02 ただ一人の心許せる人
へやで少ない荷物を整理していると携帯に着信があった。
「はい、もしもし」
普通は番号を見てから電話にでるらしいのだがついそのままでてしまう。
「あ、よったん。わたしわたし、わたしだよ〜」
底抜けに明るい声が聞こえてくる。
「わたしわたし、じゃわからないわ。あなただれ?」
「わたし、あんたの娘よ!実は競馬で負けちゃってスっカンピンなのよ。今からいう口座にお金振り込んでくれない?」
「まずいうべきは私に娘はいないわ。そもそも競馬に行く娘がいるような年齢でもないわ。それともあなたからすれば私はそれほど老けてる、ということかしら、依織?」
電話の相手はクラスメイトの、いや元クラスメイトの依織だ。声を聴いたすぐにあたりまえに気が付く。
「い、いやそんなことないよ!?まずった、いやなところで地雷ふんだ〜!!」
閑話休題。
ため息をつき、嘆息をつき電話口に話しかける。
「で、何の用よ」
「ん〜?ただ何となくよったんの声が聞きたくなったから〜」
「切るわよ?」
「あ〜!まってまって!切らないで〜!ちゃんと要件あるから!?」
これの流れもいつものことだ。
「さっきうちのおかんから聞いたんだけど、別の学校に行くって本当?」
依織は元クラスメイトであり、また唯一私をおびえた目で見ない親戚のひとりでもある。
本人によれば、
丙午なんか聞いたこともないし、そもそもわたし占いとか信じない派だもーん。とのことだ。
「ええ、本当よ。さっそく明日かららしいわ。」
「え、あしたから!?急すぎない!?というか転校とかって明日明後日にできる話なの!?」
バカそうな雰囲気を出しながらも依織は意外と鋭い。
「ええ、おそらく前々から決めてあったのを今日再確認してそれを私に伝えた、てとこじゃないかしら」
「なにそれー、ちょっと勝手過ぎない!?」
「まあ、少し思うところがないかって言ったら嘘になるかもしれないけど私としてはむしろもっと早く決めてもらっても良かったんだけれどね」
「えー、そんなー。わたしよったんと離れ離れになるの悲しいよ〜」
「このご時世、会おうと思えばいつでも会えるわよ」
「でも学校で会えないじゃんー!」
こんなことを言ってくれるのは依織だけだ。
「ありがとう。その言葉だけで十分よ」
彼女にとっては何気ない言葉かもしれないが私にはその言葉で本当に充分だった。
「それで、要件ていうのはそれだけ?」
「あ、いや、もう一つあるよ。」
どうやらまだあるらしい。
「よったん、居間生活用品全く足りてないでしょ?一人暮らしするっていうんならなおさ らに」
「たしかに、いわれてみればそうね…」
細かいところに気が付くのも彼女の長所の一つだ。
「だから明日一緒にお買い物行かないかな〜って、どう?」
「大変魅力的ではあるのだけれども…
あなただからぶっちゃけた話をするけど私今お金まったくもってないわよ?」
家がなくなったのだから当たり前だ。叔父に貸してくれというのも嫌だし。
「あ、そこは大丈夫。すでにおかんから臨時のおこずかいをもらってあるのです!」
「じゅ、準備いいわね。」
というか私に聞く前にすでに行くことが決定事項のように行動できるところがすごい。
「でも、あしたいっちゃんでしょ?大丈夫かな…」
「大丈夫よ。明日と言っても昼過ぎぐらいになるはずだから」
「そう?じゃ、明日朝から出かけるから準備しててね!」
「ええ、わかったわ」
明日が楽しみだ。
ここにきて何もいいことはなかったけれど、最後の一日ぐらい楽しい思い出で締めくくりたいと思うのは当然だろう。
ほう、とため息を一つ吐く。
とりあえず明日着る服を選ばなくては。
あぁ、またカバン整理し直さなくちゃいけない。
ぶつぶつと口から文句は出るが唇は少し機嫌が良さそうだった。
布団の中にくるまっていると玄関のチャイムがピーンポーンと気の抜けた音を立てる。
横に置いてある目覚まし時計を見てみるとまだ短針は真下、朝の六時をさしている。
朝早くに誰だろうか、まあ私には関係ないだろう。
そう思ってもう一度布団にくるまる。
布団というのは一種の魔物だと思う。
冬のこたつしかり、朝はいつまでもこのまま布団にくるまっていたいと思ってしまうのだから。
もしもこの私の至福の時間を邪魔するものがいたならば私はそいつの三代先まで呪ってやろうとまで思う。
布団にくるまりながら、自分の意識がどこかに飛んでいくのを感じていると、廊下をこちらの部屋に歩いてくる足音が聞こえてきた。
木造建築なのだから足音が大きくなる。私の安眠を妨害する。
「…呪ってやるわ」
先ほどの考えを実行に移そうとしていたとき、その忌まわしい足音が止まる。
私がいる部屋の真ん前だ。
……
…
何も起こらない。
確かに足音はそこで止まったはずなのに扉の開く音すら聞こえてこない。
そう訝しがっていると、なんだろうと身を起こした時ちょうど、扉が、
スッパーン!
と、綺麗な音を立てて開け放たれた。
「よったん、おっきろー!あっさだぞー!?」
「きゃ、キャー――――!??!?!?」
油断していた時に突然開いたのだ、こんな悲鳴を上げてしまうのも仕方がないじゃないか。
「ほれほれよったん、あさどぞ〜?おきろー!」
声の持ち主はずかずかと部屋に入ってきて私から布団をはごうとする。
「ちょ、ちょっとやめて!まって、起きるから、起きるから依織!!」
もちろんこんなことするのは私の知り合いには一人しかいない。
「ふむ、だが私はまたーん!ほれほれ、さっさと布団から出るのだー!!」
布団をはがされる。外の清涼な空気が体を包む。寒い。
「おっはーよったん。おきた?」
布団を腕に抱えながら依織が顔を覗き込んでくる。
目の上あたりがぴくぴくする。
「あ、な、た、ね〜!いいかげんにしなさい!!」
「ほうげちょ!?」
依織の頭を抱えてげんこつでぐりぐりすると変な音が聞こえてきた。
「や、やめてよったん、痛い、イタイ〜!頭がつぶれる〜!ピンク色の脳しょうが飛び出ちゃうよ〜!?」
「はん、あなたの頭の中に本当に脳みそが詰まってるかどうかそこからして怪しいのよ。
いいわ、ちょうどいい機会だしついでに確かめてあげるわ!」
そういってさらに力を加える。
「ギャー、ギブギブ!マジでギブだって!つーぶーれーるー!?」
……
…
「「はぁ、はぁ」」
二人して荒い息を立てる。
依織は布団を抱えたまま寝転がっているし、私も膝をついている状態だ。
「よ、よったん、あさからはげしすぎるよ〜」
シクシク、と泣いてもいないのにわざとらしく自分の口で音を作り出す。
「そ、そもそもこんな朝早くにいきなり部屋に突入してくるあなたが非常識なのよ!!」
息切れを起こしながらも何とか言葉をひねり出すと依織はこちらの方に向き直って、
「い、いやー久しぶりに寝顔を拝見したいな〜なんて思っちゃって。
「あなた、部屋に入ったとたんに私を起こしそうとしたでしょうが!」
「まあまあ、細かいことは気にしない気にしない!こじはがふえるぞ〜?」
こちらがどれだけ言っても依織は相変わらず笑顔のままだ。
まぁ、私もそれほど怒っているわけでもなくただ流れで不満を言っているにすぎないのだが。
「それで?こんな朝早くに何の用よ」
横の時計を見いてもそれはまだ六時半を示している。
つまりは三十分近くも依織と遊んでいたことになる。
「昨日言ったでしょ?買い物行くよ、買い物!」
「こ、こんなに朝早くからいくの!?」
確かに依織は電話で朝に来るとは言っていたがこんなに朝早くだとは…
「まさか。そもそもお店自体が開いてないでしょ」
「じゃぁ、なんでこんなに早く来たのよ!?」
彼女の言葉に矛盾を感じる
「だから、よったんの寝顔を見に…」
「ほんとにそれだけできたの…?」
これ以上冗談は許さない。ただでさえ私は安眠を妨害されていらだっているのだから。
両手をグーにしてユラ〜と立ち上がる。
「わ、まってまって。冗談、冗談だから!」
「…そう、ならいいわ。で、要件は何?」
一時的にこぶしを下ろす。
「……ちょっと時間頂戴。すぐ考えるから」
「本当に私の寝顔目的だったのね!?」
……
…
目の前にはさっきと同じ光景がある。
ただ違うのは時計の針がちょうど七時を指してることぐらいだろうか。
「はぁ、あー疲れた。朝っぱらからどうしてこんなに疲れなくちゃいけないのよ…」
依織の方を軽くにらみながら、しかしはっきりと聞こえるようにつぶやく。
「う〜、ごめんよ、よったん。ただスペシャルな朝をお届けしたかっただけなんだよ〜」
「もういいわよ。で、これからどうするの?」
話を切り替える。いつまでもこうしていてはらちが明かない。
「ん〜、わたしとしてはまず朝ごはんから食べたいかな〜」
「あなた、朝ごはん食べずにきたの…?」
「そう、まさしくこれこそ真の‘朝飯前‘、だ!!」
頭が痛くなってくる。
「大丈夫、叔父さんたちにはもう断り入れてあるから!」
「そういう問題じゃないでしょうが…」
朝の食卓を叔父たちと囲む。昨日と違うのは私の隣に依織がいることだ。
「まさか、本当に朝飯前だったなんて…」
叔父さんたちも明らかに苦笑いをしている。
「わたし、ネタのためなら体張るタチだから!」
朝からうっとうしいこと限りない。
でも、昨日までの気まずい空気と比べてみればこちらの方が明らかにいい。
向こうも明らかにこちらを意識しないように意識していたのに、ぎこちなかったのに。
依織一人はいるだけで明らかに自然体に近づいていると思う。
にぎやかなく、明らかに昨日までとは違う雰囲気で食事が進んでいく。
食器をかたずける段階に入ると、
「じゃ、叔父さん、今日この後揺ちゃん借りていくから」
「あぁ、うん。揺ちゃんも楽しんでくるといいよ。」
と、二人の会話が交わされる。
食器をまとめてキッチンに持っていくと、叔母さんが声をかけてきた。
「揺ちゃん、これ少ないかもしれないけどしっかり楽しんできなさい」
そういってエプロンの中から封筒を一枚取り出す。おそらくお金だ。
「あ、ありがとうございます…」
まさかもらえるとは思わなかった。
「それと、ごめんなさいね。勝手に転校なんて決めちゃって」
「い、いえ、私もしょうがないと思っていますから、気になさらなくてもいいですよ」
あわてて言葉を返すも、まさかそんな言葉が来るとは思ってなかったから言葉がどうしても変になる。
「そういってくれると叔母さんも安心するわ」
それだけ言うと叔母さんはまた食器洗いに専念する。
明らかに、気まずい空気を避けてだろう。
一人残された私は少しぼう、とするがすぐにはっと気が付いて動き始める。