を慌てて離してから、遅くなったことを謝ったけど。皆の話題は、少し前に鳥居をくぐって帰っていったらしい、野島くんたちのことでもちきりだった。
野島くんが踊りだしそうな足取りだった、とか。えっちゃんが見たことがないほど真っ赤な顔だった、とか。
友人たちの話に相槌をうちながら、内心で手を合わせる。
ゴメン、えっちゃん。
私はまだ、こんな風に噂される覚悟がないの。
少しの間、隠れさせてね。
夏祭りのあとには、去年と同じペンションでの合宿がある。
一年間、テニススクールに通ったおかげで、いい感じでゲームができるようになってきたから、行く前から楽しみで仕方なかった。
「広尾くん、もう一ゲームしよ?」
「……ちょっと、休憩しようよ」
そんなことを言って、ベンチに座り込む彼。『しょうがないなぁ』って顔を作りながら、隣に腰を下ろす。
今年の一年生は、“野島くん”というより“織音籠のユキ”目当ての子が多いからか、初心者だらけで。合宿も去年に比べて、どこかのんびりとしている。
今も、コートは空いているのに、皆『暑い、疲れた』って言いながら、ベンチや日陰でダラダラしている。
一日目の昨日なんて、“お昼寝の時間”があったほど。
お盆の直前、暑いのは分かるけど。
元気なのは、蝉くらいのもので。
蝉時雨って、こういうのよね。なんて、思っていると
「ヨッコちゃん、今夜さ」
隣からヒソヒソと話しかけられた。
「うん? なに?」
汗を拭いていたタオルで口元を隠すように、返事をする。
「流星群が見頃らしいんだけど。宴会を抜けて、一緒に見ない?」
彼からの提案に、ちょっと考える。
流れ星の下でデート。
誰かに見咎められても、『だって、流星群だし』って、理由がつけられる。
二つ返事で、約束が成立する。
「よしっ、じゃぁゲームするか!」
気合いを入れるように両手を打ち鳴らして、広尾くんが立ち上がる。
足元に転がっていたボールを二つ拾い上げてから、私もベンチを離れる。
「あ、広尾とヨッコちゃん、始める?」
少し離れた所から尋ねる香坂くんを
「ミックスでゲーム、しないか?」
広尾くんが誘う。
久恵ちゃんを入れた四人で、ゲームを始めて。
勝負がつく頃には、お昼ご飯だった。
今年もお昼過ぎに佐々木さんたち四年生が、差し入れを持って来てくれて、夜は恒例の大宴会。
適度に皆が席替えをしたころを見計らって、こっそりとダイニングを抜ける。
薄暗い廊下にいた広尾くんと二人、玄関から外に出る。
「オーナーさんに聞いたら、玄関は十時に閉めるってさ」
「聞いたの? なんて?」
「流星群を見たいだけど、締め出されたらどうしよう、って」
流星群、さまさま。何から何まで、適当な理由になってくれる。
まだ見てもいない夜空に、心の中でお礼を言う。
玄関脇の自販機でお茶を買って。
駐車場よりのベンチに並ぶ。
「方角って、どっち?」
「うーんと、確か……」
テニスコートの方、立ち木を目印にするようにと、教えてもらって。
二人、しばらく無言で空を見上げる。
なかなか流れない星は、明るすぎる月明かりが邪魔をしているのかもしれないけど。
広尾くんと並んで、夜空を眺めるだけでも不満なんて、感じなくって。
「えっちゃんたちも、去年こうやって見たのかなぁ」
合宿には参加していない二人を、なんとなく思い出す。
「宴会の途中で抜けだして」
「いやぁ……それは、どうだろう?」
「えー。告白には、絶好のシチュエーションじゃない?」
広尾くんの告白と、いい勝負。
「あの二人が抜けたのは、横で見ていたから、俺も知ってるけどさ」
「あー」
やっぱり……っていう言葉は、零れる直前で飲み込む。
「あの日も、えっちゃんが先輩に潰されかけて。野島が必死でフォローしてて」
「へぇ。そんなことが、あったんだ」
「うん、だから、アレはお説教だろうなと」
まさか、そのまま付き合うとは思ってなかった。
そう言って、彼は缶入り紅茶に口をつけた。
「アレはなぁ」
私も一口、烏龍茶を飲んだところで、何かを思い出したような広尾くんの声がした。
「どうしたの?」
「うん」
「ねぇってば」
「ヨッコちゃんがもしも、同じような目にあったら、俺は何ができるのかな? なんてさ。一人でシミュレーションしてさ」
「……」
「俺には無理。守れない、なんて、落ち込んでみたりもして」
「はあ」
本当に、一人でなにをやっているのやら。
「彼氏になりたい、なんて、妄想もいいところだった」
空を仰いだ彼が『まさか、実現するなんて思ってなかった』と、仄かに笑う。
その嬉しそうな声を聞きながら、私も空を見上げる。
去年の合宿の時には、自分に彼氏ができるなんて、想像もしなかった。
流れ星にお願いをすると、叶うらしいけど。
最初の星が流れる、その前にまず。
『私の恋を叶えてくれて、ありがとう』と。
感謝を捧げる。
そして一つでも、流れ星を見つけられたなら
『このままずっと、彼といられますように』と。
人生最大のお願いを。
少し肌寒さを感じた頃。左肩に広尾くんの手が回されて、互いの身体が触れ合う。
薄手のパーカー越しの体温が心地いい。
広尾くんって、体温高いなぁ。
初めて肩を抱かれた恥ずかしさが、無いわけじゃないけど。
人気の無い宵闇と彼の温もりが呼んだ“触れていたい欲”が、勝つ。
お腹で静かに息をする。
互いの呼吸が、同調したような。
気がした。
「ヨッコちゃん」
「うん?」
囁く声に呼ばれて。喉声で答える。
微かな予感。
重なる唇は
やっぱり。
私よりも
温かいように
感じた。