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丙午の女  作者: 佐賀とおる
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エピローグ 呪いのはじまり

私は呪われている。

いきなりこんなことを言うと普通の人は「は?」と首をかしげる。

中学二年生なら「実は私も…」と言って体のどこかを抑える。

でも、私はそんな反応が見たいわけでもない。

特別な存在なのだとかそういう誇大妄想を抱いているわけでもない。

ただ、事実として。

私は呪われているのだと伝えたいだけだ。

日本には言い伝え、伝承、言い方は何でもいいが人あらざる者に関する話が他国に比べると圧倒的に多い。

人にあらざる者に限らず、人にあるべき者に関する話も多く残っている。

奇跡を起こした、たたりを引き起こした、そんなものだ。

天気が崩れれば祈祷をあげ、日照りが続けば祝詞をあげ、川が氾濫すれば人身御供をあげてきたのだ。多くなるのは必然とも言える。

たとえばいつも私たちが気にすることの無いような干支にもこんな話がある。

‘丙午に生まれた女は気性が荒く、火の禍を呼び込む‘、と。

丙午というのは干支の43番目のことをいうそうだ。

元をたどってみればそれは江戸時代の八百屋の女性が旦那を殺し家に火をつけた、という本当かどうかも分からないような話にに起因するらしいのだが、それからというもの丙午の生まれの女性は縁起が悪いとして過酷に扱われてきた。

かくいう私もそうだ。

望まれて生まれてきたはずなのに、親には無慈悲に育てられてきた。

祖父母も縁起が悪いと言って私に合うことすら避けようとした。

それでも私は強く生きてきたつもりだ。

ふつう丙午と聞いて縁起が悪いという人自体が少ないのだ。

家では散々だが学校では明るく過ごしてきた。

親も祖父母も無慈悲なだけで何も暴力をふるうような最低な親じゃないんだと、良い方向に考えてきた。

でも、しかし、やはりと言っていいのか。

呪いは本当に存在するらしい。人の思念というのは本当に具現化するのだなぁ、と心に片隅で思った。



前を見ると明るく光をともす家がある。明るく、というのは語弊があるだろうか。

激しく燃え上がっている。

私の家だ。

家族はまだみんな家の中にいるらしい。

わたしだけが外にいる。

中学生にとって一番の行事、修学旅行から帰宅したところだった。

「た、大変よようちゃん!あんたのおうちが…!!」

言われなくてもわかってる私の家だもの。

ふとききなれた声が聞こえた。

家の二階を見てみると誰かの手が見えた。顔は見えないがおそらく母の手だろう。

「た、たすけて!たすけて〜!」

かすかにだがはっきりと助けを求める声も聞こえるようになった。

周りを見渡す。まだ消防車も救急車も来ていない。

住宅地の真ん中だからうまく抜けてこれないのだろう。

近所の人も見上げるばかりで助けに入ろうとする人は誰もいない。

当たり前のことなのだが、薄情だ、と思ってしまった。

火はそのまま燃えさかり、母の手も見えなくなった。

消防車のサイレンが聞こえ始めたのはそんな時だ。もちろん間に合うわけもなかった。

そのまま私の家は周りの家を数件と倉庫数棟を巻き添えにして、母と父と、祖母と祖父母とを内に入れたまま崩れ去ってしまった。

はじめての投稿です。

やはり書こうと思ってすぐにかけるものではありませんね、こういうのは。

なかなかに難しいです。

題材は学園なのです。

読んでもらえると幸いです。

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